第5話 傷心旅行への一歩

 ──がばっ。

  

「うう、うわあああっ!?」

「なっ、どうしたのです?

どうか落ち着いて下さい!」


 俺はベッドから目を覚まし、掛け布団を蹴落とし、上半身を起こし狂ったように叫んだ。

 さっきまで確かに何かがあったらしいが、うまく思い出せない。


 ただ一つだけ言えるとしたらよく分からない恐怖。

 俺はその意味不明な感覚におびえすら感じた。


 それと、やたらと腹がうずく。

 いつものTシャツとジーパンのラフな格好だったが、まるで腹部を鋭利なカラスのくちばしで切り裂かれ、中身を堪能たんのうされたかのような違和感が残っていた……。


****


「……大丈夫ですか。これでも飲んで。熱いから気をつけて下さい」


 ようやく正気に戻った俺に、側にいたピンクのフリフリ花柄ワンピースで、お洒落な黒ぶち眼鏡をかけた少女が俺に白のマグカップを手渡す。

 湯気をたてた温かいマグカップの中身は茶色のコーヒーで満ちていた。

 

「君は誰だ?」

「はあ?

何を言ってるんですか?

私は晶子しょうこですよ……まあ、無理もないですが……」


 晶子と呼んだ彼女の最後の言葉は小さすぎて、よく聞き取れなかった。


「やっぱり何かあったんだな。詳しく説明してくれないか?」

「いえ……それを話して得があるとは思えませんが……」

「俺にとっては大事なことかもしれないから」

「分かりました。でも気分を害さないで下さいね。

……李騎りきはこの家の地下室で血まみれで倒れていたのですよ」


****


「……くっ、何か頭が痛い」


 俺はアイスを早食いしたかのような割れそうな頭痛に耐えきれず、毛布にくるまり、頭を伏せる。


「何で、あんなに血が流れていたのに関わらず傷口がTシャツだけにしかなく、さらにズボンも血まみれでしたが、体は何ともなかったのが不思議で……。

……でも、まあ、とにかく服は何とか着替えさせましたし、こんな世の中、色々ありますよね……」

「……なあ、すまないが、とりあえず、その現場に案内してくれないか?」

「えっ、もう体は大丈夫なのですか?

……それに今日は李騎のお母さんの火葬の日ですよ?」

「はあ? 火葬?

俺の母さんは死んだのか?」

「……何寝ぼけた事を言ってるんですか?

昨日、李騎もその場にいてお母さんの姿を見たでしょ」


 俺はベッドから飛び起きて、自室を飛び出す。

 何か胸騒ぎがしてならない。


 俺は晶子の言葉を振りきって無意識に階段を駆けおり、地下室へと辿り着いていた。


****


 木製のドアを開けた先には大量の血液を拭いたような跡。

 部屋も換気せんで空気の入れ換えをしているようだ。


 ふと、一本の木造の大黒柱と目が合う。

 その瞬間、俺の頭の中で電撃が走った。


『たっ、タケシー!!』


 あの時の状況が鮮明になる。

 そうだ、俺は母さんを失い、親父にここに誘われ、タケシによって痛い目にあわされ、最後はここで倒れたのだ。


 これは記憶喪失となった記憶を呼び覚ます能力、『メモリーズオン』だ。

 まだ俺には不慣れな高度な呪文だったが、万が一に備え、気を失う前に奇跡的に発動できた最後の賭けだった。


「こうしちゃいけない。俺もアメリコヘ行かないと」


 俺は大急ぎで自室に戻り、荷造りをしだす。


「今度はどうしたのですか?

お母さんを見送らなくていいのですか?」

「……ああ、あれは偽物だからな!

