第45話 同志

 この世界にも風呂という概念はある。

 と言っても帝国ではそこまで一般的ではなかったが、俺の元実家――スカイフィールド家の屋敷には広い風呂が設置されていた。貴族だったからというのもあるが、そもそも叔父のクウラが風呂好きだったからだ。

 そして、この中華大国では帝国よりも風呂は一般的なものとして人々の間に広まっている。

 とは言い条、一般の民の家にあるような風呂はよくて五右衛門風呂のような小さなものらしい。

 だが、この村長宅にある風呂はけっこう広かった。少なくても前世の俺が住んでいたアパートにあったユニットバスよりは広い。

 四角い木製の浴槽は中々趣があり、日本人だった俺としてはスカイフィールドの屋敷にあった西洋風の風呂より、こうしたものの方が落ち着いたりする。


「ふぅ……」


 肩まで浸かると、今日一日の疲れが飛んで行くかのようだ。

 ……これでもまだこの中華大国に入って一日目なんだよなぁ。

 盗賊退治にファラウェイとの出会い。初日から濃い一日を過ごしたものだ。

 ……それにしても、あのファラウェイには困った。

 もちろん物凄く良い子だというのは分かっているし、とても可愛いのだが……しかし、あの積極性には成す術がない。

 そもそも前世で彼女がいたことすらなかった俺は、女の子の扱いというものが分からなかった。

 元々非モテ男の俺。それがいきなりあんな可愛い子に迫られても、狼狽えることしか出来ない……。

 ――それにしても、俺のどこがいいんだろう? その点については首を捻るしかなかった。

 自分より強い者を婿にするとか言っていたけど、それだけであそこまで積極的になれるだろうか?

 ……うーん。女の子の考えていることなんてよく分からない……。

 これまでの中でもかなりの難題に唸っていると、脱衣所の方で人の気配がした。

 ん? 誰だ? もしかして村長が一緒に入ろうとやって来たのかな?

 あれ? でも村長はオキクと飲んでいるはずでは……。

 嫌な予感がした俺は目を瞑り、【流体魔道】でその気配の正体を探る。

 この魔力の気配は……おい、ファラウェイ? 嘘だろ?

 慌て始める俺を他所に、脱衣所から風呂場に入って来たのは案の定、あの中華娘だった。

 タオル一枚だけで前を隠したその白い肌に一瞬目を奪われながらも、俺はすぐに湯船の中で後ろを向く。


「何やってんだ!?」


 俺は後ろに向かって声を張り上げた。

 すると返ってきた答えは、


「え? 一緒にお風呂に入りに来たヨ?」


 まるで当たり前のことのように言われた……。

 ……何で俺の方がおかしいみたいな雰囲気出してるの?


「ダ、ダメだろ、こんなの!?」

「ワタシたちはまだ子供同士、問題ないアルよ?」


 問題ない、だって?

 問題ないようで問題だらけな気がするのは気のせいか!?

 俺が返す言葉を失っている間に、ファラウェイは掛け湯をしてから湯船に入って来た気配があった。


「ふう、いいお湯ネ」


 くつろいでいる場合か!?


「いつまで照れてるネ。そんなに意識されたらこっちの方が恥ずかしいヨ?」


 ……え。もしかして本当に俺の方がおかしいのか?

 まあ、確かに十歳といえば、日本でもぎりぎり女湯に入れる歳ではあるし……。

 ……やっぱり中身が元三十九歳のおっさんだと、感覚がおかしくなっているのだろうか?

 いや、でも、今の俺の肉体と精神は十歳の少年のそれであることは間違いないことだし……。

 などと悶々としていると、お湯に波紋が広がり、ファラウェイの方から隣にやってくる。

 思わずそちらを見てしまうと、そこには青みがかった黒髪を後頭部でお団子にまとめたファラウェイの姿があった。


「ふふ、やっとこっちを見てくれたネ」


 彼女は俺に向かって微笑む。

 ……ヤバい、鬼かわ……。

 ファラウェイは肩まで浸かっているので、体は湯船に隠れて見えない。良かったような、残念なような……。

 辺りを照らしているのはカンテラに灯った火の薄い明かりだけ。目を凝らしても湯船の先までは見えない。……目を凝らすなよ、俺……。


「いい月ネ」


 ファラウェイが眺めている方に視線をやると、窓の外に真ん丸の月が見えた。

 満月。と言っても、この世界の月は常に満月なのだが……。

 俺の世界にあった月よりもやや青みかかっており、大きさも大きめの月。

 ……前々から思っていたことだが、月があるということは、俺が立っているこの大地も惑星なのだろうか?

