お試し、アリかも?
知
【本編】
前日(1)
人生いつ何が起こるかわからないとは言うけれど。
「………………」
そうかそれはこんなときのこんな状況を表す言葉なんだな、とガンガン痛む頭の片隅でうっすら納得などしてみる。
納得できたところで、この信じがたい光景に変化もなければ誰かの親切な解説が降ってくるわけでもないのだが……。
眼球の稼働範囲を最大限に活用して周囲を見回してから、
(そうだ……昨夜飲みすぎて……)
ダルさマックスな全身と釘でぐりぐり攻められているような頭痛。
カーテンの隙間から差し込む光から察するに、間違いなく今は朝である。
それはわかる。
わかる――のだが……。
(でも……なんで?)
何度考えを巡らせても思い出せない。
わからない。
一向に呼び起こされてこない昨夜からの記憶と、そして……。
そして……見覚えのない部屋の見覚えのないベッドにいる自分が、なぜ裸なのかということ――――。
(……と、いうことは)
壁紙と同じアイボリーの天井を睨んでいた視線を、ちろりとすぐ傍らに落とす。
(
細心の注意を払って目線だけを動かしたにもかかわらず、どんよりと前頭部に停滞した痛みが、いっそう激しさを増して波のように打ち寄せてきた。
「いっ……たたたた……」
このテの痛みには覚えがある。明らかに、完璧な、紛うことなき二日酔い。
が、ここまで激しいのは初めてだ。
酔って記憶をなくすという経験は残念ながらこれまでにも数回あったが、「ここドコ?」状態はもちろん初めてで……。
(しまったなぁ……。そんな無茶な飲み方したっけ……?)
あまりの痛みに涙をにじませながら、隣でスヤスヤ眠る男を恨めしげに眺める。
こっちは頭が痛くて死にそうだというのに、気持ち良さそうに寝やがって!……とつい手が出てしまいそうだ。
それにしても――
(コレ……誰だろ?)
あらためて、上半身裸(わざわざ布団を捲って下半身がどうなってるかを確かめたいという衝動はさすがに起こらない……)で熟睡している知らない男の正体に意識を向かわせる。
細くやわらかそうな濃茶の短髪。
布団から見え隠れする肩や首周りはたくましいとは言い難く、ぐっすり寝入っている顔もどちらかと言うと繊細そうな……。
見れば見るほど――――知らない男だ。
この見覚えのないこざっぱりした部屋もおそらくこの人物のものなのだろう。
玄関とそこからすぐの狭いキッチン、そして向かい側にあるおそらくバスルームへと続いているだろうドアまですべて、今いるリビングから見渡せてしまう、いかにも一人暮しという間取り。
シンプル、というよりは質素なテーブルにベッド、それほど大きくないチェストが2つ……と家具も必要最小限に抑えられているらしい。
引っ越し直後とか?とぼんやり考えながらテーブルに視線を戻す。
閉じられたノートパソコンの上に二冊の本が置かれていた。
(『教育原理』と『子どもの発達』? ……学生?)
それにしてもモノが少ないような、と再び巡らせかけた視線が、一瞬にしてフローリングに釘付けになる。
昨日着ていたお気に入りの夏物スーツと、この男のものと思しき服が、無造作に絡み合うように脱ぎ散らかされていた。もちろん――下着も。
(な、なんであたし……)
あらためて、頭痛と一緒に目眩まで襲ってくる。
(……な、何があったんだよおお……!?)
答えなんて一つしかないじゃん、と一人ツッコミしたくなるほどわかりやすいこの状況に、ガックリと肩を落とした時だった。
「ん……カ、オリさん?」
覚めきらない目を擦りながら、隣の男。
ぼうっとしたまま上半身を起こしつつ、ろれつの回っていない舌でなおも続ける。
「……はよー……ござーます……」
低すぎない柔らかい声。
猫っ毛なのだろうか。ダイナミックに寝癖がつきまくり、細い濃茶の髪の毛はあちこちぴょんぴょん跳ねている。
「お……おは、よう、ございます」
顔を引きつらせながらも、律儀に挨拶を返してしまった。
(まだ寝ぼけてるっぽいし、この隙に逃げたほうがいいのか……?)
今さらかもしれないが、たっぷり確保した布団で体を――肩まですっぽり――隠し、なるべく相手との距離をとろうと、狭いベッド上をジリジリと後退する。
といってもすぐ後ろは壁。服も玄関も反対側、つまり男を挟んで向こう側にある。
要するに、逃げ道はなかった。
(い、いや……変に刺激してこのうえ何かあっても困るし……。それに……そうだ、ホラせめて、昨夜の真相を確かめてからでも……)
我ながらあきらめが悪いとは思うが、知らない男とのナニカなんて、実は、絶対、これっぽっちも、なかったのでは!? と思いたいではないか。
――――が。
その淡い期待は儚くも一瞬にして崩れ去ることとなった。
やっと焦点が合ったのか、顔面蒼白で壁に貼り付く花織を見、男が真剣な顔で詰め寄ってくる。
「大丈夫? 花織さん具合は?」
完璧に目が覚めたらしい。
優しげなトーンのまま、心配そうに、ごく自然に手を伸ばしてくる。
「ひゃ……っ」
壁を背にびくりと肩を揺らした花織の額に、大きな手のひらが触れた。
「まだ頭、痛い? あれっ、取れちゃったか。……どこ行ったんだろ」
「――――」
火照った顔と頭痛に、わずかにひんやりとした手のひらがとても心地良かった。
――じゃなくて!
「……あ、ああああの……っ」
せっかく開けた間合いをほんの二秒で詰められた挙句、いとも簡単に触ってこられた現実に、思わず声が裏返ってしまう。
「だ……あ、あああなた、誰……っ?」
花織の額にあてた手のひらはそのままに、キョロキョロと何やら探していたらしい男が、え、と呟いて顔を上げた。
「…………花織さん、覚えてないの? ゆうべのこと」
「ま、まったく……」
慎重に首を横に振ると、男は一瞬だけ微かに眉を寄せたかと思うとまた一気に詰め寄ってきた。
「だって花織さんあんなに……っ、俺すごい感動して――」
(――あんなに、何をしたっていうんだ!? 何に感動したと!? ていうか近い近い近い! は、ハダっ裸がががが)
「そっかあ……」
至近距離で晒されっぱなしの鎖骨やら胸筋やらにドギマギする花織をよそに、この世の終わりでも見たかのようなショックで目を見開いていた男が、ついにがっくりと項垂れた。
「花織さんかなり酔ってたもんな……。あ」
落とした視線の先で、何かを見つけたらしい。
「あった」
布団とシーツの間から拾い上げた熱冷ま◯ート。
その先にくっついていたらしい物体がぷらーんと二人のすぐ目の前に垂れ下がった瞬間、その場は真空と化した。
「あ」
「……きっ」
床に落ちている衣類やブラ同様、確かに昨日自分が身につけていた……シェルピンクのショーツ。
「きゃああああああああああああああっ!」
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