第46話 弱音と決意

「わたし……リシャールにはいっぱい尽くしてきたのに……嫌われちゃった……あの男のために、お父様のためにがんばってきたのに……!」


 公爵家の別宅にある、俺のために用意された部屋。

 そこでレティシアが泣きながら、俺を強く抱き締める。

 背中を擦ってあげたい気持ちに駆られたが、身分があまりにも違いすぎるためそれはできない。


 普段は言葉遣いを崩さず、そしていつも明るく陽気なレティシア。


 そんな彼女が密室で、俺にだけは素顔と弱音をさらけ出している。

 俺にはそんな気がした。


「……ああ。人のためにやってきたのに、蔑ろにされたら腹が立つよな」

「はい……──心のなかでは、あの男のことなんてどうでもいいって思ってた……それがバレちゃったのね……」


 レティシアは仲間と他人にはとても優しいが、それと同時に敵対者には厳しいきらいがある。


 俺を追放してエレーヌにセクハラをしたガブリエルを、《勇者》だと認めなかったこと。

 俺とエレーヌの功績を否定したローラン公爵家の騎士団副長に、本気で怒ってくれたこと。

 そして、自身との婚約を破棄したリシャールと、その取り巻きであるマリーを冷たくあしらっていたこと。


 子供の頃からリシャールのことを心のどこかで否定し蔑み、無自覚に上から目線で尽くしてきたのかもしれない。

 恐らくレティシアのそういう態度が、リシャールにも見え透いていたのかもしれない。


 だが俺は、あえて彼女を否定するつもりはない。


 ただ黙って聞く、それだけだ。

 彼女の苦しみを共感する、ただそれだけだ。


「マリーだって……わざわざ人の婚約者を取らなくてもいいじゃない……! なんでよ……わたし、あの女にはなにもしてないのに……そもそも接点すらなかったのに……! くうっ……」