 しかし常に満月ということは、まったく別の何かなのか? 俺は未だその辺りに確証が持てないでいた。

 まあ、今の俺にはどの道、知る術がないし、他にやらなければならないことがある。だからこの問題については一先ず後回しにするしかない。

 ちらりと横に視線を戻すと、まだファラウェイが月を眺めていた。

 月明かりに照らされた少女の横顔は、いっそ神秘的でさえある。

 俺はふと、疑問に思ったことを口にした。


「なあ、ファラウェイ。君はどうしてその若さで旅をしようなんて思ったんだ?」

「ん?」


 ファラウェイの目がこちらを向く。

 しかし何か考え込むように目を閉じ、再び目を開けた時、彼女は再び月に視線をやっていた。


「色々あたアル。でも……一番の理由は、ワタシが家にいない方が良いと思たからネ」

「え?」


 ……家にいない方がいい? それはどういうことだ?

 訝しく思っていると、彼女は続けて説明する。


「勘違いしないで欲しいアル。家族には愛されていたヨ? でも……だからこそ家を出た方がいい思たネ」


 家族に愛されていたのに家を出た? それこそ一体どういうことだろうか?

 疑問の視線を投げかける俺に対し、彼女は俺に視線を戻すと真面目な顔で謝ってくる。


「今はこれ以上詳しい話は出来ないアル。……ごめんネ?」

「あ、いや、いいんだよ。謝る必要なんてない」


 そりゃそうだ。無理矢理聞いたのは俺の方なのだから。

 しかし、ファラウェイは続けてこう言った。


「でも、どの道、ワタシはこの目で外の世界を見てみたかたネ。だから家を出たことに後悔はないヨ?」

「へえ、じゃあ、俺と同じだ。俺もこの目で世界を見てみたかったんだ」

「ほんとアルか!? だったらワタシたち、やっぱり気が合うアル」


 ザバァッ!!

 ファラウェイが勢いよく湯船から立ち上がった。

 そのせいで、


「ま、まま、丸見え……!?」


 俺の指摘に、彼女は照れた顔で再び湯船に浸かる。


「あいや、さすがにはしたなかたアル。ごめんヨ?」


 ま、まあ、謝る必要なんてないですけど……。


「でも、エイビーも世界を見るために家を出たいうのはホントアルか?」

「あ、ああ。まあ、もっとも俺は家を追い出されたんだけどな」

「ほあ? 追い出された、ネ?」

「う、うん。色々あって、さ」


 俺が言い澱んでいると、ファラウェイがグッと拳を握って近付いてくる。


「理由は知らない。でも、エイビーを家から追い出すなんて、そいつはバカアル」

「え?」

「もしその人がエイビーの大事な人だったらごめんネ。でも、そいつはバカアル。ワタシはそいつが嫌いネ」


 ファラウェイの顔はどう見ても怒っていた。まるで自分のことのように。

 やっぱりいい子だ……。

 俺は何だか彼女のことが愛おしく思えた。

 もしかしたらこの子の言う「世界を見たい」と、俺の言う「世界を見たい」は意味合いが違うかもしれない。

 それでも多分、俺たちの根本の考えは似ている。俺はそれがとても心強く感じた。

 同じ考えを持つ者に出会えるというのは、これほど嬉しいものなのか……。


「ファラウェイ。世界を良い方向に導こう」


 俺がそう言うと、ファラウェイは驚いた顔をしながらも、力強く頷いた。


「ああ、分かたネ。ワタシたちは同志ヨ」


 ファラウェイは手を差しだしてくる。

 俺はぎゅっとその手を握った。まるで古くからの友人のように、俺たちは固く手を握り合う。

 ……同志、か。いい響きだな。俺とこの子の関係を形容する言葉として、これほど的確な言葉はないだろう。

 出会った時間は関係ない。志を同じくする者は強く惹かれあうものだということを、俺は初めて知ったのだった。



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