第34話 海の日常

 今俺たちは海に来ている。うだるような暑さを背中に感じながら砂浜に足を踏み入れる。


「人が多すぎる」


 広大な海よりも人混みの方に目がいってしまうのは俺自身が海に興味がないからだろうか。いやこんなにうじゃうじゃと人がいたら誰もがそう思う。好きな女の子部屋に入って煙草とかビールとか転がってたら、部屋の雰囲気を感じるより先にそっちの方が気になってしまうだろ、これはそういう現象だ。


「今日って土曜日だったけ。失敗したなぁ」


 春斗もこの人混みにお困りの様子だ。


「夏休みは毎日が休日だから、曜日感覚おかしくなるよな」


「そうそう。それに加えてゲームとかのやり過ぎで昼夜逆転とかした日はまじでやばい。俺は今何してるんだっけってなるから」


「いや、それは単に寝不足なだけだ」


 そんなどうでもいい会話をしながら、人がいないスペースを見つけて拠点を作っていく。とりあえず砂浜にレジャーシートを敷く、あら簡単、拠点の完成である。


「せっかくだからビーチパラソルもほしいよな。海の家に売ってないかな」


「知らん」


「ちょっと買ってくる」


 そう言って春斗は海の家に向かって走っていった。


 少しの間、海でも眺めようかなと思ったが、春斗が海で遊ぶためのグッズを持ってきたと言っていたのを思い出した。ちなみに俺はレジャーシートと財布しか持ってきてない。


 どんなものを持ってきたのかと無断で春斗のリュックサックを解放する。すると、ごとりと重いものが転がり出てきた。双眼鏡が二つ転がり出てきた。


 ベタに水鉄砲とかを持ってきてるのかなと思った俺が馬鹿だった。これは悪魔のアイテムである。使用方法は海の景色を純粋に眺めるためではない、人を物色するために使われる。この双眼鏡は今すぐに砂浜に埋めるなりなんなりする必要がありそうだ。良心に基づいて行動することが紳士への第一歩だ。


 いや、でもせっかく春斗が持ってきたんだしな。埋めるのは良くないな。俺は自分の中の良心を木端微塵にして、両手で双眼鏡をしっかりと持って顔面に装着する。


 しばらくの間、俺は海の景色(仮)を眺める。


「感想としてはあれだな、良い眺めだと言っておこうか。もしかしたら、これが俺にとっての海の楽しみ方なのかもしれない。これからは毎年来たい」


「おいおい、感想駄々洩れしてますよ」


「うぉお!びっくりさせんな。見回りの人が来たのかと思っただろ」


 若干の声色を変えて話し掛けてきたので、普通にビビったぞ。多分今ので寿命とか縮んだ。


 春斗は買ってきたビーチパラソルを砂浜に突き刺し、ニヤニヤしながら口を開いた。


「この人混みじゃあやることやってもばれないぜ。それに未成年だし捕まったとしても悪くて少年院ルートが始まるだけだし平気平気。ビビる必要はないのだよ」


「それ全然平気じゃないよな。そんな心持の人が多いから犯罪者予備軍の温床が出来上がっていくんだろうな。俺は悲しい」

 

「いや、双眼鏡を装着しながら言われてもなぁ」


 それからしばらく二人で双眼鏡を装着し周辺の観察を始めた。


「なんか若い女の周りには必ずと言っていいほど日焼けしたチャラ男かチンピラが付属してるんだが。どうなっとるんだ日本は」


 もっと普通の中肉中背の冴えない男とかオタクとか付属しててほしい。優しいそうな男を見つけたかと思えば、ファミリーで海に遊びに来ている人だったりするし。ああ、なんか惨めな気持ちになる。


「チンピラみたいな奴って大概は馬鹿ってイメージあるからな。若いうちが全盛期で、後は酒かギャンブルかその両方の沼に嵌って落ちぶれていくみたいな。だから今のうちに若い女を楽しまなきゃならないんだよ奴らは。」


「まぁ、そんなイメージは確かにあるな。けどチンピラじゃなくても人は簡単に落ちぶれていくからな。若いうちに楽しめないまま、ただただ落ちぶれていくっていうのも珍しくない。若いうちに行動力があるうちにやりたいことをやれるチンピラこそもしかしたら至高の存在なのかもしれない」