……ってやばっ、口が滑った…… !?」

「……それ、どういうことです?」


 晶子が眼前まで近づき、俺の瞳を真剣な表情で覗きこむ。

 それから眼鏡を外し、俺をギョロリとガンをつけた格好になり、こちらの背筋が凍りつく。

 明らかに怒った目つきである。


 そして、俺のベッドの布団をポンポンと叩き、隣に座らせる合図をとる。


「さあ、李騎。きちんと話を聞かせてもらいましょうか……」


 これは逃げられそうにない。

 俺は観念して、自分達が宇宙人なことは上手く隠しながら、細々こまごまと話す事にした……。


****


「……それで、お母さんに会いにアメリコヘ行くのですか……無謀むぼうな考えですね……」

「そんなの、やってみないと分からないだろ?」

「冗談言わないで下さい。ここの鳥々とりどり砂丘から海を越えたアメリコまで、どれだけ距離が離れていると思うのですか?」

「大丈夫さ、あんな騒動でも無傷だったラクちゃんがいればな」

「……いや、二人して太平洋で溺れるのが見えています。

船かボートがないと横断は無理ですよ……。

まあ、あっても免許がないと動かせませんが……」


 俺の思考に、とある気になった言葉が耳をさし、腕の動きがピタリと止まる。


「……ってニワトリの卵の卵白みたいにうまいのか?

もしや金の卵か?」

「……いえ、食べ物ではありませんよ。

はあ……これは困りましたね」


 晶子がスマホをぽちぽちと押しながらも、悩ましげな表情をする。


「……うーん、さすがに高すぎて船を買うのは無理ですが、今は船のレンタルができるようですね……問題は操縦できる依頼人が近辺にいるかですよね……」

「何だ、ラクちゃんに操縦させればいいじゃないか」

「ラクダがどうやって舵をとりますか!」

「いや、船のシステムと同化してな」

「そんなわけないでしょ。李騎は特撮番組の見すぎですよ。

もう……話がややこしくなるので少し黙っていてもらえますか?」

「はい、軍曹様!」


 あとは晶子に任せ、早速、大きめの青のリュックサックに物を詰めこむ。


 さて、まずは食料からだ。

 さんまの缶詰、赤貝の缶詰、桃の缶詰、

 缶詰、缶詰、缶詰、缶詰、

 乾パン……。


「いやいや、無人島に行くのではないのですから、こんなに缶詰は必要ないでしょ!

