第36話 海とそれから
色々と情報量が多すぎて頭が混乱しそうではあるが、俺と同じ転生者で俺を探っている可能性もある、ここはもう少し詳しく聞くべきだろう。
こんな話を聞いて、結構すんなりと受け入れてしまっている俺の反応も鏡花さんにとっては何らかの違和感を覚えさせるかもしれない。俺の正体がばれることでどんな影響がでるのか分からないからな、少しだけ意識して会話を続ける。
「思い込みとかそういう話ではないんですか」
「だったら私も良いんだけどね。でも、もし思い込みじゃなかったらって考えると怖くない?」
「まぁ、そうですね。ちなみにどんな感じでお亡くなりになるんですか」
「それがね、私も良く分からないの。さっき細かい記憶は思い出そうとすると霧散するみたいなこと言ったじゃない?でもその記憶だけはぽっかり空白があるように思い出せないの」
「えっと、それならなんで死んじゃうって分かるんですか?」
「空白の時期があって、その後、急に真っ暗になるの。これって可笑しいでしょ。急に真っ暗になるのよ」
両手で体を抱きしめるように震えながらも鏡花さんはそう答える。そこの記憶だけ空白になってしまうというのは少しだけ気になる部分だ。俺と似たような感じで清川奈々ルートの記憶が抜け落ちてしまっているみたいな制限なのかもしれない。
「その死んでしまうかもしれないっていう空白の時期はいつからなんですか」
「中学の卒業式から高校入学までの間。とりあえず、高校で過ごした記憶は一切ないの」
「っ!」
流石の俺もこれには言葉を失う。鏡花さんは今中学3年生。今が8月、高校入学シーズンは来年の4月だから多く見積もって7カ月ちょっとの期間だ。俺よりも状況がやばい。
「もうすぐじゃないですか」
「うん、そうだよ。だからね、私半分諦めてるの」
「……あぁ」
「これで私がさ、本当に死んだらさ、私の話を嘘だって信じてくれなかったみんなも驚いてくれるかな」
先ほどの自分の死に対して怯えていた様子はどこにいったのか、鏡花さんは満面の笑みを浮かべている。
これは病んでますね。たまにしか反応しない俺の危機感知センサーが唸り声を上げている。十中八九病んでる。というか病まない方がおかしいよな。
どうしよう、ちょっと逃げたくなってきた。
「でも、あれだね。こんな風に真剣に聞いてくれる人あまりいなかったから、ちょっとだけ気持ちが楽になったかも。やっぱり話して良かった」
「……それは、良かったです。あの、家族とかには話していないんですか。叔父さんとか、妹とかその辺」
清川家にいる叔父さんならこの世界の事情を細かに話せないという制限があるにしろ、何かしら対策をしていてもおかしくはない。もしかしたら、今日の海での出来事も仕組まれていたりして、いやないか、春斗の思いつきで来たんだし。
「叔父さんに会ったことあるの?」
「あ、はい。この前、おじゃました時に……」
あれ、これ言っちゃまずかったか。
「……人が来てるときは出てくるなって言ってたのに」
めっちゃ嫌そうな表情になっている。確かおっさんもあんまり関係は良好ではないてきなことを言ってたな。
「はあ、会ってしまったのならしょうがないか。あんまり他の人には言わないでね。私も色々と恥ずかしいの」
「了解しました」
「……家族には言ってないよ。奈々はあんなだし、理解するまでに数年とか、多分理解した時にはすでに私死んでるよ」
ああ、確かに。納得納得。
「叔父さんにも言ってない。……なんか、あの、あれだし」
どんだけ信用ないんだよ。あのおっさん。
「家族にも話さないような事、よく俺に話してくれましたね。多分ですけど、これまで鏡花さんがこの話をしてきた人たちは割と親しい人たちですよね。俺みたいな良く分からない小僧に話して良かったんですか」
「正直言うとね、君も私と似たような感じだからだと思ったからかな」
「……ん、はえぇ?」
やばい、変な声出ちゃった。
「何か知っているからこんな風に君も私に近づいてきたんじゃないの、違う?」
おいおい、なんか急に探偵モードみたいなのに入っちゃったよ。声の鋭さがさっきまでと違うじゃない。情緒不安定だわ、この子。