「チンピラ最強理論か。確かに老いぼれた後に若い女をはべらせてもなんか惨めな感じするしなぁ」


 海に来てまでする会話ではないのは双方ともに理解している。しかし、やめられない止まらない。


「そうそう。よく札束風呂とかに入って女をはべらせてるおっさんの広告とかあるじゃん。あれ見ると、羨ましさの前にそのおっさんに良くそこまで頑張りましたねと褒めてあげたくなるよな」


「いや、札束風呂してるおっさんに同情する人間なんていないでしょ。まぁ、結局は精力があるうちにイチャコラやるのが馬鹿そうに見えて実は賢い行動ってことか」


 自分たちがアグレッシブにいけないと分かっているからこそヤリチンに憧れる今日この頃だった。


「照人、あれ見てみろよ」


「はぁ、どこ?」


「めっちゃ可愛い女いる。モデルかなんかかな。あとおまけにイケメンもいるわ」


「だーから、どこにいるんだよ。……うわぁ」


「お、見つけたか?てか何その反応」


「今からでも遅くない。帰ろう」


 双眼鏡から覗くことができた景色には、見知った顔が映っていた。


 清川鏡花さんと寺島が写っていた。


 妹の方もいるのかなと周辺を見てみたが、どうやら近くには来ていないらしい。とりあえず、見つかったら確実にめんどくさいことになるよな。せっかくなけなしの体力を振り絞って海に来たのに厄介事を持ち込まれるのはごめんだ。寺島は別にどうってことはないが、お姉さんの方は正直言ってめんどくさい感じがするので嫌だ。ここは早めに帰還した方が良いだろう。


「帰るにはまだ早いだろ~。見ろよあの胸でかいぞ。見た感じ同い年くらいだしあの年であれは逸材ですなぁ。うお、今目が合った気がしたんだけど。うおー髪もロングで好みだ」


 やばい、この男興奮している。なんとかしないと。


「おい、よく聞け。あの二人組はこの世界の主人公とそのヒロインの姉だ。お前が関わるもんじゃない。もうちょっと離れた場所に拠点を移動するぞ」


「まじかよ。主人公とかはどうでもいいが、あれヒロインじゃなくてその姉なの。ヒロインじゃないのにレベル高すぎないか。本物のヒロインはあれ以上に可愛いのかよ」


「いいや、ヒロインも同じようなもんだ」


「幼馴染ヒロインの姉ってヒロインじゃないというかそもそも原作に登場したのかすら良く分からない人なんだっけか」


 昨日ゲームの事情を色々と話した時は興味なさげに聞いていたように見えたが、わりとしっかりと記憶していたようだ。


「そうだな。あれは俺の中でなんか良く分からん可愛い女っていう位置づけだ」


「他のヒロインと違って地雷女ではなく天女の可能性があるってことだよな。ちょっと声掛けたくなってきたんだけど」


「待て待て待て。あれは多分、地雷抱えてるタイプだ。それにむやみにゲームの事情に関わったら痛い目にあうぞ」


「いいや、大丈夫だ。多少の地雷なら彼女ごと包み込んで一緒に爆発してやろう」


「いやいやいや。何それすんごい気持ち悪いんですけど。あ、おい!」


 春斗は俺の話を聞かずおっぱいじゃない、お姉さんに向かってダッシュダッシュ。俺を振り切る気満々である。しがみついたとしても引きずりながら進んでいきそうな勢いだ。


 もう放っておいて帰ってしまう方が楽なんじゃないか。百パーセント碌なことにならないしな。でも、ちょっと馬鹿がやらかすところを見たい気持ちもある、というか普通に見て笑い転げたい。


 確かに春斗をむやみにゲーム事情に関わらせたくないという気持ちはある。しかしながら俺は先ほど春斗を止めたはずだ。春斗はその手綱を自ら引きちぎって、意思を持って戦場へ駆け出したのだ。俺は生温かい目で見守るほかない。



