第4話 夏休み(四)
少女が顔をあげた。
乳白色の肌にふっくらとした桃色の頬。大きな瞳に違いない眼を閉じていた。こぢんまりとした鼻。ほんのりとした朱色の口は笑みを浮かべていた。
まさに『テラ』級。真一にとって完璧に近い。
「
しかし、少女の笑みが次第に曇っていく。
「あなたは誰ですか?」と、明らかに嫌悪感を抱いた声で真一にたずねた。
「ボクが君を呼び出したんだ。だから……」
真一は震えた。そのあとに続く言葉、その言葉に心臓が激しく鳴った。真一が密かに憧れていた言葉。それをかみしめた。口にできるなんて幸福すぎる。
「だから?」
「……君のご主人さま」
妄想ではない。たしかに彼女を呼び出したのだから、それは紛れもない事実なのだ。
「はあ?」少女は、眼を細めてにらんだ。
「だから、ボクは君の……」と、いいかけると、
「真明様はどこにいらっしゃるの?」
「真明様?」
真一の祖父の名である。京都でお寺の住職をし、真一をニューヨークに行かせた張本人の一人だ。まさか、おじいちゃんにこんな趣味があったなんて、と真一は祖父を見直した。
「おじいちゃんは京都だよ」
「おじいちゃん? すると、あなたは真明様のお孫さんですか?」
真一はうなずいた。
「そう……」と、残念そうに口にした。
マンモスが雄叫びを上げた。
すると、マンモスの背中が輝きとともに裂けだした。中から巨大な蜘蛛があらわれた。その容姿は、体中にとげのような毛を生やし、八本の足は先が鋭くとがっている。顔はまるで鬼のようで、殺気に満ちた大きな眼は周辺をにらみ、口から長く伸びた二本の牙から唾液を垂らしていた。
「あら、牛鬼じゃない」と、少女は言った。「たしか、迦楼羅像に閉じ込められていたはずですが……」
少女は真一を睨んで、
「あなた、何かしました?」
そう言われて、真一は申し訳なさそうにうなずいた。
少女はため息をついた。
「そういうこと。わかりました。それでは、私のどこから食べますか?」
「え!」と、真一は声が裏返った。彼女の言っていることはわかる。でも、それはとんでもないこと。
「知らないのですか? 私を食べれば、私の力が手に入るのよ。それでも真明様はなんて残酷なんでしょう。私の気持ちを知りながら、孫に私を食べさせるなんて……」
少女の頬に涙が伝う。
「ムリ! そんなのできない」
「バカを言っているんじゃありません。早くしないとあなたが牛鬼に喰われてしまうんだから」
「……」
牛鬼が体を振って、マンモスの皮膚片を振り落とし、真一達を見た。
五十センチの少女に見憶えがあったらしい。
「誰かと思えば、
「久しぶりですわね。おなつかしゅうございます」
「黙れ! 俺は何百年も木偶のなかに閉じ込められていたんだぞ。あのとき、お前もいたはず。この恨み、きっちりと晴らしてやる」
牛鬼は再び吠えると歩きだした。
少女が真一の服を引っぱる。
「早く食べなさい。私の力だけでは牛鬼を倒すことはできないのです。でも私を食べると式神の力を備えることができ、超人的な力を得えられるのよ。そうすれば牛鬼なんて目じゃないわ。さあ、早く私を食べなさい!」
少女が怒った口調で叫ぶ。
「ボクにはできない。……そうだ。護符なら大丈夫だ。護符に戻してなら飲み込める。それならボク、得意だから」
真一は六歳の頃から護符を毎日欠かさず口にしていた。
ちょうど小学校の一年の時だった。家の裏にあった小さな祠を壊してしまい、父親に激しく怒られた。その日から父親に言われ、万が一のために護符を飲んでいる。万が一ってどういうことなのか知らなかったが、怖くて聞くこともできずに毎日飲んでいた。修学旅行の時も林間学校の時も誰にも気づかれないように隠れて飲んでいた。
「あなたに私を護符に変えれるの? それができるのは真明様だけ」と一蹴された。
いたいけな少女を食べることなんてできない。正直、少女に興味がないというと嘘になる。机の引き出しの奥には親には見せられない二体のフィギュア――魔改造の――を隠してある。コミケでどきどきしながら手にいれたものだ。
「早く私を食べなさい!」
「うるさい! 黙れ!」
――ダメだ、ダメだ。いくらなんでもムリ。絶対にムリ――
牛鬼が迫ってくる。
真一があきらめかけたとき、牛鬼が立ち止まった。いや動けなくなったというのが正しい。マンモスの足元が窪み、再び圧力がマンモスを押しつぶそうとしている。
衣服は破れ、傷ついた肌をさらけ出し、口から血をたれたアンジェリーナがマンモスの頭上高くから、両手のひらをマンモスに向けてる。
「あの胸ばかり大きくて頭の悪そうな女は誰ですの?」
50センチの少女が、妬みを含めてたずねた。
「知らない」
何が気に入らないのか、明らかにアンジェリーナを忌み嫌っているようである。
「そうだ。今のうちに牛鬼を結界に封じ込めよう」
「あなた、結界の張り方を知っていますの?」
「うん、おじいちゃんに教えてもらっている」
真一はおじいちゃんからもらった結界のメモを少女に見せた。