だが、俺の転生者云々の核心には迫ってきている。
「この前、奈々が、君を連れ来た時さ。私びっくりしたの。どの世界線でもなかった初めて見る光景」
俺が転生者として行動した結果、それが影響したのだろうか。もしかしたら、他の世界線での俺は転生者モードではないのかも。俺は頭をフル回転させるも、スケールがでかすぎて何が何だか分からなくなった。
「細かい記憶は消えちゃうみたいなこと言ってましたよね。それじゃないですか。俺の行動は一貫性ないんでどの世界線でもふらふらしてそうですし記憶に残ってなかったとか」
俺の発言に対して、鏡花さんは首を横に振って応え、そのまま話を続ける。
「デジャブって分かる?なんか前にもこういう事あったなーって思う事たまにあるでしょ、それのこと」
「ああ、はい。分かりますけれども」
どこへ向かっていくんだよ、この話。
「私の日常ってさ、ほぼデジャブなの。日常の中の一部とかじゃなくて、朝起きてから夜寝るまでね。凄いでしょ?これはさ、違う世界のたくさんの私が同じようなこと経験して、それを私がダイレクトに感じ取れるからだと思うの」
まじかよ。やばいそれは頭がおかしくなるわ。よく耐えてるなこの人。
「確実には繰り返されないけど、何度か繰り返されるような細かい記憶はさ、詳しく思い出せない代わりにこんな風にデジャブみたいな感じで現れるの」
「なるほど」
「うん。いつだったか君が奈々と勉強していた時、あの時の光景はね。私には衝撃的だったよ。何の変哲もない、だけど私にとっては違和感のあるデジャブの影すらちらつかない光景」
「……」
確か鏡花さんは俺と初めて会ったあの勉強会の時、滅茶苦茶俺に話し掛けてきたはずだ。清川奈々の勉強を邪魔したいだけだと思っていたがそういうわけではなかったのか。
「今日だってそうだよ。光大と海に来るまでは既視感のある光景だった。だけど君と会ってからは、初めての事ばかり」
「……なるほど」
鏡花さんは本当に嬉しそうに語る。そして、じっと俺の顔を見つめ口を開いた。
「ねえ、君は何者なの?」
俺は何者か。その質問に対して、俺は考えを巡らせる。本当のことを言うべきか言うまいか。熟考できる時間は少ない。
俺が転生者であるという事実を知っているのは、今のところおっさんと春斗だけ。この不思議なラインナップに清川鏡花を加えると摩訶不思議なラインナップになる。
言ってしまった方が楽になるんじゃないか。そんな気がする。多分、俺が転生者だと知ったところで悪だくみとか考えるタイプじゃない。それに、ここまで話してなんとなく分かったが、鏡花さんの話は本当だろう。
嘘の可能性もないわけではないけれど、これまでの出来事を思い出していくと本当なんだろうなという結論に至ってしまう。
ここで何か悪い方向に進んだら、おっさんに頼ろう。俺はまだまだ子供、めんどくさいことは家族であり大人であるおっさんに丸投げだ。
「俺は転生者なんです」
「そうなんだ。……え?」
今度は鏡花さんの方がドン引きするターンだ。
さっきからどっちも訳の分からないことばかり話しすぎて、麻痺してたわ。正気に戻るとまじで恥ずかしいよ。今日一日やり直したい。
鏡花さんもそんな俺を見て、なんか恥ずかしくなったのだろう。顔が赤らんでいる。
俺はその姿に少しホッとしながらも、早口で俺の転生云々の話の説明を開始した。おっさんの転生者云々の話だけは後回しすることにした。多分、今話すと面倒な感じになるから。とりあえず、優先するのは俺の話。
「そうか君も死ぬかもしれないんだ」
「そうなんですよ」
鏡花さんは、最初こそドン引きだったものの、その後は真剣に話を聞いてくれた。自分が不可思議な体験をしているということも俺の話を受け入れられる要因だったのかもしれない。
この世界が『青春ループ』というゲームの世界であるという話など、全部が全部受け入れられる話ではないようだったが、7割くらいは信じてくれたと言ってもいいだろう。何も不可思議な体験をしていないにもかかわらず、俺が大金を持っているだけですんなりと信じた春斗の異常さが際立つな、あいつマジで凄いわ。