 とりあえず、ばれたらまずいということで海の家で変装グッズを購入する必要がある。


 適当にシュノーケルとフグのかぶりものを購入。なんか逆に目立つ格好になってしまった。ここは浮き輪も購入して、無邪気な子供感を演出しよう。


「1万2千円です」


 あれ想像してたよりも値段高いな。うわ、フグのかぶりものめっちゃ高い。値段設定間違ってるだろこれ。絶対これ今しか使わないよな、自腹でこれ買いたくないよ。ああ、そうこうしているうちに春斗とあの二人が接触してしまう。とうとうおっさんマネーを使う時が来たという事か。


 散々使うのを渋ってたが、ちょっと自腹はきつかったんで使ってしまいました、すいません。俺は誰に謝っているのだろうか、警察にだろうか。


 まぁ良い。装備は整えた。


 春斗が二人に接近したのを確認して、一般人に扮しながら俺も近づく。そしてぼっち期間の中で鍛え上げられた聴力を活かして会話に聞き耳を立てる。


「俺と遊びませんか」


 春斗は単刀直入にそう言った、なんか知らんが堂々とした表情だ。二人の顔はあまり見えないが急に喋りかけられて多分気味悪がってる。もうちょっと今日もいい天気ですね見たいな感じでヌルっと会話できないものか、いや急に天気の調子を聞くのもおかしいよな。あれ初対面の人と話す時ってどうやるんだっけ。


「え、これはどういう状況?」


 鏡花さんが冷静な口調で寺島に確認した。


「ナンパじゃないですか」


 これまた冷静に寺島が応える。


「ごめんね。私たち今忙しいから」


「いやいやお構いなく。忙しくても大丈夫っすよ。海を楽しみましょうぜ」


「 いや、あのね。忙しいの」


「お構いなく」


 なんか春斗にしては積極的な感じだな、傍から見てもうざい。もしかして、さっきチンピラ最強理論について話してたからか、それの影響を受けてるのだろうか。馬鹿だろあいつ。


「光大、どうにかしてくれない」


「はい。……すいません」


「ぬわぁぁ!」


 寺島は鏡花さんの召喚獣か何かなんだろうか。寺島は春斗に一言謝ったあと普通に投げ飛ばした。春斗は今、砂浜に埋まっている。


 春斗のゴリラ体形を投げ飛ばすとはあっぱれだな。流石完璧超人の主人公だ。


 やはり、イケメンなだけあるよな。海パンとかもはいてないし。


 ん、あれ、ちょっと待って。寺島なんかおかしくないか。海パンとか身に着けないフルチン系男子だったけ。


 いや、そんなはずないよね。どうしよう寺島君の海パンが行方不明なんですけど。主人公なのに丸出し解禁状態なんですけど。


 春斗投げ飛ばしたから、その呪いで海パンがなくなっちゃのかな。投げ飛ばされた春斗を確認する。


 砂浜に転がった春斗は右手に海パンを握りしめていた。それ多分この世界の主人公の海パンだよね。投げられた時にびっくりしてはぎ取ってしまったんだね。

おい、あの一瞬でどうやって海パンをはぎ取ったんだ。いや、春斗に理屈は通用しない。そういうことを平気でやる男だ。


 春斗もそれに気づいたのかどうか知らんが、立ち上がりながら海パンを無言で見つめている。


「この海パンを返す代わりに、お姉さん俺と遊ぼうぜ」


 本当に馬鹿だわ。チンピラ最強理論とか言うんじゃなかったよ、おかしくなっちゃってるよ。チンピラは海パンをはぎ取ってナンパとかしないからね。


 寺島はずっと丸出し状態なんだけど。これ大丈夫かな、泣いてないよね、主人公。呆然とした顔しているんですけど、原作でも見たことない表情なんですけど。やばい、笑ってしまう。


「あの……。すいません。海パン返してもらっていいですか。」


か細い声で寺島が春斗に問いかける。


「いいや、お姉さんの答えを聞くまでは返さへん。フルチンは俺を投げ飛ばした代償や。よし、お姉さん遊びましょう」


 下手くそな関西弁を活用しだしたぞ。チンピラ=関西弁みたいなイメージをあいつが持っていることはなんとなく分かった。あと投げ飛ばした代償でフルチンは等価交換の法則として成り立ってないと思う。