 マリーが一目惚れした相手が、たまたまレティシアの婚約者だったという可能性もある。

 マリーはレティシアのことを、最初はなにも知らなかったのかもしれない。


 あるいは、レティシアのことを嫌っているリシャールが、心の隙間を埋めるためにマリーに手を出したという可能性もゼロではない。


 だが、俺は何も言わない。

 「それは違う」と否定することはしない。

 「こうすればよかった」などと、終わったことを上から目線で指摘することはしない。


 今の俺は、レティシアの負の感情を受け止める装置に徹する。


「クロード……なんであなたは振り向いてくれないの……? なんで抱き返してくれないの……!」

「それは……レティシア、君が公爵令嬢だからだ」


 俺は思わず、自分の考えを伝えてしまった。

 傾聴に徹するつもりが、どうも自分のこととなると、言い返さなければ気がすまないらしい。


 昨日、エレーヌが感極まって俺に抱きついてきたとき、俺は彼女を抱き返していた。

 だがそれはエレーヌを慰めるためであり、彼女と俺との身分が釣り合っていたからできたことにすぎない。


 公爵令嬢であるレティシアに同じことをすれば、どんな誤解を招くかは計り知れない。


「お父様なら喜んで、私達を祝福するわ……」

「祝福……その意味は分からないが……それでも俺は、絶対に抱き返したりしない」

「だったら身分を捨て──られるわけないわね……わたし、クロードも大事だけど家族も大事だから……」

「そうだな」

「──だからクロード、あなたは絶対に成り上がってください。そのために私は、あなたを全力でサポートします」


 レティシアは俺の身体から腕を離す。

 そして涙を手で拭い、立ち上がる。

 その面構えはいつになく猛々しく、凛々しかった。


「それと私、王国武闘会に出場することに決めました──リシャールを……あの男を倒して見返します。そして、クロードも打ち負かしてみせます!」


 俺は本当は、レティシアとは戦いたくはない。

 たとえ特殊な魔術によって損傷が肩代わりされるとはいえ、仲間を斬るような真似はしたくない。


 だが、レティシアが闘志に燃えてくれればそれでいい。

 暗い顔をせず、涙を流さず、元気でいてくれればそれでいい。


 今の俺は、それ以外に何も望まない。


「ああ、その意気だ──」


 それが、俺の答えだった。

 レティシアはそれを聞き届け、大きく深呼吸をする。


「決勝戦で会いましょう。そして私を倒して優勝してください。私なんて目じゃないくらいの身分に、成り上がってください」

「決勝戦で君と相まみえることを、楽しみしている」


 こうして俺とレティシアは、ライバル関係となった。

 最初はどこか掴みどころがなかった彼女の、内に秘めたる熱い思いを知れて、俺はよかったと思っている。



◇ ◇ ◇



「はあっ!」


 それから数時間後……

 俺とレティシアは屋敷の中庭にて、木剣による剣戟を交わしている。

 リシャールを、そして俺を倒すため、レティシアが訓練したいと持ちかけてきたのだ。


 レティシアの木剣が、俺に振りかざされる。

 だが俺はそれを受け止め、弾き飛ばす。


 レティシアは負けじと、何度も俺に斬りかかる。

 俺はその剣筋を冷静に見破り、何度も防ぐ。


 何度も。


 何度も。


 何度も──


 何度剣を打ち合ったのか、もはや覚えていられない。

 それだけ、レティシアが苛烈で勝ち気だったということだろう。


 自らの苦しみという呪縛から解き放たれるために、剣を持って戦う。

 俺は冒険者として、その闘志が尊いものだと思った。


「はあ……はあっ……!」


 流石に疲れたのか、金属鎧をまとったレティシアが膝をつく。

 木剣を杖代わりにして立ち上がろうとするが、その木剣が音を立てて折れた。

 恐らく俺との長時間に渡る剣戟で、摩耗しひび割れていたのだろう。


「くっ……! まだまだ──」

「ストップだ。ただ闇雲に鍛錬を重ねても、身体を壊すだけだ」


 顔を真っ青にしながら大量の汗をかいていたレティシアを、俺は冷静に諌める。


 そう……俺もバカみたいに剣を振っていた時期があった。

 子供の頃、自分をバカにした連中を見返すために、必死になって剣を素振りしていた。

 だがそれで肩を壊し、しばらくは剣を振れなくなってしまった。


 当時、《剣聖》である父親の方針により、肩の治療は見送られた。

 理由は、肩を壊すような鍛え方をしていては剣術は上達しないから、ということだった。

 一旦頭を冷やしてイメージトレーニングをしろ、ということだった。


 今なら、その理屈はわかる。

 「肩を壊す」ということは、それだけ不自然な動きをしているということだ。

 不自然な動きということは、効率的で実戦的でないということだ。


 何事にも、上達には効率の良い手段を選ぶ必要がある。

 最低限の労力で、最高の成果を上げるのだ。


「クロード……私、立てません……疲れちゃいました……」

「なら──」


 俺はレティシアに回復魔術を用いる。

 彼女の身体は明るく輝き、顔の血色がよくなった。


「やはり、回復魔術はすごいですね……一瞬で疲れが取れましたし、筋肉痛も起こらなさそうです──ありがとうございます」


 訓練後に回復魔術を行うことには、メリットがある。

 それは訓練によって断裂した筋肉を、超回復させることが可能だということだ。


 破壊された筋肉が数日かけて修復され、さらに前回の負荷にも耐えられるように太く強くなっていく。

 これが超回復と呼ばれるもので、回復魔術を使えばそれが短時間で済ませられるのだ。


「クロード、これから毎日私の訓練に付き合ってください」

「分かった──明日もがんばろう」

「はい!」


 俺とレティシアは、ローラン公爵の屋敷に戻った。



◇ ◇ ◇



「やあっ!」


 翌朝……

 朝食を終えた俺とレティシアは、訓練を始める。


 ただし、昨日と違う点が2つある。

 1つ目は、エレーヌが見守ってくれていること。

 そして2つ目は、レティシアが木製の槍を持っているということ。


 本人によれば、昨日の訓練で俺やリシャールに剣術で勝てないと悟ったとのことだ。

 俺としては『筋が良い』とは思っていたので意外だったが、確かに槍術であればリシャールを倒しうる。


「はあっ!」


 レティシアはショートランスで、俺の胴をまっすぐ突く。

 俺はそれを右にかわすが、すぐさま槍の穂先が俺を追いかけてくる。

 バックステップで間合いを取るが、このままでは剣で攻撃できない。


 やはり、レティシアの判断はとても正しい。

 これなら武闘会が始まる頃には、《剣聖》リシャールを倒せるくらいの実力を身につけることだろう。

 リシャールを倒した俺だからこそ、そう断言できる。


 俺とレティシアは、互いに死力を尽くして戦った。



◇ ◇ ◇



「よし、ここで休憩だ」

「はあ……はあ……ご指導、ありがとうございました……」


 数十分も打ち合った後、俺とレティシアは訓練用の武器を収める。

 そこにすぐさま、エレーヌがタオルと水筒を持ってやってきた。


「はい、レティシアちゃん。お疲れさま」

「はあ、はあ……ありがとうございます、エレーヌ」


 エレーヌはコップに水を注ぎ、レティシアに手渡す。


 レティシアはそれを一気に飲み干し、一息ついていた。

 そしてエレーヌからタオルをもらい、汗を拭う。


 エレーヌはレティシアに優しげな眼差しを向けた後、俺のもとに向かう。


「クロードくんも、お疲れさま」

「ああ、ありが──」

「──あなたがあの《剣聖》リシャールを倒したっていうクロードね? こんなに早々に会えるとは思わなかったわ」


 ふと、屋敷の門の方角から声が聞こえてきた。

 その方を見やると、そこには銀髪の美少女が立っていた。


 それにしても、王弟の息子リシャールを呼び捨てにするとは……

 服装や腰に差された剣も相まって、かなり高貴な身分の人間だと思われる。


「ルイーズ、王女殿下……お久しぶりでございます!」

「久しぶりね、レティシア。会えて嬉しいわ」


 レティシアは銀髪の少女──ルイーズ王女を見て、慌てた様子で跪いた。

 無理もない、『王女』ということは、公爵令嬢であるレティシアよりも身分が上だからだ。


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