「光大と奈々が付き合えば、どうしてかは分からないけど君は助かるんだ。んー、それもまた中々に厳しい条件だね」
「やっぱり厳しいですか」
「うん、だって……。あれ、……。っ……。……っ」
急に口をぱくぱくし始めた鏡花さん。どうしたんだろう。
「い……言えない。どうしてっ」
「まじかよ」
これはたぶんというかもしかしなくても制限だ。もしかしたら俺の制限が鏡花さんに影響したのではないだろうか。鏡花さんの反応を見る限り初めての経験のようだし、彼女自身の制限とは考えにくい。
清川奈々ルートの知識を鏡花さんが知っていても、それを知らない、知識を共有していない俺には伝えられないみたいな感じか。
転生者同士で起こる特有の何かだと勝手に考えていたんだが、転生者以外の人に対しても普通に起こるっぽい。
清川ルートについての知識は俺が強引に知ろうとしてもたぶん無理なんだろうな、本当に自然な流れというか手遅れになった後に知る感じになるだろう。
これに関しては残念と言わざるを得ないが、清川奈々について何か重要な部分を知っている人物に対して、俺が転生者であるという事実を伝える場合には信じてもらうための良い材料になりそうだ。前向きに考えればだけど。
何度か鏡花さんに、清川奈々のことを尋ねてみたが、そのほとんどは言葉にならない様だった。
「佐藤君はさ、凄いね。色々としがらみがあるのに、他のヒロインちゃんたちのことも考えて行動して」
「まぁ、自分のためでもあるので」
「私なんてその話を聞いてもさ、やっぱり心配なのは自分の事だよ」
「俺だって優先すべきはいつだって自分自身ですよ」
自分の人生だ、自分勝手に生きたほうが価値がある。他人の事ばかり考えても良い人生になるとは限らない。自分自身のために何ができるか、それを考え、その結果、副産物で他人も幸せになったらラッキーくらいで良いのだ。
しばらく沈黙が続く。
とりあえず、一通り自分のことは話したつもりだが、後は何を話せばいいか。
そんなことを考えながらぼーっとしていると、テーブルに放り出してあった俺の右手に鏡花さんの手が重ねられた。
何これ萌える。これはマジ勃起。
「……佐藤君はさ、ヒロインじゃないこんな私でも助けてくれますか?」
鏡花さんは泣いていた。これには流石に俺の息子もしゅんとした。
「私には未来なんて変えられない。どんな私でも同じ道を辿るから。だけど、佐藤君は私に違う景色を見せてくれた。私に真っ暗じゃない未来を見せてくれると思った。だから、私も助けてくれませんか?」
ここまで色々と聞いて、助けないなんていう馬鹿なことを言う奴はいない。
普通になんとかする前提で俺も話していた。でも、鏡花さんにとっては重要なことだった。俺ももう少し気遣うべきだったな。
「当たり前じゃないですか。頑張りましょう」
頑張ってどうにかなると言われれば、そうではなさそうだが、マイナスなことは言わない。俺たちがどうにかしてでも頑張って頑張りぬくしかないのだから。
「……ごめんね。君も余裕ないのに」
手が強く握られる。
『謝る必要はない、ありがとうと言ってくれ』と格好付けたことを言いたくなったが、俺が言っても胡散臭い感じになるので止めておこう。
「全然余裕です」
鏡花さんが泣き止むまで、二人の手は重ねられたままだった。重ねられていた手は俺の手の甲の部分だったので、その内側の手汗洪水注意報にはなんとか気づかれずに済んだ。水たまりができているので、鏡花さんの手が離れた後も俺はその場に手をキープだ。
しばらく経ち、落ち着いたところで、俺から鏡花さんに質問タイムだ。気になっていたことがある。
「他の世界線の鏡花さんは、今の鏡花さんみたいに色々な世界線の記憶を持っていたんでしょうか」
「多分だけど、持ってなかったんじゃないかな。みんな自分が死ぬなんて思ってもいないように行動してるもの」
「そうですか」