「いや、遊ばないよ。光大の海パンがなくても私は困らないし」


 鏡花さんは普通にその誘いを断った。そして寺島が俯きがちになった、ちょっとどんどん主人公としての威厳がなくなっていくんだけど。誰か助けてあげて。


 というか鏡花さんも隣に丸出しがいるのに全然動じてないし辛辣だしやっぱりこの人もどこかのネジがはじけ飛んでる系の人だ。


「先っぽ、いや先っちょだけでもいいんですよ」


 いいんですよじゃないよ。最低だよ。どうやらあいつは一般的な中学一年生を超越するレベルでムラムラしてるようだ。海に双眼鏡持ってくるくらいだからな察しである。


「え?先っぽ?先っちょ?」


 良かった、その辺の下ネタを鏡花さんは理解していないようである。寺島はどうだろうか。ああ、それどころじゃなかった。なんか本当に可哀想だな。仕方がない俺の海パンを献上するわけにはいかないので、浮き輪をフリスビーの要領で投げ寺島の近くの砂浜に落とした。


「その浮き輪で隠してくださーい」


 とりあえず、そう言っておく。


 寺島もそれに気づいたようで、体を震わせながら浮き輪を装着した。


 なんかさらに落ち込んだ表情になったような気がしたが、全裸プラス浮き輪の奇抜なファッションによってしっかりと股間を隠すことはできたようだ。


 それに構わず春斗と鏡花さんは言い合いをしている。傍目からみれば中学生がギャーギャー言ってるだけなのでそこまで目立ってはいないが、寺島の方には注目が集まりそうな気配があるな。全裸と浮き輪の相乗効果がいけなかったのか。



 これはあれだな、なんかどんどん最悪な方向に転がっている気がする。早いうちに仲裁というか海パンを回収しに入った方が良いかもしれない。


 まずはたまたま通りかかった感じで春斗から素早く海パンを奪還しよう。


 ゆっくりと歩きながら春斗に近づく。砂を蹴り上げて春斗の顔面を潰す。顔を隠すために手が緩んだところですかさず海パンをぶんどる。そして素早く寺島に海パンを投げつける。完璧流れだった。寺島が海パンを取り戻し正常に戻れば後は何とかなるだろう。


 後はこの場を離脱するだけ。足腰に力を入れて即ランナウェイモードに移行する。


 足を踏み出した瞬間、俺の体はがっちりと掴まれる。つかんでくるのはもちろん春斗だ。やばい、逃げられないパターンのやつだ。


「離せ。馬鹿」


「今良い感じだったのに、邪魔をしたな照人よ」


「どこかいい感じだったんだよ。最初からだめだめだったよ。海パンをはぎ取った時点で間違えたって気づけ馬鹿」


「なんだと。お前だって浮き輪投げてたじゃん。裸に浮き輪とか最悪な組み合わせだからね。男の裸エプロン並みの破壊力だからね」


「……だって。じゃあどうしたら良かったんだよ。シュノーケル渡せば良かったのか?」


「シュノーケル腰に巻かせたらもっとおかしなことになるだろ。股間が呼吸してるみたいな感じになっちゃうから」


 あれ、なんか俺が責められてるんだけど。俺悪くないよね。もとはといえば海パンはぎ取ったこいつが悪いよね。


「君、もしかして照人君じゃない?」


 やべ、しまったな。だけどシュノーケルとフグのかぶりものは装備している。よし誤魔化そう。


「いいえ、人違いです」


「でもそこの彼も照人って言ってたよね。ねぇ」


「はい、そいつは照人っす」


 はい、ばれた。



 それから俺たち二人は、鏡花さんと寺島の前で正座していた。


「それで何がしたかったのかしら」


「いや、俺は何もしてないですよ。でもこいつは鏡花さんをナンパしようとして寺島の海パンを脱がしました」


「いやいやお姉さん、こいつも寺島君でしたっけ彼に浮き輪を投げ渡すという嫌がらせをしてました」


「嫌がらせじゃねぇからな。寺島もそう思うだろう、あれは俺のファインプレーだった」


「……うん。ありがとう」


 何かを失ったような顔で寺島は微笑んだ。


 ごめん、笑いそうになるからその顔止めてくれ。


「まぁ、面白かったから別にどうでもいいんだけどね」


「ですよね。お姉さん」


「いや、というか君誰」


 そいつは馬鹿です。

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