第31話 最終準備

 さて、放課後になったわけだが、今日もまた勉強会である。


 昨日と違って勉強会の場所は図書室となっているので、俺はホームルームが終わり次第すぐさま教室を出る。別に清川を待たなくてもいいだろう。何度か行ったことのある図書室の場所を忘れるなんてことはないはずだ、そうであってほしい。


 


 図書室に到着するのは俺が一番乗りだった。図書室のおばさんも今はお留守のようなので、この場は現在俺のプライベートな空間となっている。


 いつ崩れるかは分からないこの一時的なプライベート空間をできるだけ堪能したいと思うのはおかしいことだろうか。スリルを味わいながら俺はアニソンを熱唱する。


 二曲くらい歌い終わったところで、虚しさを感じた。だってあいつら全然来ないんだもの、感じていたスリルもどんどん薄れてしまうというものだ。


 せっかくの図書室という事で、素直に本を物色してみることにした。


 たまたま手に取った超人図鑑をぼーっと眺めながら、時間を潰す。こういうおもしろ図鑑系はめくっているだけで楽しいので、何も考えずぼーっとしたい気分の時に読むには最適だ。


 超人図鑑に集中していると、図書室のドアがガラガラと開かれる音が聞えた。


 「遅れたわ。待たせたかしら?」


 柳谷は短くそう言いながら、図書室の中に入る。


 こういう時は、俺も今来たばかりだよと返した方が良いのだろうか。だが、このセリフは多くの人間に使い古されているせいか、こう言っておけばとりあえず女性に好かれるんじゃないかという下心がセリフ自体に見え隠れしているような気がする。あとなんかナルシスト感が出て普通に気持ち悪い。


 「待ったような待ってないような、あれどっちだっけ」


 イエスともノーともとれる適当な返事をしながら最終的にアホになるという新しい道を開拓する。俺はひとまず超人図鑑に目を移す。


 「そういう本が好きなの?」


 俺のどっちつかずな返事よりも超人図鑑が気になったらしい。柳谷は本をのぞき込んでくる。綺麗な黒髪が俺の顔面に押し付けられる。デンプシーロールを活用して体をのけぞらす。


 「まぁ、普通かな。お前は?」


 「特に興味はないけれど」


 「そうか」


 せめて興味を持っていれば、楽しい会話に発展しそうなものだが、そうはいかないらしい。


 「ページめくらないの?」


 「めくります」


 そのまま俺は超人図鑑をめくり続ける。柳谷はそんな俺の光景をじっと眺めているようだ。すんごい視線を感じる。


 くそ、もうちょっと文豪作品とか読むべきだった。超人図鑑を悪く言いたくはないけれど、真剣な顔では読みにくい本だから恥ずかしい。トムソンガゼルの群れに突っ込んでいった60歳の超人の記事とか普通に笑っちゃうし。


 

 

 そんなこんなしているうちにボスと清川も無事図書室に到着した。俺は超人図鑑をもとの本棚に戻して、勉強道具を広げる。


 俺は授業中にせっせと作った小テストを清川へパス。これだけやれば赤点回避は余裕である。


 岡崎が最下位をとってくれるという保険はあるが、やはりそれでもある程度の点数を取れる方が今後のためにもなるし良いだろう。


 「そういえば赤点とると、夏休みに補習があるんだって。知ってた?」


 ボスが俺と清川を見ながらそんなことを言った。


 「いいや、聞いてないな」


 「……私も聞いてない」


 「そうだと思った。あんたたち教師の話とか聞かなそうだもん」


 聞く気はある。けれど、寝てしまうことがあるからな、重要な部分を聞き逃してしまうことは多々あるだろう。ああ、仕方がない、仕方がない。


 それよりも岡崎が補習の件を知っているのかが気になってきた。事前に知っていたうえで最下位をとるという発言をしていたのならいい。だが、もしテスト直後にその事実を知ってしまったらあいつの行動方針は揺らいでしまうかもしれない。


