真っ白な辞書

未だに、「綺麗な景色」というものがわからない。


幼少期はまだ「きれい」とか「かわいい」とかいう言葉を、実態を伴って使っていたような気がする。父が重度の花粉症ゆえ花見とは全く縁のない家庭だったが、桜や紅葉、夕焼けの景色は母が好きだったためよく連れていかれ、「きれいやろ~」と共感を求められたのを覚えている。もっとも、母が思っていたように共感したことはたぶん一度もない。

あるタイミングからそうなったのか、それとも元々感性が恐ろしく鈍いのかはわからないが、「綺麗」「可愛い」「美しい」という形容詞を実際の景色や人間などに当てはめるのがめっぽう苦手だ。原因の一つとして定義が曖昧であることが挙げられるが、主張自体失当なのは明白である。そんなものに抽象的な定義はない。仮にこんな感じと具体例を挙げられたとしても、私が納得しなければ意味がないので定義を明確化しろとは無理な話である。


そしてこちらの方が厄介なのだが、他人のあてはめたこれらの形容詞を理解できなかったり、共感できなかったりすることがしばしばある。

「このピアス可愛くない?」「ここの景色きれいだよね~」「あそこのパフェおいしいらしいよ」

・・・個人的意見だが、会話の大半は共感と流行で成り立っている。疑念をもたげたり何それ?と聞いたりする暇はない場合が多い。そして話題になっている事柄について知らないし興味もない人は、なんとなくそのことを察され静かに交流が消える。友達がただでさえ少ない私にとっては恐怖そのものである。


上記の形容詞を使う対象で、その人の感性が評価されてしまうのも恐ろしい。「あんなものが好きなんだ」と侮蔑を含んだ目で見られることもある。勝手に家庭環境を推測されて「可哀想」と思われることも。

一例として。どうやら私の「おいしい」は両親からすると「おかしい」ものだったらしく、何度も笑われるうち「おいしい」を表現するのを控えるようになり、控えるうち自分なりの「おいしい」の基準がわからなくなってしまった。ほかの形容詞も、覚えてはいないが誰かに笑われたり、真っ向から否定されたりしたから分からなくなっているのだろうか。


一度基準が失われてしまうと、取り戻すか新しいものを構築するまでに大変時間がかかる。現在もだいたいの形容詞の「規範」が構築途中にあり、ゆえに揺らぐ。そのたびに私の精神状態も揺らぐ。大変迷惑な工事である。着工前のことを思い出せないので余計に改善が実感できない。変化の遅さはサグラダファミリアといい勝負だ。せめて死ぬ前には完成していてほしいのだが・・・。


だからこそ、感情や感性を表す言葉がたくさん欲しい。私でもわかるような言葉を集めた表現なら、共感できる可能性は高いし、何より傷つけない。「エモい」なんかで片づけられては推測の余地がない。機械学習よろしくたくさんのパターンを集めれば、いつか私によく合った表現が見つかる気がする。


「そのための小説ではないのか?」

…今はまだ、小説を読めるほど心的余裕がない。

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