わるつ~一人では曲は作れないけれど、一緒に居れば。
江戸川ばた散歩
第1話 ドラムのオズさん、ベースのマキノ君と出会う。
「本当に手に入れたのかよ!」
俺は電話の向こうの友人に向かって声を張り上げた。
『……うん、まあ、いろいろありつつも』
奴にしては珍しく、実にはっきりしない口調で言葉を返してきた。
「どんないろいろだよ」
『……うるさいな、いろいろはいろいろだ。とにかく明日集合!』
……何となくその口調に照れが混じっているような気がして、俺は背中に悪寒が走った。
*
だが何はともあれ、どういう「いろいろ」かは結局さっぱり判らないが、とにかくその翌日、俺は行きつけのスタジオに足を向けていた。
バイトの後に出向いたそのスタジオは、混み合う時間よりはやや前だったせいか、ずいぶんと静かだった。廊下の薄汚れたビニルタイルに張り付くような自分の足音が、露骨に耳に入ってくる。そしていつも使っている部屋の扉を開けた。
「あ?」
いくつかスタジオが入っているそのビルの中で、俺は一瞬自分が場所を間違えたのか、とも思った。扉を開けたら、低い音が耳に届いた。
小柄な制服姿の高校生が、大きな目を俺に向けていた。
俺はあ、すいませんと慌てて扉を閉めようとする。だが中に居た高校生は、その途端ぱっと駆け寄ってきて、その扉を押さえた。
「間違ってないよ」
え、と問い返すと、高校生は続けて言った。
「RINGERのオズさんでしょ?」
「ああ」
「俺も今日の集合に呼ばれてるの。俺、知らない?」
知らない? と問われても。こんな大きな、猫の様な目の奴は。
待てよ、と俺は記憶をひっくり返す。この日「RINGER」のリーダーにしてギタリストのケンショーに呼ばれて集まる予定なのは、ドラムスの俺と、あとは……
「俺、『SS』でベース弾いてたマキノだけど。覚えてない?」
「ああ……」
自己申告。そう言えば、そうだった。
言われてみれば、あの時、ずいぶん小柄なベーシストが、ずいぶんと凄い演奏をしていたのを思い出した。
だが顔までは記憶していなかった。あの時の打ち上げには、こいつは来なかったはずだし。
「……あ、ごめん、覚えてなかった」
「正直だね」
くすくす、とマキノは笑った。俺もつられて笑った。ややつり上がり気味の大きな目が思いきり細められる様は、何だか実家に置いてきた猫を思い出させた。ああ今どうしているだろう?
「オズさんも今日は一人で来たの?」
「うん? だいたい俺達はばらばらに来るよ?そんな女子高生のようなこと、いちいちするかあ?」
「ま、そうだね。今日はカナイもバイト済ませてから来るって言ってたから、やや遅れるかもしれないよ」
「へえ。バイト…… マキノ君は何かやってるの?」
「俺? うん、一応」
彼は肩を軽くすくめ、言葉をにごした。
そうこうしているうちに、無造作に髪をくくったケンショーがギターをかついでやってきた。
睡眠不足だか何だが知らんが、近眼のくせに眼鏡かける習慣がなくて目つきの悪い奴は、その度合いをパワーアップさせている。
「うーっす」
俺は手を上げて奴に合図する。低音の極地、とでも言いたくなるような声で、奴は同じ台詞を返した。
「ケンショーさん、カナイちょっと遅れるかもしれない」
「……ああ…… あ、お前、マキノ?」
奴は目を細めてマキノを見る。そのくらいすると焦点が合うらしい。いい加減眼鏡をかけろよ、と俺は口には出さずにつぶやく。
「うん。お久しぶりです」
……あれ? 何となく訝しく思う。俺にはタメ口利いてたはずなのに、ケンショーには敬語か?
「ああそう。じゃ、ま、いいか。奴とは一応、俺達顔合わせできてるから……」
はい、とマキノはにこっと笑った。あ、可愛い。
*
さて、この新しいメンバーの二人は仮名井文夫と牧野京介という名だという。この二人はつい最近まで、「S・S」というバンドを組んでいた。
つい最近まで、という但し書きを見れば判るように、現在そのバンドはない。まあはっきり言えば、俺達が壊してしまったようなものだ。
「S・S」は、先月、俺達のバンド「RINGER」が、アクシデントのせいでライヴが出来なくなった時の対バンだった。
さすがにあの時はびっくりした。その当時のうちのヴォーカリストで、ケンショーの恋人でもあった奴が、メジャーの話が来たところで失踪したのだ。
ところが、思ったよりは落ち込まなかった我がバンドのリーダーは、何故かこの対バンの音を聞いて、こともあろうに、向こうのヴォーカリストを入れたい、などと言い出してしまった。
何を考えているんだ、と俺はさすがに思った。
これまでも声に惚れて見境がなくなったことは多々ある奴だが、逃げられたからと言ってすぐに次を見つけてしまうあたりが。
……てなこと言っているうちに、今度はうちのベーシストが抜けてしまった。これもまたヴォーカル同様、メジャーへ行くことに不安を持ったらしい。
残されてしまった俺達だが、こちらがそうこうしているうちに、S・Sの方でも一波乱あったらしい。
どうもそれはケンショーと、このヴォーカルのカナイの間に何かあったらしいが……
妙なところで口の堅いこのリーダーは、その間にあったことは俺には言わなかった。あんまり聞いても馬に蹴られそうな気もするし。
十分くらいして、カナイもやってきた。
結構時間に遅れることを気にしていたようだ。駅から全力疾走してきたようにはあ」はあと肩で息をついていた。
「遅れてすいませ~ん!」
おおっ、と俺は思わず後ずさりしていた。でかい声だ。強烈な声だ。割れ鐘を威勢良くぶっ叩いた時のような感触が、その中にはあった。
「遅い、カナイ」
くすくす、と笑いながらマキノは友人にそう言った。
「仕方ねーだろ? バイト今日、手がなくて」
「駅前のミスタードーナツだっけ」
「ええ、そうですよ」
お、こっちは俺に対してやや敬語だ。
「そーゆー時は、隙を見て逃走してくるもんだ」
「俺あんたと違って真面目なんだよーだ。この時間、カウンター誰もいなくなっちまうって言うんだからさ、仕方ねーじゃん」
ぬかせ、とケンショーはくくく、と声を押さえて笑った。ありゃ。
「それにしてもマキノは練習熱心だな。確かお前、部屋防音だろ?」
「あ、そーですよ。ピアノあるから。でもやっぱりどーもウチでベース弾いても何か違うって感じが」
「ピアノあるの!」
俺は思わず訊ねていた。あるよぉ、と奴はうなづいた。ありゃ、またタメ口だ。
「弾けるんだ……」
「弾けるなんてものじゃないすよ」
カナイが口をはさむ。
「こいつ、俺と会った頃は、音大志望のばりばりのクラシック野郎だったんだから。一体どう道を誤ってしまったのやら」
「俺を口説き落としたのは一体誰でしたかねー」
「馬鹿やろ、駄目もとだったんだよ」
なるほど、と俺はこの二人の出会った状況を何となく推察していた。
それにしても、そのベースには、見覚えがあった。
高校生が持つにしては、ずいぶんとモノがいい。黒地に、螺鈿の模様が綺麗な曲線を奔放に描いていた。何って言っただろうか?細工の名前までは忘れたけれど、結構いいものだということくらいは俺にだって判る。
それに何処かで見たことがある。そんな気がしていた。だけどそれが何処だったか、俺には思い出せなかった。
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