「ダメですわ。全然ダメ」
「どうして?」
「こんなの初心者用の結界じゃない。こんなので牛鬼を封じ込められないわ」
「今までこれで封印してきたんだ」
「運がよかっただけですわ。これではダメなのです」
「でも、これしか知らないんだ」
「だから、私を食べなさいって、言っているでしょ!」
「それはできない」
「じゃあ、どうするんですか?」
真一は考えた。
「そうだ! ボクはもう一つ結界を知っている。おじいちゃんのお寺の結界だよ。おじいちゃんが結界を張りなおすのを何度も見たし、あれならボクにもできるよ」
「あなた、バカですか?」
「え!」
「あなたに、あの結界がはれるわけありません」
「どうして?」
「何も知らないのね。あなた、本当に真明様の孫なの? それともタダのバカですか?」
「……」
「藤原家に千年近く、お仕えしていて、こんなバカな子孫に出会ったのは初めてです」
「バカ、バカって何度もいうな!」
「いい、あの結界は心技体とも鍛え抜かれたごくわずかな陰陽師しかできないの。その鍛え方もハンパじゃないし、修行中に命を落としてもおかしくないぐらいなの。しかも一子相伝の奥義だから、あんたになんかにできるわけないの、わかった?」
「でも、他には……」
アンジェリーナの苦しそうな顔が見える。先ほどのダメージがまだ残っているらしい。もう限界に近い。
真一は決めた。
「やってみるよ。他には方法がないんだから……」
「どうなっても知らないわよ」
リュックから護符を取り出して左手にもった。右手には五鈷杵を握りしめ、牛鬼を見据えた。
それを見て、無邪鬼はため息をついた。
「いいわ。私も手を貸してあげます」
無邪鬼は腕を前に出し、手の平を上に向けた。十本の指先に赤い火が灯った。火は次第に大きくなっていく。天井にも届く火柱になると、無邪鬼は牛鬼に向けた。火柱は鞭のようにしなり、牛鬼に絡みついた。炎は牛鬼を囲み、燃え上がる。
炎と重圧のなか、牛鬼は悲鳴をあげた。
真一は結界を張り始めようとしてやめた。そして、言いにくそうに無邪鬼にたずねた。
「あのぉ……それで何に封印すればいい? 元々、封印していた仏像は無くなったし……」
無邪鬼は、うんざりして答えた。
「手に持っているものがあるでしょう?」
真一は、護符を見た。
「違う! 反対の手!」
無邪鬼に言われて、五鈷杵を見る。
「それ、真明様の五鈷杵でしょ? だったら、それで十分よ。わかった?」
真一は気を取り直して深く息をすると、静かに眼を閉じて唱えた。呪文はうる憶えであったが、記憶をたどり詠唱する。五鈷杵を額に当て、牛鬼に向かって歩き出す。傍までよると一枚の護符を床に置き、五鈷杵で突き刺した。護符は青白い炎を立て燃えはじめる。場所を変え、再び護符を突き刺し、青炎を灯した。
周囲に結界が張られていくのを、牛鬼はただじっと睨みつけるしかできなかった。躯を圧し潰そうとする重圧と焼き尽くそうとする炎で身動きがとれない。歯がゆく、口惜しく、ただ睨み続けていた。
真一は十二枚の護符を張り終え、結界から少し離れて、なお唱え続けた。体のいたるところが軋み出した。心臓が締めつけられるようで苦しい。頭の中に何本もの矢が刺さったような痛みがする。気を抜けば意識が飛んでしまいそうだ。
十二枚の護符の炎は次第に高くなり、人の高さにまでなると、炎は十二人の甲冑を着た武将に変化した。武将の中には顔が異形のものもいて、その形相は周りを威圧するほどの迫力があった。
ただ彼らは三等身だった。大きな顔に太ったお腹、短い足がその威圧感を失わせた。
「なに、あれ? あんな十二神将、初めて見ましたわ。さすがね」と、無邪鬼は炎を牛鬼に向けながら大声で笑った。
笑われながらも真一は唱え続けた。
三等身の十二神将。それでも、その力は絶大だった。牛鬼の体を縛り上げ、縮まらせた。
苦しむあまり牛鬼は躯の中のものをはき出した。血や胃液、一部の臓器ともにウェルバーまでも搾り出す。
牛鬼の体は丸くなり、その球形の体もさらに小さくなっていく。大型トラック一台分の大きさだった躯が野球ボールの大きさになり、ビー玉の大きさになり、最後には消えて無くなってしまった。
真一の結界は牛鬼を封印するどころか、消滅させてしまった。封印のために五鈷杵は必要なかった。
懸命に攻撃をし続けていたアンジェリーナも力尽きたのか床に落ちた。倒れたまま気を失っている。
真一は意識が薄らいでいくなか、
――やった! ボクはやったんだ。やり遂げた。こんなうれしいことはない。 パパ、ママ、おじいちゃん。ボクはやったよ。こんな気持ちは生まれて……――
糸が切れたように真一は倒れた。
無邪鬼は真一の傍に立って見下ろした。
「まさか、できるとは思ってもいませんでした。さすが真明様のお孫様。あの世で自慢すればいいわ、牛鬼をやっつけたって」
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