虹を見にいこう 第7話『タカさんの店の周年パーティー』

なか

Chap.7-1

 胸がどきどきと高鳴っている。沖縄の方言で『ちむどんどん』とはそういう意味だ。

 タカさんが新宿二丁目でマスターを務めるお店の名前も『ちむどんどん』という。今、僕の心臓もまさにそんな状態。今晩はゲイバー『ちむどんどん』の開店記念日のお祝い、周年パーティーなのである。

「そろそろ行くわよ」

 スマホのメッセージアプリでタカさんと連絡を取り合っていたリリコさんが、顔を上げて僕らを見た。

「も、も、もうですか。心の準備がいっさい出来ていないんですけど……」

 緊張で声が震えてしまう。

「心の準備にいったい何時間かかってんの、一平くん?」

 そうユウキに笑われてしまう。

 ユウキの頬はチークでほんのりと赤味が差していて、つけまつげや口紅だってバッチリだ。栗色ショートヘアのかつら、胸元のざっくり開いたきらびやかなショー衣装を身につけている。若さ溢れる健康的な色気がユウキから漂っていた。

 かく言う僕も、純白に真珠のイミテーションがちりばめられたワンピースのドレス姿で、長く艶やかな黒髪のカツラをかぶっていた。

 そう、僕たちは女装姿でお店のあるテナントビルの非常階段に身を隠しているのだ。息をひそめて。何がどうなってこんな状況においこまれているのかと言えば――。

 ことの発端は八月にみんなで行った日本有数のゲイビーチ『台知久(だいちく)海岸』だった。リリコさんが車の運転をしてくれる代わりに、ユウキとの間に交わされた密約。それがタカさんのお店の周年パーティーで、女装姿で店子(お手伝い)をするという内容だったのだ。ユウキ、リリコさん、僕の三人揃って。

 もちろん僕はそんな取り決めがされたことなど知らなかったし、というか三日前まで知らされていなかったし、勝手な契約を結んだユウキを呪ったところで、『三姉妹の魅力で周年パーティーの主役の座を奪うわよ!』とやるき満々のリリコさんを今更引き下がらせることなど出来るわけだ。まさか自分が女装をする機会に恵まれようとは……。

 これもタカさんのためと自分に言い聞かせて、リリコさんにメイクアップをしてもらったのだった。

 化粧が終わっても頑なに鏡を見ようとしない僕に、

「いい加減に観念しなさいよ。それにしても、男好きのするエロい女に仕上がったわねえ」

 と、リリコさんが僕の姿を眺めて満足げに言ったのだった。

「肉っぽいっていうのかしら。結局男って、少しくらいぽっちゃりしている方が好きなのよねえ。あたしにはマネできないジャンルだから、羨ましいわ」

「ホントだねえ、一平くん女装が似合うとは思っていたけれど、まさかここまでのレベルとはね。ステキだよ、一平くん!」

 ユウキは僕の姿を見て、目をキラキラとさせた。

「あの……タカさんのお店ってゲイバーじゃないですか?」

「何よ、いまさら。そんなあたり前のこと」

「男好きのしそうなエロい女に仕上がっても、誰も食いつかないと思うんですけど」

「バカねえ、あんた。食いつくわよ。食いつくに決まってるじゃない。みんな女装が大好きなんだから」

「そうだよ、一平くんは、もっとオメカシした自分の姿に自信を持つべきだね」

 ユウキの励ます声にも、ため息しか出ない。

「平凡な顔の方が化粧栄えするってことよねえ。一平はまさに女装をするためにこの世に生まれてきた。天性の素質があるわ」

「それ褒めてるんですか、けなされてるんですか?」

「完全に褒めてるじゃない」

 腰に手をあてて不適な笑みを浮かべるリリコさん。確かに化粧をしていない普段のリリコさんも冴えない顔つきだよねと思った。声に出したら殺されそうなので、そんなこと言えないが。

 チャイナドレスのスリットからチラチラと見え隠れする白い肌、女王様のように貫禄のある大人の色気がリリコさんからほとばしっている。さすが本家の女装と言いますか。こうして化粧をバッチリして黒地に赤イナズマ模様が施されたショー衣装を着こなしたリリコさんはある意味カッコイイ。周年パーティーのような華やかな場では尚更だ。

 僕たち女装子の登場は、周年パーティー前半の見せ場になっていた。盛り上げられる自信なんて全くないが、そこは場慣れしたリリコさんや、若さと勢いのあるユウキが何とかしてくれるだろう。僕は僕でやれることをやるしかない。

 店に突入する良いタイミングをタカさんと連絡を取り合って確認していたのである。非常階段に身を潜めて。

 先頭を行くリリコさんと後から来るユウキの間に挟まれるようにして、足取りも重いまま、半ば強制的に店の前まで連行された。


『ちむどんどん』と書かれた木製の見慣れた看板には、紅型の模様をちりばめたお手製のリースが施されて、まるでクリスマスの飾り付けみたいになっている。手書きで『本日周年パーティー! お一人様2500円飲み放題』と追加のプラカードがぶら下がっていた。この看板だけじゃなく、パーティーのために店内へ飾り付けた装飾のほとんどが手作りだった。アットホームなパーティにしたいと、タカさんは寝る間も惜しんで準備を進めていたのだ。昨日は僕らも一緒にシーサーやハイビスカス、沖縄っぽい模様でカラフルなガーランドを吊したり、飲み放題用の酒やグラスの準備をした。周年パーティーが成功しますようにと祈りながら。

 リリコさんが勢いよく店の扉を開け放った。タイミングよくパパーン! と景気の良い曲が流れて、店内にいた客から歓声が上がった。カウンターの向こうで、オーディオを操作しているタカさんが親指を立てる。

 喧騒に一瞬にして包まれた。

「キャー、素敵!」と拍手喝采にまざる黄色い声。酒れした野太い声。音楽に乗せて始まる手拍子。それらが一斉に僕たちに向けられたものだってことにびっくりして、完全に頭が真っ白になってしまった。

 えっと、僕は何をどうすればいいんだっけ・・・・・・?