 岡崎が補習にビビって赤点を回避、そして普通に赤点だらけの清川が最下位に躍り出る。それは最悪のパターンだ。


 「補習があるのは何の教科?」


 「数学と英語ね」


 明日、岡崎に確認した方がよさそうだな。そうしないと誰も得をしない展開になりかねない。


 「清川は数学と英語得意じゃないよな」


 「どっちも無理」


 仮に岡崎が数学と英語の赤点を回避しそれ以外の教科で0点をとる場合、このまま清川に数学と英語で岡崎に競わせるのは点数差を稼ぐためには合理的ではない。

 

 理解が難しい数学や英語に専念してもらうよりも清川には岡崎が0点をとる教科に専念してもらうのが一番効率良く点数を稼ぐことできる方法だろう。


 だが、その場合だと清川の夏休みは確実に補習で潰れる。百歩譲ってそれはまだいい。数学と英語には補修があると聞いたばかりなのに、清川にそれ以外の違う教科の勉強しようぜと勧めるのは不自然すぎやしないだろうか。常人だったら他の教科は捨てて、数学と英語だけ頑張れと言うんじゃないか。


 柳谷とボスの目もある事だし、ここで不自然な発言をしてしまったら、ねちねちとツッコミを入れられるに違いない。ここはまともな事を言うしかないな。


 「清川は数学と英語頑張らないとな。まぁ、だからと言って他の教科を疎かにしろってわけじゃないけど」


 「数学と英語を頑張るわ」


 清川はおそらく気合が入っているとみられる無表情でそう断言した。おっと、他の教科についてはもう眼中にないようですね。


 確かに理解することさえできれば他の暗記系の教科よりも数学や英語は安易に点数が取れるというのも間違いではないだろう。もうテスト期間も短いのだし、いまさら歴史だったり理科だったりの単語をぐちゃぐちゃに暗記して本番混乱するよりも良いのかもしれない。理解することができればだが。


 色々と考えながらペンを回していると、彼女たちもまた集中モードに入ったらしく、もはや雑談を挟む間もなくなってしまった。



 こういう真剣な空気になると一気に眠たくなってしまう。この暇になるとすぐに眠たくなってしまうナマケモノ特性は本当に厄介である。まぁ、直す気がないというのが一番厄介なんだけど。


 ゆっくりと瞼が下がっていくのが分かる。昨日の勉強会で俺には居眠りの前科が付いてしまっている。さすがの彼女たちもそんな俺にイラっとするのではないだろうか。だとしてもそれはもうごめんなさいと謝る事しかできない。仕方がないじゃない、人間だもの。


 見方によっては物語で最初に脱落してしまいがちな俺の代わりに先に行けええええポジションの漢気ある人にも見えるかもしれない。うん、見える見える。


 安心しきった俺は何も気にせず寝ることにした。




 どれだけ時間が経ったのだろうか風呂で溺れ死にかけた夢を見たので俺は目を開けた。目の前にはボスがいた。結構近いな、呼吸が掛かる位置という奴である。


 しかしながら、俺はこの程度では照れたりはしない。VRゴーグルのおかげでこの程度の刺激には慣れているのだ。


 「うわ!急に目開けないでよ」


 ボスは驚いた様子で、俺の顔に伸ばしかけていた手をひっこめた。何か悪戯的なことをしようと思ったのだろうか。とりあえず、後回しにしておこう。


 ボスが勉強をしている様子ではないのは目に見えて分かった。他の面々の様子も確認していく。


 隣に座っている清川は先ほどの俺と同様、爆睡中だった。


 柳谷は俺が読んでいた超人図鑑を開いて眺めていた。


 「もはや勉強会ではないな」


 「あんたがダウンして、それを休憩タイムだと勘違いした清川さんもしばらくしてからダウンしたわ。その時点で私たちも勉強をやめたわ」


 「それは……ごめん」


 どうやら俺は勉強会の輪を乱してしまったらしい。協調性って大事だね。


 「もう私たちもやることやったし別にどうでもいいけどね」


 柳谷は俺たちの会話に混ざることなく、淡々と超人図鑑を眺めている。興味がないみたいなことを言っていたが、どうやら気に入ったようだ。ちなみに今は熊とタイマンした男の記事を読んでいるようだ。俺もその記事気になるんですけど。