やはりそうだった。鏡花さんは自分には何かを変える力がないと思っているが、そうではない。過去や未来から多くの知識や力を授かって足掻き、抗おうとしている。俺を不審に思ったこと、俺にそのことを打ち明けたことがその成果だ。
このことを伝える必要はないだろう。俺と違って考えすぎたりうろうろしたりせず、クリティカルな部分でしっかりと彼女は行動を起こしている。
俺は次の質問を彼女に投げかける。これが本命の質問。
「叔父さんに会った時とかはデジャブとか感じましたか?」
「っ!……感じなかったよ。……だからますます奇妙な存在だと思ったの。でも、あれかな。叔父さんと会わないまま、佐藤君に会っていたら、君のことも奇妙な存在だと思って避けちゃってたかも……」
ファインプレーだおっさん。しっかりと避けられた結果、今日この流れに繋がった。
「どうして、叔父さんだとデジャブを感じないって分かったの?」
ということで、おっさんのことも説明しなければならなくなりそうだ。ややこしいことにならなければいいのだが、勝手に説明しても良いのだろうか。
ここは本人に確認すべきだろう。メッセージ送信。
『鏡花さんにおっさんが転生者だって伝えても良いですか?』
『あー、いいよ』
『いいのですか』
『別に不都合はないよ』
随分とあっさりしていた。やはり、想定済みだったのだろうか。いや、俺はおっさんのことを高く買いすぎているだろうか。俺から見てもマジで奇妙な存在だから、色々と警戒してしまう。
まぁ、ということなので、俺は鏡花さんに説明した。
流石に混乱している様子だったが、なんとか理解してくれた。急に身内が転生者だったらびっくりだよな。
「叔父さんにも俺と同じように話した方が良いと思います。俺と違ってちゃんとした方法で解決策とか探してくれるかも」
「それはどうだろう。叔父さんは私たちに無関心だから」
「そうなんですか」
「でも言ってみる。私ももう少し頑張らないとね」
こんな風に前向きな姿を見せつけられると、俺の夏休み中のぐだぐだっぷりが情けなくなってくるな。
まだ空元気な様子ではあるけれど、少しでも前を向いてくれたようなので良かったなと思う。
俺とおっさんだけではなく、おっさんによるとまだほかにも転生者が入るっぽいという話だし、鏡花さんみたいに異なる世界線の記憶を持っているという人もまだいるかもしれない。
俺の行動によって、鏡花さんは新しい景色を見たと言っていた。他の転生者たちと協力すれば更なる変化を生むこともできるはずだ。鏡花さんの未来を変えられるというのなら、俺の未来だって変えられる。今回の話し合いは俺にとっても希望となるものだった。
死因についてとかまだ詳しく聞きたいことはあるが、今日のところは俺も鏡花さんもいっぱいっぱいだ。重い話は後回しにして、今日は自分なりに整理することが大事だろう。
鏡花さんにその旨を伝えると、彼女も快く肯定してくれた。
「春斗と寺島はどうなりましたかね」
「確か泳ぎ勝負するとかなんとか。……光大が単純な泳ぎで負けるとは思えないけど。その佐藤君の友達君もなんかすんごいからね」
「そうなんです。あいつすんごい」
海の家から出て、砂浜に降り立ち、春斗と寺島の行方を探していると、なにやらお客さんたちが沖の方を見て騒いでいる。
彼らにつられて、俺たち二人も沖の方に目を向けると、熱いバトルをしている春斗と寺島の姿を確認することができた。
沖の方なのではっきりと見ることはできないが、単純な泳ぎ勝負ではなくなっているのは確かだ。なにやら騒ぎながら、もつれあっている。
「あれさ、光大を溺れさせようとしてるんじゃない?」
「多分そうです」
「君の友達怖いよ。……あ、光大もやり返した」
「……」
春斗は平常運転のようだが、寺島もしっかりとおかしなことになっている。ちゃんと春斗を殺しにかかっている。
しばらくそのもみ合いは続いたが、海の係員さんが現場に駆けつけ、ぼろぼろになりながらもなんとか奴らを制圧した。
俺たち二人は彼らが連行されていく様子を無言で眺めていた。
すると、連行されていく二人組は俺たちの方に気づいた様子で、係員さんに何かを伝えた後、こちらに向かって手招きを始めた。