 狭い店内を人にもまれながら、とにかくタカさんのいるカウンターを目指した。

「はい、はい、女装が通りますよ~」とさすがリリコさんは手馴れた様子だ。ユウキも知った顔の客を相手に「いらっしゃいませ~」と女装子になりきって愛想を振りまいている。

 顔なじみの客の何人かが、

「お、一平くんカワイイね!」とか「似合ってるなあ。もう女装で売ったら?」なんて肩を叩いてくれたので、「あ、はい。ありがとうございます」と何とかぎこちない笑顔をつくることができた。

 たっぷり営業(?)をしながらようやくカウンターにたどり着いた頃には、早くも満身創痍な状態だったけど、「今日はよろしく頼むよ」とタカさんの笑顔にかろうじて救われた。今晩のタカさんは沖縄の伝統エイサーの衣装でねじりハチマキ姿だ。


『ちむどんどん』は店名に沖縄の方言が使われていることからもわかるように、沖縄がコンセプトのゲイバーだ。

 オリオンビールのちょうちんや、シールアイスの看板がぶらさがる店内。タカさん自慢のソーキ蕎麦や沖縄おでん、ミミガー等のちょっとした沖縄料理もメニューにある。

 店の様子は夏祭りのイメージに近いかもしれない。立ち並ぶ屋台を照らす色とりどりの灯り、人々の息づかいやワクワクとした気持ち。そんな気配を感じさせてくれるお店なのだ。

 今晩は僕らが飾り付けた装飾で、さらにお祭り気分が増していた。同居人のチャビも一緒に準備をしてくれたのだが、また風邪をぶり返したようで、今晩は家で留守番をしている。人がいっぱいいる場所は相変わらず苦手のようだし。お土産に栄養ドリンクでも買って帰ろうと思う。

 客からの注文で、鏡月のジャスミン茶割りを不慣れな手つきで作り始めた。ジャスミン茶を入れ過ぎたり、マドラーを取り落としてしまったりと、てんやわんやな僕をお客さんは急かすこともなく笑顔で待ってくれていた。

 馴染みのあるタカさんのお店でも、やはり客ともてなす側では全く違うものなのだと思った。女装することばかりに気をとられていたけれど、店子はただ酒を作っていればいいわけじゃない。ちゃんとお客さんの相手もしないといけない。

 僕とユウキの間に入ったリリコさんが色々フォローをしてくれるのが正直ありがたかった。いつもリビングで口紅をひいたりマスカラを塗っているリリコさんの姿に、ちょっと濃すぎるんじゃないか? と感じていた派手目の化粧もこうしてパーティーの席になると、ちょうど良いようにも思えた。店内を明るく陽気で、華やかなものにしてくれる。

 リリコさんは客の相手をしながら酒を作ったり、灰皿を取り替えたり、お店の中心にいるようで、一歩身を引いてテキパキと雑用をこなしていた。ときどき場を盛り上げはするものの、ちゃんと今日の主役が、お店とタカさんであることをわきまえていた。もっと言うとお客さん達が主役であるように振舞っていた。主役の座を奪うわよ、と息巻いていた割にソツなく裏方を努めるリリコさん。初めての経験にドギマギする様子を楽しんでもらうことで、何とか接客している僕とは格が違うなあとため息が出てしまった。


 タカさんのお店にやってくる客の年齢層は様々だ。二十代前半の大学生や新社会人もいれば、ずいぶん先輩にあたる年齢の人たちも来る。この店の雰囲気はちょっと特別なのだろう。夏に台知久海岸で遭遇したおケイさんが経営している店も近くにあるらしいが、そちらはキャバクラのような装飾だと誰かが言っていたし。

 ちむどんどんのお客さんには、沖縄出身の人も多い。いつか、常連の人がこんなことを言っていた。

『タカの店は、沖縄(ウチナー)のニオイと風を感じるんだよ』

 東京の真ん中にひっそりと懐かしく、素朴な沖縄の古民家が建っているような印象だと。そんな常連さんたちの話を聞いているうちに、出不精で本州を離れたことのない僕も、いつかタカさんの生まれた沖縄に行ってみたいと思うようになっていた。


 ユウキがこの日のために猛練習したという全然似ていないドリカムのモノマネを聴かされたり、タカさんが披露してくれた三線の演奏に拍手をしたり、もう開き直っていつもと同じように馴染みの人たちと雑談をしているうちに、いつのまにか僕自身も周年パーティーを楽しんでいた。ドレスを着て化粧をしてはいるけれど、他はいつもと一緒。普段より少し賑やかでみんな浮かれているが、僕の好きな『ちむどんどん』に変わりはなかった。


Chap.7-2へ続く

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