夢を追いかけて
イリン
ラストチャンス
「負けました。」
今日で2019年の夏に始まった囲碁棋士になるためのプロ試験が終わってしまった。そして、とうとう来年がプロ試験を受けられる最後の年になってしまった。
最後の年というのは、プロ試験には年齢制限があるからだ。
今僕は、来年のプロ試験を受けるかどうか悩んでいる。なぜなら来年に僕は大学4回生になるからだ。4回生になると授業はほとんどないが、前期は就活、後期は卒論を書くのに忙しいと聞く。
就活と卒論をこなしながらプロ試験を受けるなんて意味がない。せいぜいプロ試験が記念受験になるだけだろう。それに、親もプロ試験を受けるのを認めてくれるかどうか。今年のプロ試験の成績があとちょっとというところだったら、受けさしてくれたと思う。しかし、僕は今年のプロ試験は本戦に出場することができず、予選敗退だった。
来年どうしようと考えながら、しかしその実、考えているふりをしているだけで無気力な生活を送っていた。
季節はいつの間にか冬になっていた。そろそろ本気で来年のことを考えないといけないなと思っていたところに携帯の音がなった。携帯を開くと
-大谷先輩、今日暇だったら晩飯食べに行きましょう。プロ試験最終戦で負けてしまいました。勝てばプロ入りだったのに。と言うことで晩飯おごってください。-
と言う一通のメールが届いた。
このメールを見て僕は、そういえば今日で僕が受けていたプロ試験は終わったんだなと言うことを知った。ちなみにこのメールを送ってきたのは同じ大学の後輩である中野健太だ。僕、大谷聡はこの後輩の中野と一緒に囲碁部に入っていて、今年のプロ試験も一緒に受けている。
ちなみに中野は先輩の僕を差し置いて、プロ試験予選を突破して本戦に出場している。生意気なやつだ。
しかし、最終戦で負けるってどれだけ悔しいのだろうか。予選で負けた僕には想像もできない。こればっかりは仕方ないと思い、晩飯を奢りに行ってあげることにした。
「おつかれさまです。今日は大谷先輩のおごりですよね。ありがとうございます。」
会って早々、そんなことを言ってきた。思ったよりも、元気そうでびっくりした。
「お前、今日負けたのに何でそんな元気なんだよ。」
いきなり核心を突くようなことを言ってしまった。そんなつもり全くなかったのに。
「いやー、これでも一応は悔しかったですよ。ただまぁ、プロ試験は来年もありますからね。そんなことより美味い飯おごってください。」
凄いメンタルだなと思いながら、適当に良さそうな定食屋を見つけ、そこに入ることにした。
晩飯を食べながら、中野が聞いてきた。
「大谷先輩、来年のプロ試験どうするんですか。」
「来年だと就活があるしな。正直今年が囲碁のプロ棋士になる最後のチャンスだと思っていたし。」
「え!?・・・その言い方って、来年プロ試験受けないってことですか。何でですか。大谷先輩の囲碁の実力は強いのにもったいない。」
「理由は今言ったろ。来年になると、僕は4回生で就活とか卒論とかあって何かと忙しそうだし、人生の重要な分岐点だからな。」
これからは、プロ試験一本では駄目だよなと中野と喋りながら、そう自分で結論づけようとしていた。
「先輩って将来何かやりたい仕事ってあるんですか?」
突然、中野がこんなことを聞いてきた。会話の流れから突然ということはないかもしれないが、囲碁しかやってきていなかった僕にはやりたい仕事なんてプロ棋士しかなかった。
「プロ棋士以外考えていなかったからな。正直やりたい仕事なんて、なんも考えてない。」
「じゃあ、もう答え出てるじゃないですか。」
おかしなことを言う。将来のことなんて何も考えていないのに答えなんて出てるわけがない。しかしそう思いながら、中野が言わんとしていることが何となくわかっていた。
「来年のプロ試験受けた方がいいですよ、大谷先輩。そうしないと一生後悔が残ると思いますよ。」
いつになく真剣に中野が言ってきた。
後悔を残して就活をするか、後悔を残さずにプロ試験を挑むか。ここ数ヶ月、無気力に生活を送っていたのは、やっぱ囲碁のプロ棋士になることを諦めきれなかったからだろうなと、そう思った。そしてそう思ったとき、選ぶべき道は一つしかないと思った。
「そうだよな。人生は一度きりなんだ。それなら後悔なんて絶対したくない。
ありがとな、中野。プロ試験に負けたお前を慰めるためにきたのに、逆に慰められるとは。」
「気にしないでいいですよー。晩飯おごってもらうんですし。」
晩飯を食べ終えた後その場で中野とは解散した。
そして急いで家に帰り、早速母さんに話すことにした。
「母さん、来年の、2020年の夏から始まるプロ試験を受けたい。」
「あんた、何言ってんの。今年のプロ試験、本戦にもいけず予選落ちだったじゃない。だとしたら来年プロ試験受かるなんて夢のまた夢じゃない。それに、4回生になるんでしょ。就活はどうするのよ。」
