第25話 清川家にて
俺が清川専属教師になるということは、ボスの専属教師には柳谷が必然的に付くことになる。そのことに関して、ボスが憤慨してなんやかんやありながらも結局4人で勉強する感じになるじゃないかと思っていたが、そうはならなかった。
俺の予想とは違ってボスは特に何か反論してくることもなく快く了承してくれた。あっさりしすぎているような気がしたが、柳谷が清川について危ういって言っていたように、ボスもまた清川に関して何か思うところがあったのだろうか。昨日、二人で下校したようだし、その時に何か清川と何らかの会話があったのかもしれない。
その真意も気になるところではあるが、とりあえず今は現実を見たほうが良いかもしれない。
「なぁ、ここまで来てなんだが、勉強する場所をわざわざ清川家にする必要があったのか?あのまま図書室で柳谷たちから離れた席でも別に良かったんじゃないか」
「……家の方が落ち着く」
「あぁ、それもそうだな」
清川にとっては学校よりも自宅の方が落ち着くんだろうな。だけど、俺は全然落ち着かない。健全な理由とはいえ、女子の家に入るのが初めてというのもあるし、俺の将来の死因に関わっている可能性があるブラックボックスの家に入るのもだいぶ怖い。
もうすでに色々ルートが滅茶苦茶になってそうな感じがするこの世界線のせいで、ワンチャン今日殺されるかもしれない。方向性の違う様々な緊張感に苛まれながらも、俺は清川家に足を踏み入れる決心をした。
清川は玄関のカギを開けて、俺に目線を送ってきた。入れということらしい。それくらい言葉にしてもいいだろうとは思ったが、今日のところは変なことを言わずに大人しくしておこう。
「おじゃまします」
そんなことを言いながら、俺は玄関に入る。そして、靴を脱いでしっかりと揃える。そんな俺を待っていた清川は、じっと俺を見つめていた。
「どうかしたか」
「……姉が帰ってきてる」
「姉?」
「うん」
玄関にある姉の靴と思われるものを指さしながら、清川が頷く。
清川の姉、当然のように俺の知識の中にそんなキャラがいたという記憶はない。清川についてある事実が発覚した時に、起こりがちな清川ルートについての知識解禁も反応はないようだ。
いつもだったら、知識解禁が起こった時は、もう知った後だから意味ないよと吐き捨てて唾を吐きたくなるのだが、こんな風に記憶解禁が起こらないというのも逆に不安になってくる。
単純に清川ルートに関わっていなかったからゲームにも登場しなかっただけなのか、それとも俺が世界を少しづつ歪ませ捻じ曲げたせいで生まれてきた普通では生まれるはずがなかった生命なのか。存在しないものが巡り巡って何かを分岐させた結果生まれたパラレルワールド的な。いや、でもそれはないな。清川の姉ということは俺よりは年上、ということは俺が何かを捻じ曲げる前には清川夫婦は子作りに励んでいるはずだ。
やはり、存在したけど登場しなかったという可能性が高いか。それとも普通に俺の記憶解禁システムが休憩中なのか。
「お姉さんがいると、何かまずいのか」
「……まずくはない」
あまり大丈夫ではなさそうな返事だが、そこまで気にするようなことではないと思いたい。
清川に促されるまま俺はリビングまで移動した。
リビングは妙に整理されている感じがした。散らかっているものは一切ない、あるべきものがあるべきところに置いてあるリビングだ。
「そこに座ってて」
清川はそう言いのこして、どこかへ旅立っていった。
俺は素直に清川が示したソファに座る。リビングに姉がいなかったということは、姉は自室にいるということだろうか。清川はその姉に何かを伝えに行ったんだろう。自分の知らない間に妹が男を連れ込んでいたら、びっくりするからな。
ゆっくりと息を吐きながら、再びリビングを見渡す。本当に何もないリビングだ。我が家のリビングの方がまだ人の痕跡を感じさせることができるだろう。
