23章 陽炎

772話 解釈を委ねる言葉

 憂鬱で気の抜けないダンスも、終わりに近づいている。

 クレシダは、突然悪戯っぽく笑う。


「そういえば……。

デザートを頂いていないわね」


 まだ聞きたいことがあるのか。


「なんですか?」


「貴方との議論って辟易するけど、不思議と腹が立たないのよね。

なにかコツはあるのかしら?」


 わりと素朴な疑問だな。

 答えても、支障はないだろう。


「簡単ですよ。

言葉と人格を切り離していますから」


 クレシダは眉をひそめた。


「私でもわからない言葉を、さらりと使う人なんて珍しいわね。

具体例を教えてくれるかしら?」


「ある事実と違う話をする人がいるとします。

これを例にしましょう。

『貴方は噓つきだ』が、よく使われますね。

でも私は『貴方のいうこれは、この事実と異なる』と言うだけです。

噓つきでは人格の否定で決闘沙汰ですよ。

その人の言葉はほとんど噓だ、と解釈できるような表現ですからね。

言われた方は引き下がれないでしょう。

特定の事実と異なるだと、言葉を対象にしているわけです。

これは理性的に対応せざるを得ないでしょう。

普通の人ならば……ですがね」


「……なるほど。

キアラが本にしたがるわけね。

私も本にしたいと思ったもの。

思えば……。

ずっと昔は、そんな議論をしていた気がするわ。

いつの間にか議論は、誹謗ひぼう中傷合戦に成り下がったわね。

おかげで議論出来る人は減ってしまったわ。

だから時が止まってしまってねぇ……。

とても生きているとは思えない惨状よ。

ひとつ疑問かあるわ。

今は後者でも人格否定と捉えて、決闘沙汰にならなくて?」


 多いのは事実だな。

 思わず苦笑が漏れた。


「そんな人とは、話をするだけムダです。

また論点をずらして、誤魔化す人も同様でしょう。

これは鏡のようなものでしてね。

反応はその人の内面を、冷酷なまでに映し出します。

そんな人たちに共通しているのは、感情最優先なのですよ。

感情なので白か黒。

全肯定か全否定しかないのです。

これは感情の奴隷でしかない。

ただ感情を言葉にしているだけ。

獣が吠えているのと、なんら変わりません。

内容を理解出来るから、余計タチが悪いですけどね」


 クレシダが興味深そうに、含み笑いを浮かべた。


「感情を制御できる理性はないと。

つまり私と議論したのは、理性を持っていると評価してくれたわけね。

その点は、素直に喜ぶわ。

じゃあデザートのおかわりをお願い」


 これで終わりじゃないのか……。


「まだ……なにかあるのですか?」


「今のデザートで、別の味が欲しくなったもの。

そう面倒くさそうな顔をしないでよ。

なんで私たちは、そうなってしまったのかしらね。

昔はこうじゃなかったと思うわ」


 答えた内容に関連する疑問か……。

 無視するのはどうもスッキリしない。


「断言など出来ませんよ。

推測しかないのですから」


「それでいいわ。

貴方の私見は、凡人の断言などより遙かに価値があるもの」


 過大評価だよ……。

 それには触れないでおこう。


「言葉のせいでしょうね」


 クレシダは真顔で首をかしげる。


「言葉?」


「議論出来る人が減ったのは、使徒語が定着したのが切っ掛けだと思います」


 クレシダの顔から、笑顔が消えた。


「面白い推測ね。

是非続けて頂戴」


「使徒語は集団の和を保つことにけた言語です。

曖昧な表現や複雑さで、相手に解釈を委ねる言葉とも言えますね。

だからこそ議論に使うには、慎重を期す必要があります。

それだけでなく受け手も、その認識が必要になりますよね」


 クレシダは、踊りながら苦い顔で肩をすくめる。

 器用なヤツだな。


「相手に解釈を委ねるね。

たしかに明言しては、摩擦が生じるわ。

ひとたび摩擦が起こると、相手に解釈を委ねるから、解決が難しい。

だから波風を立てずに、物事を丸く収める。

それが生きる知恵として定着してしまったと?」


「きっと教会の意向にも合致したと思いますよ。

議論を避けて丸く収めるのは、世界を維持するために役立ちますから」


 今度は、眉をひそめた。

 納得しかねるといったところか。


「そんな深謀遠慮があったのかしらね。

その言語の特性を見抜いていないとダメでしょう?」


 疑問は、そんな企みが出来るヤツはいたのかってことか。

 わからないな。

 可能性として高い事柄なら想像出来るが。


「最初は使徒を理解するためだったと思いますよ。

元々教会では、神学者同士で議論が行われていたそうです。

だから使徒語を使って、議論を行ったと思いますよ。

言葉の学習にもなりますから。

試してみれば……。

言い合いになって、議論そのものが廃れていった。

あることに気がついたのではないでしょうか。

これは統治に役立つとね。

その時点では、言語の奴隷にはなっていませんからね。

有用性にも気がつけるはずです。

だから全力で、使徒語を広めたのではないでしょうか?」


「それならすごく納得しやすいわ。

ひとたび言い争いになると、収拾が付かないもの。

それを避けようとするのは、当然の心理だわ。

その心理が蓄積されて、言い争いや議論は避ける風潮ができあがると。

だから明言は好まれないのね」


 さすがというべきか。

 一気に、結論まで辿り着くとは。


「お見事ですよ。

相手に解釈を委ねることが慣習化されました。

結果として、それを奪われたら、不快に思うでしょう。

自分が軽んじられているとね。

だから明言は嫌われますよ。

それは上位から下位に対しても同じです。

仕事で問題が起こると、だいたいは部下に質問する形式でしょう?

