第15話 【悪童】現る

 あれからさらに一年。

 八歳になった俺はさらに成長した。

 ストロベリーという稀に見る武人に師事したことで身体能力は格段に上がり、近接戦闘の技術も上達し、さらには瞑想も続けているので【流体魔道】で扱える魔術の幅や魔術の威力も上がってきている。

 それに応じて身体強化の魔術も運用効果が高まっているので、恐らく今の俺はそんじょそこらの戦士には近接戦闘だけでも負けないと思われた。

 恐らく順調だと思う。


 だが――それでも怖い。努力を止めるのが。


 努力を止めた瞬間、人生に絶望した前世のあの瞬間が蘇る。

 だから俺は努力を止められない。

 いずれにせよ俺は帝国一の魔術師と言われる叔父を超えねばならないのだ。どの道、それまでは努力を止めるわけにはいかない。

 もっと強くならなければ。

 そうやって気持ちを新たにした――そんな時だった。

 彼がやってきたのは。



 **************************************



 いつも通り見晴らしの丘にやって来た俺は、ストロベリー師匠の姿を探す。

 しかし彼女の姿は見えなかった。


「師匠はまだ来ていないのか。少し早く来過ぎたかな」


 俺は腰の鞘から師匠から買ってもらった剣を抜き放つと、


「よし! 素振りでもするか」


 師匠がいなくても自主練習する。俺ってばとても良い弟子ではなかろうか?

 ストロベリー師匠、褒めてくれないかな? 俺は彼女に頭をわしゃわしゃされながら褒められることを期待して剣を振り始めた。

 が、そこでふと我に返る。

 ……いや、待て。俺は何を普通にあの子から頭を撫でられることを期待しているのだ?

 だってそうだろう。俺は精神年齢で言えば前世から合わせて47歳だぞ? 47歳のおっさんが十四歳の少女からよしよしされることを期待しているとかマジでヤバい。前世の俺だったら間違いなく通報している。

 ただ、精神は肉体の影響を受けるという話を聞いたことがある。つまり八歳の肉体を持つ俺の精神は、その幼い肉体の影響を受けているということだ。

 実際、今の俺はとてもではないが自分の精神年齢が47歳だとは思えない。

 もちろん今の精神年齢が八歳というのは無理があるが、それでも今の自分がおっさんだとはどうしても思えないのである。

 言ってしまえば若さと前世で得た三十九年の経験のいいとこ取りをしている感覚だろうか?

 そういった点で言えば、今の俺がストロベリー師匠のよしよしを期待していることはけして不自然ではなく、むしろ自然。

 こうして俺はストロベリー師匠からよしよしされる論理を正当化したわけである。

 よしよしされたいなぁ。

 そんな妄想をしながら剣を振り続けていると、突如声が響く。


「よぉ。お前がエイビー・ベル・スカイフィールドか?」


 声がした方を見ると、草原の中に一人の少年が立っていた。

 歳は十歳くらいだろうか? 顔付きは少年のそれではあるものの外見年齢に比べて背はすらりと高い。

 赤髪で顔付きはかなり整っているが、どこか粗野で荒々しい雰囲気がある。

 それにしてもこいつ、いつの間に……。

 彼はまた口を開く。


「てめーがエイビー・ベル・スカイフィールドかって聞いてんだよ。耳遠いのか? あ?」


 ……取りあえず態度は悪いな。こちらを見下したような笑みからは友好的な雰囲気は微塵も見られない。


「……それに答える義務はあるのか?」


 俺は言い返してやった。

 すると彼は皮肉気に口の端を吊り上げ、


「言うじゃねえか。【魔力ゼロ】如きがよお」


 ……ふうん。とっくにこちらの素性を知っているわけね。

 ……というか誰だこいつ? 何なの?

 単なる冷やかしだろうか?


「……修行の邪魔だからどこか行ってくれないか?」

「いやだね。ここがお前の土地だっていう証拠はあんのかよ?」

「……ここは一応スカイフィールドの領地だけど?」

「それはお前の父であるクウラ・ベル・スカイフィールドの物だろうが? けしてお前の物じゃねえだろ」

「それでも所有権はこちらにある。どこの馬の骨とも知らないあんたよりもな」

「さっすが【魔力ゼロ】だぜ。父親の威光にすがらなきゃ俺一人どうにも出来ないのかよ? だらしねえ坊ちゃんだな」

「………」


 いや、もう普通に邪魔なんだけど?

 マジで何なのコイツ?

 めっちゃ煽ってくるけど別に何とも思わないよ? そこら辺は精神年齢48歳だから、ガキに何言われようが何とも思わないのだ。

 仕方ないので大人の俺から引いてあげることにした。


「だったらご自由にどうぞ」


 俺はそう言って彼から離れる。


「おいおい、逃げるのかよ? さすが【魔力ゼロ】、臆病者だな」

「………」

「ここまで言われて何も言い返しもしないのかよ? どれだけ腑抜けなんだてめえ?」

「………」

「はっ! あの【武神】が稽古つけてるっていうからわざわざ見に来てやったってのに、とんだ期待外れだぜ。あの女も見る目が落ちたな」


 ……なに?

