第12話 「ご主人様はどこです淫乱売春婦!」「は? ぶっ殺すぞ冷血機械女!」
「ご主人様っ!? ご無事ですか!」
クロエがメイド喫茶と呼ぶ店に狼狽した様子のリースが飛び込んできた。
彼女はとある後輩から送られてきた連絡によって、先日ノアと話していた喫茶店と思わしき店を訪れたのだ。
その顔には焦燥が浮かび、何事にも動じないリースとは思えないほどの動揺が見て取れる。
突然入ってきたリースに驚くメイドたち。ただ、その中にクロエの姿はない。ノアの姿も。
「ご主人様っ……ノア様はどこにいるのですかっ!?」
「お、落ち着いて下さいリースさん。ご主人様なら奥の寝室に――」
近くに立っていたメイドを捕まえ詰め寄ったリースは、フロアの奥に通じる扉を発見する。ノアをご主人様と呼んだメイドに「貴方がたのご主人様ではありません」と釘を刺しつつ、捕まえていたメイドを捨てるとフロアの奥へと進む。
いくつか部屋があったが、扉に『世界一可愛いクロエちゃんのお部屋』などと馬鹿げたプレートが掲げられた部屋へ迷いなく突入する。
「ご主人さ――」
「やだ~リース先輩静かにして下さいよ~。ご主人様が起きちゃうじゃないですか~」
来訪を予想し、入り口の横に立っていたクロエが叫びそうになったリースの口を人差し指で押さえる。瞬間、射殺しそうなほど殺意に満ちた瞳をクロエに向けるが、室内にピンク色のやたら可愛らしいベッドの上で眠るノアを見つけて霧散した。
クロエの手を跳ね除けると慌てて傍に寄り添い、ベッド脇で膝を付く。
静かな吐息を零し、穏やかに眠る
悪くない。
無事でようございました。
ようやく安堵するも、心配事が消えたが故に、忘れかけていた怒りが再燃する。
すっと立ち上がると、背後でリースの様子を伺っていたクロエを睨み付ける。その瞳には明確な怒りと敵意が宿っていた。
「ご主人様を
リースがメイド喫茶を訪れる少し前、主人の帰りを心待ちにするリースの元へ、一通のメッセージが届いた。
スマートフォンに表示された名前は『米国金髪売女』。リースが登録した名前である。
その名を見ただけでリースの気分が下がる。なぜかリースへと対抗心を持ち、必要以上に絡んできて鬱陶しいというのもあるが、本来リース一人であったノアのお世話係という立場に、ソフィアが追加されてしまった原因でもあるからだ。
心情的に見たくもないリースであったが、少しばかり胸騒ぎを覚えていた。ささくれ立つ気持ちを静めつつメッセージを確認する。ただし、既読も付けたくないため通知欄からだ。
目にしたメッセージをリースは一瞬理解できなかった。
『ご主人様が眠ってしまったので、迎えに来て下さい。場所は、リース先輩なら教えなくてもわかりますよね?』
そのメッセージを目にしたリースはスマートフォンを放り出し、着の身着のまま、身一つで飛び出していったのである。向かった先はマンション近くの、先日まで改装中であった喫茶店と思わしき場所。
目にした時から嫌な予感はしていたのだ。内装は完成しているというのに、新規オープンのチラシ一つ張られていない。なにより、外から覗いた内部にはMSCのメイドが好む欧州の調度品類が見受けられた。MSCのメイドが絡んでいる可能性はあったのだ。
失態です……っ。もう少し早く手を回しておくべきでした。
気に留めていたというのにこの体たらく。自身の進退する賭ける覚悟であるが、なによりも
そうして、マンションから飛び出したリースは、現在、ノアの眠る横で主犯であるクロエに対して怒りを燃やしていた。
並みの者であれば、身震いするほどに恐ろしい視線だ。しかし、クロエとっては問題にもならない。むしろ、その表情こそ見たかったとにやにやと唇が笑みを描く。
「やだ~、リース先輩ったら。売春婦なんて下品で口汚い言葉を使うだなんて。ご主人様に嫌われちゃいますよ~?」
「黙りなさい、誘蛾灯。私の質問に答えなさい」
「あはっ! ……ほんと。ムカつく先輩ですね~」
飄々としていたクロエだが、畳みかける罵倒に苛立ちが募ったらしい。顔から笑みが消え、その表情は不快そうに歪む。
「だいたい、なにが目的って、そんなの決まってるじゃないですか~。リース先輩なら理解しているんじゃないんですか~? あ、それとも、そんなことも理解できないほどお
「年齢にそぐわない気持ち悪い話し方を止めない。気色が悪い」
「は? ぶち殺すぞクソ
年齢の話が逆鱗であったのか。クロエの瞳に殺意が宿る。
殺し合いが始まってしまうのではないか。それほどまでに殺伐とした睨み合いであったが、鼻を鳴らしたクロエが殺意を弱める。
「目的? そんなのノア様の専属メイド一択。むしろ、それ以外になにがあるって言うんですか~?」
「ご主人様のメイドは私です」
「だからどうした」
リースの宣言を意に介さず、吐き捨てる。
「ご主人様のメイドになれば、MSC内で私の立場は安泰ですし~、なによりリース先輩のお気に入りを奪えば、悔しそうな顔を拝みたい放題でしょう? は~、超楽しみ」
