Invader
伊島糸雨
1.孔 -opening-
人差し指と親指を曲げて、円をつくる。そこを覗き込むと、特に代わり映えのしない風景が、切り取られたようにうつっている。
けれども、しばらく目を凝らしていると、次第に円の中の景色が歪んで渦巻いて、それが弾けた時には、周囲と対応しないものがうつり込んでいる。鉄塔があったはずの場所に何もなかったり、駅が森になっていたり、橙色の空が不気味なほどに赤くなって、まるで世界に穴が空いたように見えたりする。
「綺麗だと思わない?」
私が差し出された指に顔を近づけると、真横に日織の口元がきて、彼女の囁きが耳をくすぐった。私は彼女の言うように、きれい、とつぶやいて、その不思議な光景に見入っていた。物語にあるような自分の知らない世界がまだあることに、私は心を踊らせた。
本当は入っちゃいけない屋上に私を呼んだのは、それを見せるためだったようだ。確かに、はあまりひけらかしていいものでもないだろう。それはきっと、日織にしかできない特別なことだ。
「昔から、見えるんだ。ここじゃないどこかがね」
彼女は手を引っ込めると、人差し指を唇に当てて「秘密だよ」と言った。
彼女は、小さくてもよく通る澄んだ声音で、密やかに語ってみせる。指の間に見える別の世界を眺めるのが好きなこと。誰にも言っていないこと。自分があまり人と一緒にいない理由。話し方が中学生にそぐわない理由。
「それは個性ということにしておいて欲しいな」
そこまで聞いて、私はふと疑問に思う。日織はどうして、私には教えてくれたのだろう。秘密なら、誰にも話さない方が良かったのではないだろうか。
言葉にすると、彼女は微笑んで、
「仲間が欲しかったんだ」
半身を影に埋めながら、そう言った。
「ずっと一人は、さすがに寂しいよ」
その黒曜石のような瞳には、私の姿が映っていた。
自分の空虚を埋めるのに必死で、自分以外に穴が開いてもなんとも思わない。足りないものをよそから持ってこようとして失敗する。満たされなくてやめられない。そういうろくでもなさと不器用さを暗い妖艶さの中に閉じ込めたのが、日織という人間だと、それなりに付き合いのある私は思っている。異論は認めるけれど、どうやったって結末は同じだろう。いつかやりすぎて、誰かに刺されるに決まっている。
とはいえ、日織が私にとってかけがえのない友達なのは確かだった。あんなことができるのは彼女以外にいないだろうし、何より、彼女は綺麗だった。
世界中の誰よりも、日織自身が別世界をうつすようで、その光景はただただ美しかった。
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