 その言葉は聞き捨てならなかった。

 俺は自然と足を止めてしまう。


「……なんだと?」


 別に俺が何を言われる分にはどうでもいい。

 だが、俺のせいでストロベリー師匠の評価が落ちるのは我慢ならなかった。

 目の前の少年はニヤリと笑うと、


「あの女も見る目がないって言ったんだよ。それとも家の都合で仕方なくお前の面倒を見てやってんのか? それはそれで期待外れだがな。……いや、待てよ。そうか、そういうことか」


 赤髪の少年は俺に意味ありげに厭らしい笑みを浮かべて、


「あの女、お前が目的だったわけだ。年下の力のない少年を自分のもんにしたかったと、そういうわけだな。はっは! こりゃ傑作だぜ! 【魔力ゼロ】の玉を手玉に取ってたわけだ。まったく、とんだアバズレだぜ、あの女はよ。何が【武神】だ。単なる【淫乱】じゃねえか」


 こいつ……許さない。

 気付けば俺は地を蹴っていた。

 全力で身体強化の魔術を使い、赤髪の少年目掛けて殴りかかる。

 一瞬で距離を詰めた俺に奴の顔が引き攣るのを見た。

 俺は構わず右の拳を振るう――が、驚いたことにその一撃は躱された。

 な……今の俺の一撃を躱しただと……!?

 俺は続けて左の拳も振るったが、驚くことにそれも躱される。

 そこからも距離を詰めたまま殴り続けるが、しかし一発も当たらない。

 これは間違いない……こいつも身体強化の魔術を使ってやがる!

 こんな奴が何故……!?

 ただ、急襲したことが幸いしたのか、向こうにも余裕が無いように見えた。

 俺は相手に付け入る隙を与えないように拳を振り続けるが、しかし、


「……ッ……いい加減にしやがれッ!!」


 奴がカウンター気味に拳を放ってきた。

 それを躱すとこちらが隙を晒すことになる。

 それに……こいつは一発殴らないと気が済まない。

 少なくても俺の師匠への暴言は絶対に撤回させてやる!

 俺はそのまま構わず拳を奴の顔に向けて放った。

 互いが互いのカウンター気味の一撃を食らえばただでは済まないかも知れない。

 だが、知ったことじゃない。

 こいつは絶対にぶん殴る!


「そこまでじゃ!!」


 その制止の声に俺たちの拳がぴたりと止まる。

 いや、強制的に止められた。今の声にはそれだけの魔力が乗っていた。

 横を見ればストロベリー師匠がいた。

 目の前のガラの悪い赤髪の少年が師匠をギロリと睨む。


「なんだよアネキ? 今いいところだったのによ」

「いたずらが過ぎるぞ、アレクよ」

「チッ、アレクって呼ぶなよな」


 ん? なんだ? 知り合いだったのか?

 目の前の少年はアネキと言ったが……。

 俺は目の前の少年から拳を離すと、


「もしかして師匠の弟さんですか?」

「ハッ、こんな奴が弟なものか。こやつの名前はアレク・ロウ・ブルッフェ。ブルッフェ伯爵領本家の嫡男じゃ」


 ……なんだと? ブルッフェ伯爵領の嫡男だって?

 ブルッフェ伯爵領は我がスカイフィールド領と師匠のパトリオト領とそれぞれ隣接している領地だ。

 そこの嫡男がどうしてこんなところにいる?

 それを聞いてみると、


「あ? 別に。【魔力ゼロ】がどんな奴か気になるから見に来ただけだよ」


 見に来ただけって……それだけで伯爵の嫡男ほどの身分の者が他国の領地内に入ってくるとは、どれだけフットワークが軽いんだよこいつ?

 しかも見たところまだ子供だ。それで護衛も付けずに他の領地に来るかよ普通。


「こいつはこういう奴じゃ。のう、アレク?」

「その名で呼ぶなって言ってんだろ。その名はもう捨てた。今の俺はショットだ。ショット・ロウ・ブルッフェだよ。よろしくな【魔力ゼロ】」


 ……名前を捨てた?

 踏み入っても良いのか分からないが、気になったので訊いてみることにした。


「なんで名前を捨てたんだ?」

「気に入らなかったからだ」

「……それだけで名前を捨てたのか?」

「それだけで十分だろ。気に入らないものを何で使い続けなければならない?」


 その答えに俺が呆気に取られていると、


「言ったじゃろ。こやつはこういう奴じゃ。自由を愛しておるんじゃとよ」

「そういうことだ」


 皮肉気に言う師匠にも構わず、ショットは誇らしげに胸を張っていた。


「しっかし、俺とあそこまで戦える奴なんて久々に会ったぜ。お前、見かけによらず中々やるな?」


 バシッと肩を叩かれる。


「それによ……へっ、お前中々見どころあるじゃねえか。自分が何を言われてもピクリとも眉を動かさねえくせに、アネキのためにあそこまで怒るなんてよ」


 何やらショットは褒めてくれているようだが、しかし肝心の師匠は苦い顔をしていた。


「だからと言って暴力を振るってよい理由にはならんわい」


 う……ヤバい。あれは怒っている時の顔だ。

 しかし次の瞬間、その顔がフッと緩むと、


「ま、まあ、ワシのために怒ってくれたのは嬉しかったが……」


 どうやら彼女はケンカになった経緯を見ていたらしい。

 ただ、顔を赤くして頬を掻く師匠を見て、ショットが悪戯っぽい笑みを浮かべていた。


「へえ、アネキも丸くなったもんだぜ。いや、それともまさか本当にこのガキに惚れて……」

「う、うるさいわっ!」

「ぐぼぉっ!?」


 反射的に放たれたストロベリー師匠の拳がショットの腹に埋まっていた。

 ショットは地面を転がると、腹を抑えて蹲る。

 その体はぴくぴくと痙攣しており、全く起き上がる気配がない。

 師匠は誰に対しても容赦がないんだなと思った瞬間でした。




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