「なんかめんどくさいことに俺たちを引きずり込もうとしてますね」
「うわー、ほんとだ」
「帰りますか」
「……そうしようか」
俺たちはそのまま帰宅した。彼らがその後どうなったかは知らん。
鏡花さんとは帰り道の都合上、別れることになった。
帰路につきながら、今日一日のことを整理する。
清川奈々の姉ということで注意しなければならない存在とは思っていたが、このような形でカミングアウトされるとは思ってもいなかった。
まず、分かっていることから考える。彼女が死ぬという事実に関して、それは多分そうなんだろうなと今は思っている。
清川鏡花という人間を知るという事は清川奈々を知ることに繋がる。そのはずであるのにもかかわらず、鏡花さんとの初対面から今日に至るまで記憶の解放が起こらなかった。
今まではちょっとした違和感だと軽い気持ちで考えていたが、鏡花さんの言葉を聞いてこれはそういう事なのだと思い至る。鏡花さんはゲームに登場しないのだ、もうすでにゲームの舞台が始まる時期には既にお亡くなりになっているから。
清川奈々は多分だが、ゲームの中で一言も姉について語らず、なおかつ姉の存在を匂わすようなことを言わなかったのではないだろう。だからこそ、俺の記憶開放も起こらない。主人公である寺島光大だってそうだろう。今日見た感じだとある程度、鏡花さんとも距離は近いようだし、ゲームが始まる時点で知っていてもおかしくない。だけど、それにも関わらず、ゲームでは一切触れなかったのだ。
全ては俺の推測でしかないが、おそらく清川鏡花の死は清川奈々にとっては忘れたい事実、思い出したくない事実だったのかもしれない。だからこそ、本人も周りも触れようとしなかった。
そしてこれに基づいて考えると、清川奈々と寺島が結ばれる清川奈々ルートではそのトラウマに一切触れず、そのままにしたままでハッピーエンドを迎えたのではないか。
それは果たしてハッピーエンドなのか?
清川奈々以外のヒロインのルートでは、寺島と結ばれなかったヒロインが不幸な感じになるのを除けば、結ばれたヒロインにとってはわりとハッピーなエンドを迎えていたはずだ。
その例があったから、勝手に清川奈々ルートもハッピーエンドで終わるものだと思い違いをしていた。普通にクソみたいなエンドの可能性もあるのだ。
この『青春ループ』というクソみたいな鬱ゲーは平気でそういう事をする。
清川と寺島を結ばせること、それ自体は俺の生存ルートに繋がる。だが、それは本当に正解なのだろうか。彼女のルートの内容さえ分かればなんとかなるかもしれないのにな、本当に難儀な話だ。
これからどうするか、結局のところ俺自身の目で彼女たちを見て考えていかなければならない。
ごちゃごちゃと考えているうちに、自宅の前に辿り着いた。
もうすっかり夕方だ。沈んでいく夕陽を見ながら、俺は愛しの自宅に帰還する。
鍵を取りだし、ドアにがちゃりんこ。するとどうしたことだろうか、ドアが開いている。
そっとドアを開けながら、玄関を覗き込む。
玄関の靴の並びを見て、母ちゃんの靴を発見。ああ、今日は母ちゃんの仕事がはやく終わる日だったような気がする。
一安心しながら、靴を脱ぎ捨てる。そのまま、海で汚れた体を癒すために服を脱ぎ捨て全裸モード。
風呂場に向かている途中に母ちゃんに遭遇した。そして、その顔を見て俺は驚いた。
何故か知らんが、鬼の形相だった。その場で即座にバックステップで距離を取り、回れ右からのダッシュ。
背後に鬼の覇気を感じながらもなんとか玄関まで逃げるが、そこで大事なことに気づく。今俺は全裸だった。服を着ている時間はない。母ちゃんに叱れるか、全裸で近所を徘徊、どっちを選ぶのが正解なんだ。
「逃げるな、照人」
底冷えしたその声を聞いて、俺は立ち止まる。こうなってはもう逃げられないだろう。小学生時代、俺と春斗で職員室トイレのトイレットペーパーを全て強奪してきた時以来の怒りを感じた。
「俺が何かしましたでしょうか」
今回に限っては何で怒っているのか分からない、とりあえず、土下座を決め込みながら言葉を交わす。
「顔を上げなさい」