『あの件は、どうなっている?』とね」


 クレシダはようやく苦笑した。


「上手くいっていないけど、反発を避けるための質問形式なのね。

論理的に問題を指摘すると、言われた方は反発するわ。

解決しろと言われているのは明白だけど……。

解釈を委ねられたことで飲み下せるってことね。

言葉って怖いわ。

でも議論は明言しないと成り立たない。

これは成り立たないわ……」


「環境が固定された世界なら、最適解の言語だと思いますよ。

それなら問題も決まったものばかりで、議論は必要ありません。

和を保って、同じことを繰り返せばいいのですから。

これほど意思の伝達が、効率的な言葉はないでしょう。

負の側面として、正確に伝えようとすれば……。

時間がかかるのです。

解釈を委ねることに特化していますからね。

議論では通常会話で省略出来る表現も必要になります。

きっと議論するのに……。

昔の言葉なら、もっと早く伝えられたのでは?」


 クレシダが驚いた顔で、目を丸くした。


「貴方本当に何者なのよ。

本気で怖くなったわ」


「ただの一領主ですよ。

使う言葉によって見える世界が変わる。

それを知っているだけです」


 クレシダは白目で、俺をにらむ。


「それは一面にすぎないでしょう。

貴方は澄ました顔しているけど……。

これは背筋が寒くなる話よ。

言葉を使っていると、無自覚に奴隷になるなんてね。

この世界で、貴方だけが言葉の奴隷じゃない。

なんでそんな疑問を持てるのかって聞いているのよ」


 不機嫌の理由はそれか。

 自分が知らずに、言葉の奴隷になったのが不愉快なのだろう。


「周囲の人に恵まれましたから」


「そんな人がいたのかしら?」


「直接教わっていません。

私に家庭教師がいたことはご存じですか?」


 クレシダは、少し考えてからうなずいた。

 あまり気にとめていなかったのだろう。


「ええ。

ヴィスコンティ博士ね」


「先生と議論したことがあるのですよ。

質問をしていて、私の解釈と違う部分がありましたから」


「数少ない議論出来る人だったのかしら?」


 俺は苦笑して首を振った。

 そうじゃないさ。


「むしろ議論を嫌っていました。

罵詈ばり雑言の応酬で、なんら得るところがないと。

なぜそうなるのかが、気になったのですよ。

議論という言葉があって、内実は議論とほど遠い。

なので先生を相手に、そうならない言葉の選択を学んだのですよ。

こんな馬鹿げた話に付き合ってくれる人なんて、滅多にいませんからね」


「貴方、古代人みたいね。

疑問を持たない人は、軽視されたもの。

私が貴方に、興味を持つ一因がわかったわ。

疑問を是とする根幹が一致しているからね」


 俺のメンタリティが、一般からずれていることは自覚している。


「だから私は、幼少期には変人扱いされました。

今は周囲から嫌われています。

使徒語に支配された世界で、私は異物そのものですからね」


 クレシダは上機嫌でうなずいた。


「とても上質なデザートだったわ。

この上なくね。

上質な行いには礼を返すのが、私の流儀よ。

私ばかり聞いては不公平だしね。

ひとつだけ答えてあげる。

なにか聞きたいことは?」