就活に対しては、今日中野と話して吹っ切れた部分だ。だから僕は堂々と迷いなくこう言った。
「来年、就活はせずにプロ試験に専念させて欲しい。お願いします。」
僕がそう言うと、間髪入れずに母さんはこう言ってきた。「就活はせずにプロ試験を受けるなんて、そんなの許せるわけないじゃない。留年なんてしたら、いい会社にいけるかどうか。これはあなたの将来のためを思って言ってるのよ。」
そう言われるのはわかってたことだ。ここで諦めちゃいけない。
「確かに、母さんの言っていることは正しいと思う。けど、本当にやりたいことから目を背けて挑戦すらしなかったら、そんなの後悔しか残らないじゃん。僕は、後悔はしたくないんだ。」
「そうは言ってもねぇ。プロ試験を受けて落ちても結局後悔することになるのよ。それなら可能性が低い方は切り捨てて、4回生でしっかりと就活して卒業した方が、将来絶対そっちの方がいいと思うのよ。」
「可能性の大きい小さいじゃないんだ。僕がプロ棋士になりたいから最後のプロ試験に挑戦したいんだ。お願いします!!仕事をするなら好きな職につきたいんです。それにもしプロ棋士になれなかったとしてもここで逃げて後悔だけはしたくないんです。来年挑戦しなかったら一生悔いが残る。」
「はぁ、わかったよ。そこまで言うならがんばんな。ただそこまで言ったからには本気で囲碁の勉強しなさいよ。」
「ありがとう。頑張るよ」
最後まで反対されると思っていたけど、納得してくれた。自分のこと応援してくれているんだなとしみじみ思った。本気でプロ試験に挑もう。そして、どんな結果であったとしても後悔しないようにしよう。僕はこの時、強くそう思った。
日にちは流れ、2020年の夏がきた。いよいよプロ試験が始まる。外来で受けるので、プロ試験は去年と同じで予選からスタートだ。
この日のために頑張ってきたんだ。本番はリラックスして打たないとな。
僕は順調に予選を勝ち、12勝2敗で予選を抜けることができた。2敗のうち一つは後輩の中野から食らったものだ。この借りは本戦で返さないと。
予選が終わって、2週間後に本戦が始まる。毎日、囲碁の勉強を必死にしていたら、いつの間にか2週間は過ぎていて本戦の日になっていた。本戦の日、初日は対戦相手の順番を決めるくじを引いた。くじの結果、今回このプロ試験の一番の強敵である後輩の中野とは最終日に当たることになった。
中野と当たる前に全勝しないといけない。油断は命取りだが、気負いすぎても負けてしまう。本当に囲碁というより勝負事というのはメンタル面が重要だと思わされてしまう。
危ない碁もあったが、なんとか最終日まで全勝することができた。予選で中野以外の一敗を喫した人にも勝つことができた。調子は悪くはない。中野の成績を見てみると、中野も全勝していた。と言うことは明日勝った方がプロ棋士になれる。
そして、いよいよプロ試験最終局が始まる。これに勝てば念願のプロ入りだ。やばい、凄く緊張している。こんな状態で僕は強敵である中野に勝てるのか。いや、ここまできてそんなことは考えちゃいけない。目の前の1局を全力で打つことだけを考えろ。
しかし、どうしようもなく心は落ち着かない。この対局には僕の人生がかかっているからだ。
「先輩、最終局が始まりますね。勝っても負けても恨みっこなしですよ。」
と、突然そんな声が聞こえた。目の前をみると中野がいた。どうやら向こうはあまり緊張しておらず、リラックスしているようだ。
俺はかなり緊張していて、手のひらがすごい汗まみれだ。緊張し過ぎていて、手のひらが汗まみれだということにも気づいていなかった。
もしかして、この後輩は僕の緊張を解こうとしてこうやって話しかけてきたのではないだろうか。そういえば、去年もこいつのおかげで夢に挑戦することができたんだ。まぁでも、僕の緊張を解こうとして話しかけてきたのだとしたら舐められたものだなと思った。しかしそれと同時に素直に嬉しかった。
おかげで少し緊張が解けたので軽く挑発した。
「当たり前だ。僕がプロ試験最後の年だからって、手を抜いて譲るなよ。」
「もちろんです。俺も今年でプロ入り決めたいですから。」
あっさりと返されてしまった。
けどもう緊張は収まった。素直に心の中でこの後輩に感謝しておこう。
この対局に自分のこれからの人生がかかっているが、今僕が思っているのは、どうやってこの強敵である後輩を倒すことしか頭にない。
「それでは対局の時間です。始めてください。」
審判の対局開始の合図が聞こえた。
「「よろしくお願いします。」」
この後の結果がどうなるかはわからない。ただ言えることはどんな結果でも受け入れられるということだ。
夢を追いかけて イリン @irinn
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