「はいっ!」
元気をよく返事をして顔を上げたと同時に、バンと拳が振り降ろされた。
反射的に身をよじるも、衝撃はやってこなかった。恐る恐る振り降ろされた拳を確認してみると、そこには札束が握られていた。
その瞬間、俺のハイスペックな頭脳は全てを察した。
今日朝家を出る時に、軍資金として俺はおっさんマネーの一部を取り出した。
そして、取り出した後、その残りを出しっぱにしたままだった。やっちまった。
「照人、これは何」
「お金です」
「……」
母ちゃんの目が細まった。
「大丈夫、やばい金じゃないです。多分」
母ちゃんは紙袋を持ってきて、札束を並べ始めた。
「私の部屋に1000万円近く隠してあったわ。見つけてほしいと言ってるようなものよ、馬鹿なの?」
「灯台下暗し戦法……」
「はぁ、もう本当に馬鹿」
母ちゃんは頭を抱える。どうやら俺は馬鹿らしい。
「中学一年生が親に報告もせず、1000万円を所持、隠していたらもっとかしら、そんなどこから湧いて出てきたか分からない大金なんてやばいに決まってるじゃない」
「まぁ、うん」
おっさんはクリーンな金って言ったけど、まぁ碌な稼ぎ方してないだろう。ちょっと尋ねたこともあったけど、濁されたし。
「こんな大金を手放しに渡せる人なんて狂ってる」
「確かに」
「あなたの事だから、最低限のモラルは持って行動したのでしょうから、どうせあまりこのお金に手を付けてはいないのでしょう?」
これまで何に使ったかをすべて聴取された。全然使ってなくてよかった。
「照人、あなたが何をしているのか分からない。だけど、この大金はいつかあなたの手に余る手段の選択を後押ししてしまう可能性があります。それで一時的には何かが解決するかもしれない、だけど身に余る行いはボロが出るものなの。この大金じゃなおさら、後悔してからでは何もかも遅いの。分かる?」
俺や親父と違って、母ちゃんは賢い。俺が中学に入学してから色々と変なことをしていることに気づいていたんだろう。その上で、この大金の用途もそれに関係するものだと察してアドバイス。
「あなたの事だから詳しいことは話してくれないんでしょうね。巻き込みたくないとか、本当にやばくなった時に頼ろうとか余計なことを考えてね。そうでしょう?」
少しだけ鬼の形相を緩めて、母ちゃんは俺に問いかける。
「当たりです」
「良いわ。自分勝手にやってみなさいな」
ぺしっと頭を叩かれる。全然痛くはなかったけど、体には良く響いた気がした。
「……すんません」
「ただし、自分の手は汚してはダメよ。汚すなら、そのお金の持ち主に汚させなさい。今回、あなたはお金だけ渡されてその相手に利用されかけていた、癪に障るわ、本当に。照人は存分にそいつを利用してやりなさい」
あれ、なんかちょっと汚い話になってきたぞ。
「分かったよ」
「……まぁ、照人が本当にやばい奴だってことをそのお金の持ち主は理解していないから、このお金を渡してしまったんでしょうけど。春斗君というさらにやばい奴とコンビを組んで本格的に活動していたらと考えると本当に恐ろしいわね」
「え、なんか言った?」
「言ってないわよ。そのお金、近日中に返しておきなさいよ」
「あーい、分かったよ」
これでお金は使えなくなったな。親に隠れて使うというのは俺の気持ち的にもう無理。
母ちゃんに金が見つかり、会話をして、色々と胸のつっかえが取れたような気がする。何もかも黙って行動するというのはやっぱり精神的にきつかったのかもしれない。こんな風に俺がやっていることの一端を察してもらうだけでも力になる。
「ほんとお父さんに変なところばかり似たわ。はあ、精一杯苦労しなさいな」
母ちゃんは俺のそんな心情を察したのか、げんなりした顔だ。
親父に似ているというはちょっと苦言を呈したい気分だったが、ここはしっかりと頷いておく。
明日にでもこのお金は返しに行こう。
さてと、お風呂にでも入りますか。俺さっきからずっと全裸だったし。
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