 具体例は絶対に答えない。

 なら聞くことはひとつだ。


「そうですね……。

なぜ育った子供を殺そうとするのですか?

気に入らない教育方法だったとしてもです。

陶芸家が作品を壊すのとは違いますよね?

ましてやクレシダ嬢の子供ではありません」


 世界を壊す話だ。

 クレシダは、ニヤリと笑った。

 意図は伝わったようだ。


「無粋な質問をしないのはさすがね。

気に入らないから。

ではダメかしら?」


「それは知っています。

なぜ気に入らないかですね」


 クレシダは踊りながら、眉をひそめた。


「それがねぇ……。

自分でもよくわからないのよ。

いっぱいありすぎてわからないのね」


「理由はわからなくても、意志は強固なのですか」


 クレシダは渋い顔になって、目をつむった。


「正直な回答でも……。

スマートとは言えないわね。

じゃあ考えましょう。

ちょっとお時間を拝借するわね」


 変なところで律義だな。

 俺たちは不器用に踊りながら、時を過ごす。

 クレシダはようやく、目を開ける。


「なにか思い当たりましたか?」


 クレシダはうなずくかわりに、意味深な笑みを浮かべた。


「ねぇ。

アイオーンの子の教義って知っている?」


「たしかこの世は、魂の牢獄でしたね。

だから放縦に振る舞うべきだと

死は解放でしたかね」


「結構よ。

それでひとりだけ、永遠に牢獄に留まるとしたら?

ちょっと不公平じゃなくて?

牢獄ごと壊そうとしないかしら。

リーダーって支配者じゃなくて生贄なの。

昔の王と同じよ。

それよりずっと悪質だけどね。

何度も再利用されるなんて酷いと思わない?」


 言われてみれば、酷い話だな。

 だからと世界を壊すことには賛同出来ないが。


「自分の意志では、どうにもならないので?」


 クレシダの顔が、やや険しくなった。


「この考えが出来たのは、この前前世ね。

穏便にやめようとしたら、運命の悪意第5使徒がやってきたわ。

さすがに……もう1回試す気にならないわよ。

力ずくで壊すしかない。

そうは思わない?」


 巡り合わせの不運か。

 これを、第5の責任とするのは酷だな。

 あれのやったこととは別問題だが。


「たしかにそう思えるかもしれませんね。

なったことがないのでわかりませんが」


 クレシダは唇の端をつり上げる。


「それでね。

壊そうとしたら、最高の楽しみ貴方が現れたのよ。

だから憎しみとかどうでもいいの。

壊せなくていいから、魂を燃やすほどの愛を交わしたいの。

どっちに転んでも、私は楽しめる。

むしろ楽しむなら、雑念は不要じゃなくて?

だから純粋な思いで壊したいのよ。

これで満足かしら?」


 クレシダの本質が、ようやく見えてきたな。

 根っからの快楽義者が禁欲させられ続けたわけだ。


「これ以上の問いは無粋でしょうね」


 クレシダは、目を細めた。


「粋がわかっている人との会話は、心地いいわね。

でも……。

もう心地よさだけでは満足出来ないのよ。

貴方のせいね。

これからは言葉より、行動で愛を示すとするわ」

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