 「会澤、お前俺の顔に何かしてなかったか?」

 

 「どうやったら起きるかなと思って、髪引っ張ったり、鼻つまんだりしてたの」


 「なんてことをするんだ」


 髪がぼさぼさになっている原因はそれか。溺れる夢を見たのもそのせいらしい。


 「あはは、ごめんごめん」


 「まぁ、寝た俺の方が悪いか」


 そんな感じで、寝起きの頭を動かしながら、ボスと会話する。そして話題は爆睡中の清川へ移っていく。


 「清川は目を半開きにして寝るタイプなんだな。」


 「夜見たらホラーよ。元々の目が大きいからか薄目のレベルじゃないし」


 「そろそろ起こした方が良いんじゃないか」


 ボスが清川の頭をポンポンする。清川はすぐに目を開けた。いや、もともと開いていた目をしっかりと開く。黒目に光が灯っていくのは神秘的だった。悪魔につかれた少女が正気に戻る瞬間みたいな感じだな。


 目をこすりながら、俺たちの顔を見渡す。


 「お前、目開けながら寝てたぞ。ドライアイとか大丈夫か」


 「……え。目を開けて?」


 すると、どうしたことか珍しく清川が顔を赤くしたではないか。もしかして、恥ずかしがっているのだろうか。


 「デリカシー」


 ボスからは白い目で見られる。いや待て、俺は別に半目を開けながら寝ていたことをいじったわけではない。むしろ心配していたくらいだ。


 「今のはデリカシーがないように見えるが、実は紳士的な対応だった。誰かが言わなかったら、こいつはずっと悪魔祓い中の少女みたいな表情で寝続けることになる」


 「いや、あんた馬鹿にしてるじゃん」


 「してないしてない」


 「柳谷さん、どう思う?」


 超人図鑑から目を離して、柳谷は俺に視線を向ける。超人図鑑のページは痴漢で62回捕まった超人の記事だった。なんてページを見ているんだ。


 「デリカシーがないわ」


 それは俺とその超人のどちらに対して言っているのだろうか。もしかしたら俺と超人両方に対して言っているのだろうか。その超人と同列扱いされるのは非常に心外だ。超人の場合はデリカシーとかそういう概念を通り越した先にある何かだ。


 「……人前ではもう寝ないわ」


 清川がぼそりと呟いた。


 「アイマスクとかいいぞ」


 清川から舌打ちと睨みを貰った俺だった。




 帰り支度をしている最中、ボスが不意に口を開く。


 「明日、予定あるから勉強会に来れないわ」


 ボスは明日は不参加らしい。


 「では私も明日は一人で勉強するわ。ラストスパートは一人でやるつもりだったから」


 柳谷も不参加らしい。


 「二人は参加しないみたいだが、どうする?」


 「……最後くらいは私も自分でやってみるわ」


 清川の表情にはどこか不安が見えたが、俺に気を遣ってくれたようだ。せっかく気を遣ってくれたんだし、その好意は受け取っておきたい。


 とはいっても彼女の不安も分かるのでケアはしておきたい。


 「明日も一応小テストは作るからそれで頑張れるか?」


 「いいの?」


 「うん」


 手間もかからないし、何ら問題ない。


 「……ん」


 さっきは爆睡していた清川だが、今日の分の小テストはきっちりと解いていた。最初と比べれば正解数も増えているようだし、頑張りが伝わってくる。


 頑張りたいと思っている人からの頼み事にはできるだけこたえたいと思う熱い感情がどうやら俺にはあったらしい。




 