「ご主人様と呼ばないで下さい。穢れます」
「やだよばぁか」
けらけらとクロエが笑う。その表情は愉悦的であり、リースが嫌そうにしているのがなにより楽しいと物語っている。心底、性根が悪い。
「それにそれに、ご主人様も個人的に気に入っちゃたし。見た目美少年で性格も優しくて仕え甲斐がありそう。……いっそ、食べちゃうのもいいかもね?」
「言っておきますが、その時は比喩なく殺します」
「はんっ! やれるもんならやってみろっていうんですよ!」
ナイフの一つでも持っていたら刺そうとしたのではないか。そう思わせるほどリースは感情を昂らせていた。いや、
昔から反りが合いませんでしたが、ここまで殺意が湧いたのは初めてです。
怒りを燃料に、頭の中で完全犯罪を計画する程度には本気であった。
「貴方が今更なにをしたところで私がご主人様のメイドということに変わりありません。貴方の突き上げによって、追加枠が設けられてしまったようですが、その枠もソフィアが埋めました」
「あれは痛恨のミスだったわ~。せっかく、メイド長におべっか持ち上げなんでもござれでごますったのに、私が派遣されないんじゃ意味ないじゃ~ん」
メイド長というのは、MSC内のメイドを取り纏める者のことを指し、現在は社長夫人が付いている。
クロエは「リース先輩一人じゃお世話しきれないと思うんですよ~」「他にもお世話するメイドが居たほうが、ノア様も快適に暮らせますって」とメイド長にノアのメイド枠を増やすよう打診していた。それを受け、枠が増やされたわけだが、派遣されたのはソフィア。やってられない。
だ~か~ら~と、笑みを深めてクロエは告げる。
「直接ご主人様をゆうわ――じゃなく、お世話してリース先輩より私を気に入ってもらえばいいんだって、思っちゃったわけですよ~。キャー! 私たら顔も良くて頭も良いなんて天才美少女過ぎ!」
「メイド長が許すはずがありません」
メイド長はノアのことをそれは珠のように可愛がっておいでである。ご主人様にこのような薄汚い羽虫が寄り付くことを良しとはすまい、とリースは思っていた。
リースの反応を予期していたのだろう。クロエは道化のような三日月笑みを浮かべる。
「残念ながら、そうはならないですよ~。あはっ! 確かに今回の件、メイド長は大層怒っていましたけど、止めることはありえないんですよ。だって、許可が下りましたから」
「ありえません。誰がそのような許可を」
「社長」
リースが言葉を失う。
MSC内における絶対的権力者にして、発言力を持つ者。メイド長は誰に対しても毅然とした態度を取り引くことはないが、社長だけは例外であった。
どれだけノアに対しての所業に怒りを覚えようとも、その内心を鉄の意思で押し隠し、社長の後ろで笑みを称える。メイドたちの頂点たる長に相応しい女性である。
そのメイド長が付き従う、社長が口にしたというのだ。ノアが気に入るのであれば構わない、と。
事実上の許しである。ノアが気に入りさえすれば、どのようなことをしてもいいという宣言に他ならない。
けらけらとクロエが笑う。
「ご主人様のメイドの座を狙ってMSCのメイドたちはいろんな手を使って動くでしょうね~。私なんて可愛いものですよ。実力行使にでるメイドだって出てくると思うし、これから大変ですね? リース先輩」
挑発するように、可愛らしい笑顔をリースに向ける。
リースは背筋を伸ばし、泰然としている。ただし、お腹の辺りで重ねられた手に力が籠る。無論、憤怒によって。
「貴方の今回の行動が実力行使ではないと?」
「はっ! バカ言うなっての。誘拐だなんて本気で言ってんの? クロエちゃんの魅力を知ってもらおうとちょ~っとお世話しただけ。目の下に隈なんて作って眠そうだったから、良く眠れるようにハーブティーを振舞っただけです~。そしたらすやすや眠っちゃったので、お迎えの連絡をしたんじゃないですか。じゃなきゃ、なんで大っ嫌いなリース先輩に連絡しなくちゃいけないんです?」
「奇遇ですね。私も貴方が大嫌いです」
「わー。奇遇ー。嬉しくねー」
ちなみに、クロエのデコデコと飾り付けられたスマートフォンには『クッソつまんねーメイドロボット』と連絡先が登録されていた。やっていることはよく似ている。
「ご主人様の体調管理すらできないなんて、これなら直ぐに奪えちゃいそうですね~?」
「言ってなさい。尻軽売女」
「黙れ冷酷処女」
バチバチと火花が散る。ただし、ノアが起きないよう静かにである。それぞれメイドとしての立場は弁えていた。
安らかに眠るノアの表情を見守りながら、リースの頭の中で反芻されるのはクロエの"実力行使にでるメイドもいる"という言葉。
瞼に掛かる前髪を優しく払い、リースは誓う。
必ず御守り致します、ご主人様。貴方様は、私だけのご主人様なのですから。
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