いくら整理されているとはいっても、一つの家族が過ごしている歴史は部屋に表れてくるはずだ。汚れたリモコン、良く分からない置物、なくなりかけのティッシュ箱、女の子の親なら娘の写真、もしくは家族写真くらいあってもおかしくはないんじゃないだろうか。でも、そういうのも一切合切ない。
時計の針だけが、カチコチと変わらずなり続ける。
少しすると、清川とその姉らしき人がやってきた。清川はいつも変わらない仏頂面だが、少しだけ俯きがちにも見えた。
「こんにちは、初めましてだよね?私は姉の鏡花っていいます、よろしくね」
清川の姉、鏡花さんは俺に対してにこやかに自己紹介をした。
清川の姉だけあって当然のように美少女だが、妹とはそこまで似おらず、違った雰囲気を醸し出している。妹が不思議系ジト目美少女に対して、こちらは活力を感じさせるような瞳と僅かに色気を感じさせるような美少女だ。まぁ、一言でまとめるならエロいってことだな。左目の下にある泣きぼくろとかも何かエロい。
「あ、始めまして、えーっと佐藤照人です。よろしくお願いします」
学校の自己紹介以外に、こんな風に改まって自己紹介をする機会はほとんどないので、俺の自己紹介は清川姉よりはぎこちないものだった。自分の名前がぱっと出てこない始末である。この一瞬の邂逅で清川姉の方が俺よりもコミュ力が高いことが分かった。というより俺のコミュ力が著しく低いだけである。言い訳になるが、男女問わず年上と話す時ってなんか緊張するだろ、そのせいだ。
「勉強を教えてくれるんだってね?ありがとね」
「いやいや、全然問題ないですよ」
「君自身もテスト勉強あるんじゃないの?負担になりそうだったら、自分を優先してもいいからね」
お言葉に甘えたいところでもあるが、清川というヒロインについての情報、柳谷やボスが清川に対して何かを感じているらしいということ、俺自身がそれらを少しでも理解することは今後大事になってくることではないかと思い始めてきた。こんな風に知らない姉が出てくるくらいだからな。だから、ここは丁重にお断りしておこう。
「こう見えて俺はわりと勉強できるんですよ。それに人に教えることによって自分の勉強の理解にもつながることもありますね。全然気にしなくて大丈夫ですよ」
「そう」
僅かに目を細めながら、清川姉は落ち着いた声を発した。一瞬だけ落胆の色が見えたのは俺の気のせいだろうか。
なんだろう、この感じ。もしかしたら、清川姉は俺に帰ってほしかったのだろうか。確かに普通に考えれば良くも知らない奴を家に上げるのは嫌かもしれないな。でも、俺は一応清川の知り合いではあるし、そこまで拒絶されるのも違う気がする。
深読みのしすぎか。深読みしすぎると逆に的外れなところに吹き飛んでいくのは、柳谷とボスを取り巻く一件で経験済みである。このまま気にせず進むのが一番楽である。
「それで、ここで勉強するのか?」
俺は姉から視線を外して清川に問いかける。
「うん」
「それじゃあ、俺たち勉強始めます。うるさかったりしたら、どんどん言ってください」
清川姉にそう伝えて、俺たちは勉強を始めた。
数十分経過した。俺と清川は隣り合わせになりながら勉強している。
これがラブコメか、と言いたいところだが、多分なんか違う。俺と清川二人だけだったら、もしかしたらラブコメが成立したかもしれないが、残念ながらここにいるのは俺たち二人だけではない。
俺の目の前にはお姉さんが座っている。
勉強が始まってからというもの、ずっとこの女は俺のことをガン見してくるのだ。気になって呑気にラブコメする気分にはなれない。
独り身人生を歩んできた結果、人一番視線に敏感になってしまった俺としては、この向けられる視線を好奇心の視線というよりも監視の意味合いがある視線と分析する。好奇心を向ける視線は、さっきの初対面の時のものであり、さっきのものとこの今の視線は別物だからな。