 次の日の昼休み、俺は岡崎と屋上で作戦会議をしていた。


 「内申点は犠牲にしてもかまわないと思っていたけど、夏休みを犠牲にするの重すぎると思う。休めない夏休みなんて夏休みじゃないよ」


 補習があるという事実を岡崎は知らなかったようで、今まさにそんなことを言っている。


 俺も甘ったれるな赤点を取れと強要することはできないし、岡崎の方針をもう少ししっかりと固めなければならない。


 「最下位をとるための理想は数学と英語の点数は赤点回避ラインギリギリを低空飛行かつそれ以外の教科を0点にすることだな」


 「赤点ギリギリはちょっと怖いよ。僕はそこまで頭が良くないし、少し保険として多めに問題を回答するつもりだよ。あと他の教科0点ってのもちょっと不自然だよね。先生から色々と勘繰られそうだ」


 「できるだけ低い点を取ることは重要になる。お前のライバルは清川奈々という何をしでかすか分からないやつだ」


 「えぇぇ、その子怖いんだけど」


 「一応ある程度の問題は解けるようにはなった。けど、ケアレスミスの大量生産の可能性は拭いきれない」


 「僕はそんなモンスターと闘わなければならないのか」


 俺からしてみれば目立ちたいという理由だけで全力で最下位をとろうとしている岡崎もモンスターなんだけどな。まぁ、岡崎にそうしろっていたのは俺なんだけど。一人くらいまともな人がいてほしい。


 「何とか頑張ってみるよ」


 岡崎は低い点数を取りすぎることで、教師からどのような視線で見られるのか不安になっている。されどできるだけ低い点数をとりたいというジレンマ。その気持ちは分からなくもない。最初は意気込んで最下位をとるといったものの時間が経つにつれてそれで本当に良いのだろうかと様々な不安がよぎってしまうパターンだ。


 だからこそ俺は敢えて岡崎に清川という存在を強く意識させる。つまりこのままどっちつかずな点数を取ってしまえば、ただ無駄に低い点数をとっただけ清川の玉座を奪えないままで何の得もないぞと。


 俺の言葉は大きな効力を与えはしないだろうが、やらないよりはましだ。ちょっとしたおまじないだな。




 


 やるべきことはやっておくという事で次に俺がとる行動は、俺の財布ことおっさんへの連絡だ。


 『清川に勉強を教えてやってもらえませんかね』


 『それは難しい相談だね』

 

 前に清川が言っていた通りだった。なぜ教えてあげないのだろうか。やはりこの世界に関連していることなのか。


 『なにか理由あるんですか』


 『あまり僕が直接的に影響力を及ぼすのはよろしくない』


 『?』


 『僕は君と違ってエピローグにも存在しない完全なモブだ。だからこそ、僕が動けば動くほど本来の流れに歪みを与えていく。ヒロインたちの問題を解決する上で、取り返しのつかない歪みは生み出したくない。あくまで僕ができるのは君への間接的なサポートだけなのさ』


 そこまでの影響力が本当にあるのだろうか。おっさんの気にしすぎではないだろうか。


 『ちょっと勉強教えるくらい問題なくないですか』


 『君だって良く分かっているはずだろう。軽く小石を弾くだけでも運命は急激に変化する。今回の勉強会だってそうだろう。君が前回のテストで高得点をとらなければ始まりすらしなかったんじゃないか?』


 言われてみれば確かにそうかもしれない。俺が低い点数だったら勉強会なんて流れになっていなかった。でも、積極的にあの流れを作ったのは俺じゃないよな。


 あの時は確か倉橋に声を掛けられたはずだ。彼女は俺が低い点数をとろうが普通の点数をとろうがあの流れに持っていくことができたのではないだろうか。彼女の立場とコミュニケーション能力があるのなら俺を手のひらで転がすことなんてちょろいだろう。


 そんなことをチャットに打ち込もうと思ったが、止めた。おっさんは何を言ってもイエスとは言わないだろう。そんな気がした。


 『自分で何とかして見ます』


 『すまないね』


 そこでチャットは途切れることになった。


 おっさんが何を考えて行動しているのか、もう少しだけ注意深く観察することが必要だろう。結局のところ、おっさんにとって二度目の人生というのはボーナスタイムでしかない。俺とは違って前世の記憶があるという事だし、何らかの野望を胸の内に抱えていても何らおかしくはない。

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