現地調達すればいいではないですか!」

「……ふむ、便利な時代になったもんだな」

「……いやいや、李騎の考え方が異常なのですよ……それより依頼人が分かりましたよ」

「ラクちゃん2号機か?」

「違います。だから、いい加減ラクダから離れてもらえますか!?」


 晶子が俺にスマホの画面を見せる。

 その画面には金髪のツインテールの元気そうな女子が、八重歯をちかつかせニカニカと笑っている写真が写っている。


 日本人とアメリコ人のハーフ。

 名前はロマー・チック。

 高校一年の16歳。

 身長168、胸はEカップでスタイルは抜群。

 青のGジャンをはおり、同系色のデニムパンツで麦わら帽子を被ったアメリコンな服装がさまになっている。


 さらに、彼女による追加のメッセージが載っていた。


『みんなヤッホー。

つい、このあいだにアメリコで船舶免許を取得したばかりの自称船乗りで航海士だよ。

まだ不馴れだけど、日本とアメリコヘの横断なら慣れているから、その行き先ならワタクシにドーンと任せとけ~♪』

 ……とプロフで紹介してある。


「ちなみに請求金額は……片道だけなら二万円ですね。やたらと値段が安いのが気になりますが、どうしますか?」

「そうだな。頼まれるか。それより……」


「……そんなにお金ないから貸してくれ」


 ずるずるすてーんと晶子がその場でひっくりこける。


「あっ、あなたは、どうしてそんなお金も持ってないのですか?」

「いや、この前TVゲームソフトのBBF7(バトルボンバーファンタジー7)リメイクを買ったからすっからかんでさ」

「また、ゲームですか。どうして生活費をけちるまでして買う必要があるのですか!」

「ふっ、知らないのか。そこに男のロマンがあるからだ!」


 晶子がやれやれと呆れ顔でトートバックから銀行の個人名義の通帳を出して、何やら見ている。 


「……まあ、いいですよ。今回は私が変わりに支払っておきますから。これはツケにしときますね。

……それから李騎と私の二人分の情報も依頼人当てのメールへと登録しておきますね」


 晶子がスマホの画面をトントンとタッチして、軽快に登録しておく。


「……あれ、今、二人分と言ったよな。ちょっと待て、お前も来るのか?」

「当たり前でしょ、李騎一人じゃ不安ですから」

「いやいや、さっき説明したよな。裏切りの親父とイカれた宇宙人なんだぜ。お前が来ても危ない目にあうだけだぞ」

「だからこそでしょ。一人で危ない橋は渡らせられないでしょ」


 この娘は可愛い顔に見あわず、考えがしっかりとして頑固な性格をしている。

 どうやら止めても無駄のようだ。


「分かったよ。その依頼人はどこにいるんだよ」

「情報からすると今は、あのオアシスがある街中に住んでいるみたいですね。それからその街沿いに海がありますよ」

「さすが、日頃オアシスで遊び回る都会人は違うな」

「何かトゲがある言いかたですね。それって誉めているのでしょうか?」

「もちのロンよ!」

「……私たち、まだ生まれてないですよね。それ、いつの時代のネタですか?」


 確か、俺のおじいちゃんがしょっちゅう呟いていた気がした。

 今の令和時代より、遥か昔の昭和時代に栄え、絶滅したダジャレと聞いた記憶がある。

 もちろん、おじいちゃんも宇宙人から人間に姿を変えてのびのびと暮らしていた。

 数年前に人間のかかる病気で亡くなったが……。


「さあ、そうと決めたら急ぎますよ。

この家の裏口からそっと抜けますよ」


 そういえば今は晶子の家族が見守っている俺の母さんの葬儀の真っ最中だ。

 だが、中身が偽物の母さんと知った以上、その火葬までは付き合いたくないし、時間の無駄だ。

 だとすれば晶子達の近親者にバレないようにこの家から抜け出すしかない。


 俺と晶子の考えは一致いっちしていた。

 だけど何で俺の家なのにこんなに詳しいんだ?


「行きますよ……」


 晶子の合図とともに俺たちは近親者のすすり泣きを耳にしながら、静かに廊下を抜け、俺は庭にあるラクちゃんにまたがる。


「ラクちゃん、頼むぞ……」


 俺は晶子が後ろに乗ったのを確認し、勢いよくラクダの手綱たずなをひき、そのまま走り出した。


「……あっ、待て、李騎君とどこへいくのかね!」


 そこへ、庭先で煙草を吸っていた喪服もふくの晶子のおじさんと鉢合わせする。


「お父さんごめんなさい。ちょっとばかり気分を癒すために二人で傷心旅行に行ってきます。

お母さんによろしく伝えてて下さい♪」

「おーい、父さんには意味が分からんよ。晶子、待ちなさい!」

「あっかんべーだ。待たないです。乙女心は複雑なんですー♪

……李騎、このままじゃ捕まります……。

しがみつきますから思いっきり跳ばして下さい」


「ハイよ、シルバー!!」


 俺は背中に当たる二つのたわわな膨らみを感じながら、持ち前のポケットティッシュを丸めて鼻の穴に詰めこみ、ラクちゃんのスピードを上げた。


 俺たちは砂煙にまみれ、あっという間におじさんの姿が豆粒になっていった……。


****


「いいのかよ、後でしかられるぞ?」

「それが怖くて長旅ができますか。それに昔から対面のある李騎が相手ですから、何かあっても大丈夫だと理解してくれますよ」

「本当、晶子の楽観さには参るよ……」


「ところで、何でティッシュを鼻に?」

「男の子も色々と複雑なんだよ……」

「?」


****


 まず目指すのはいつものオアシス。


 そこで街へと向かい、晶子の住む家で資金を調達してから、船を操縦できる依頼人がいる場所に行き、詳しい話をしてお金を払い、船に乗せてもらう。 

 

 それから、その船に揺られながら親父と母さんがいるアメリコヘ行くのだ。


 あと、あのイカれたタケシもギャフンと言わせないと気がすまない……。


 今、俺と晶子による長い旅が始まったのだった……。

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