とりあえず、なんか知らんが俺は勝手に圧迫面接を受けさせられている感じがして、絶賛イライラ中である。
年齢は分からないが、見た目からして俺より一つか二つ上程度だ。大人から見れば、どちらも大差のない子供である。だからこそ、そんな同レベルでしかない青二才に分析されるのは癪に障る。
俺は意を決して睨み返してみることにした。
がっつりと視線が合うと、清川姉は微笑みを浮かべた。それを確認して、俺はゆっくりと視線を逸らした。
結果は即撃沈だった。最近は若干麻痺してきているが、美少女と目線合わせるのは大分やばい。何がやばいっていうのかというと、何がやばいのか良く分からない程度にはやばい。
作戦変更だ。目は見ない。胴体を見よう。
丁度いい高さに胸、おっぱいがあったので、俺はそこをロックオンした。
清川姉の胸は割と大きかった。妹より遥かにでかい。まじまじと見ていると、最高に申し訳ない気分になってきた。
これはあれだな、やってはいけないことをしている気がしてきた。一歩間違えたら、変態になってしまう。もしかしたら、もう変態なのかもしれないし、お姉さんにも嫌な思いをさせているのかもしれない。俺はゆっくりと視線を外した。
いや、待て、もとはと言えば威圧の意味を込めて俺は視線を向けていたのだから、わざわざ気を遣うようにして、視線を外さなくとも良いのではないだろうか。いやいや、待て待て、このままガン見を続けてこれからずっと変態と思われるのも中々にハードである。
しかし、目を見るのも、胸を見て威圧するのも微妙だとするのなら、後はどこに俺は視線を向けることができるだろうか。
軽く脳に血を巡らせて考えてみると、突然の閃きが訪れた。
清川姉の目元には泣きぼくろがあったはずだ、今の俺にはうってつけの的である。目の近くだし、相手からしたら睨んでいるようにも見えるんじゃないか。エロいだけのほくろに俺が価値を与えてあげようではないか。
俺は清川姉のほくろに集中することにした。
清川の勉強を放置して、一心不乱に鋭い目つきでほくろを見続けた。
しばらくすると、姉から反応があった。
「ねぇ、私の顔に何かついてる?」
そうですね、エロいほくろがついています。反射的にそんな言葉が口からこぼれそうになったが、寸前のところで何とか飲み込む。
清川姉がしびれを切らして話しかけてきたということは、とりあえず俺の勝利である。訳も分からずに人に見つめられる恐怖を知れ。後は、非難を逃れるために適当に言い訳をして、完全勝利すれば良い。
「いや、お姉さん。すごい美人だなと思って、見とれてしまいました」
勝利の高揚で調子に乗っている俺にとっては、こんな気持ち悪い言葉は息を吐くように出てくる。明日あたり、恥ずかしさでもだえ苦しむんだろうな。
「あら、ありがとう」
俺の気持ち悪い発言に対して、お姉さんは特に動じた様子は見せない。言われ慣れているのだろうか、それとも自分が可愛いと自覚しているからか、何とも思わないのだろう。でも、褒められて悪気分に奴もなかなかいないだろう。その少しでも浮ついた気持ちをとっかかりにして、俺がなぜ見つめていたかの話題からずらしていこう。
「お姉さんは、中学生ですか?」
「うん、君より二つ上の中学三年生」
同学年にしか目を向けていなかったが、他学年にも重要そうな奴がいるということだな。全学年の名簿を良く確かめる必要があるかもしれない、顔写真がついているわけじゃないからいまいちピンとこない生徒ばかりだから結局めんどくさくなっちゃうんだけど。
「ということは、今年受験というわけですね」
「そうなるね」
「もう受験勉強始めてるんですか」
「ううん、始めてないよ。始めたほうが良いのか迷ってるんだよね」
「まぁ、いつ始めるかはどの高校を志しているかによりますからね」
「そうなんだよね」
「まぁ、元々ある程度の学力があるのならこの地域の高校ならどこを受けるにしても、夏休みから始めれば十分間に合うんじゃないですかね。でも迷ってるなら万全を整えるためにも今からでも始めたほうが良いとは思いますけど」
「確かにその通りだね。どうでもいいかもしれないけど、なんか中学一年生にアドバイス貰ってる感じがしないよ。君は達観してるみたい」
少しだけ笑いながら、お姉さんはそう答える。表情が幾分か和らいだようにも見えなくもない。こうやって接してみた感じ、裏表が激しそうな印象があっただけに、こんな風に自然に笑っている姿を見るとギャップ萌えする。
俺との会話が成立したのがきっかけだったのか、水を得た魚もびっくりな勢いでお姉さんは適当な雑談を何度も振ってきた。それからずっと俺はその止まらないジャブをひたすら受け続けるのだった。
そして、清川家での勉強会は終わりを迎えるのだった。
結果的にいうと清川には全然勉強を教えることができなかった。
俺がそろそろ帰宅したいという意思を伝えると、お姉さんは満足した様子で俺に別れを告げ、リビングから出ていった。あの人は何をしたかったのだろうか。勉強の邪魔をしたかっただけなのだろうか。
「ごめん、全然勉強教えられなかった」
普通に申し訳ないことをしたので、俺は清川に素直に謝った。
「別にいい」
いつものような仏頂面で清川は短くそう答える。怒ってるのか怒ってないのかさっぱり分からない。
「怒ってるか?」
「……怒ってない。姉に邪魔されるの分かってたから」
あの姉は勉強するから来ないでと伝えても、普通に邪魔しに来そうな感じがするしな。お姉さんがいる時点で、清川家は勉強が適している環境ではなくなるということだな。
「次はここじゃないところで、勉強したほうが良いんじゃないか?」
「次も私の家」
「いや、邪魔されるんじゃないのか?」
「遅く帰ってくるときもあるから平気。今日はたまたま」
中学一年生と中学三年生の時間割の長さは同じだし、普通だったら同じようなタイミングで帰ってくるはずだ。今のところはテスト期間中ということで、部活もないしな。
もしかしたらお姉さんは学校以外にも何か活動をしているのかもしれない。
「お姉さんは結構アクティブな人なのか」
「知らない」
「そうか」
「うん」
清川と話していると、いずれ言語能力をなくしてしまいそうだな。いや今はそんなことはどうでもいいのだ。それよりも、気になることがある。
「お前、お姉さんと仲悪いのか?」
清川は姉の情報を全然把握していないように思える。
「……どうなんだろう」
ぽかんとした表情で清川は首をかしげる。
この子は色々と大丈夫なんだろうか。何を聞いても良く分かってなさそうな感じがしてならない。
「まぁ、分かったよ。明日もここでやるんだな」
「うん」
「姉が居たら今日みたいになっても大丈夫なんだな?」
これだけ確認しておけば後はどうとでもなれって感じだ。彼女の勉強事情は結局は彼女の問題であるし、俺はただただ言われるがまま従うだけでいいのかもしれない。
「そうなったら、一人で頑張るわ」
それ俺いらないよね。そんなことを思いながら、俺は帰宅したのだった。
清川は家で勉強するの方が落ち着くとは言っていた。でも、やっぱりそれだけが俺を家に招いた理由じゃないような気がする。彼女の執拗な家来ておねだりの理由はいったい何なのだろうか。
いやでもこの清川のことだからなんとなくで、俺を家に招いている可能性も無きにしも非ずなんだよな。ああ、何も分からない。
今回の清川家勉強会において得られた成果はお姉さんのほくろがエロいってことだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます