消えぬ炎にまつわる焼失


 せみの声も遠い、そんな深い夜のことである。

 簡易病室と化した樺冴かご家の一室でふと目を覚ました奈緒なおは、唐突に思った。


(あれ? そういえばあたし、真信先輩に告白してた……?)


 それは静音に後ろから腹部を撃たれて気絶する直前の話だ。その時のことを思い出そうと眠気に働かない頭を回転させた。


 死の淵を彷徨さまよったせいか銃弾に身体が揺れた後のことは記憶がおぼろだが、確かに「好きです」と告白した気がする。


(うん、した。絶対言った。…………にしては、真信先輩の態度が変わらなさすぎない……?)


 そりゃあ、自分を殺そうと銃口を向けていた相手の言葉だ。しかも死にかけのような状態だったのだから、うわ言と思われても仕方ない。そもそも家族のかたきとの交際を願うほど奈緒の神経は図太くない。けど。


 死ぬ直前の言葉にくらい真摯に向き合ってくれてもいいではないか。生き残ったのなんて奇跡なのだから、なおさら。


(どう思ってるんだろ、先輩……)


 決別した自分の想いとはうらはらに、彼があの告白をどう受け取ったのかが気がかりで、胸にくすぶる何かが消えてくれない。


 思考はゆるやかに睡魔へ溶けていく。

 治療が進んだといえど、少女の体力はまだ戻りきっていないらしい。彼女が三度まばたきする間に意識は夢の中へ落ちていった。









 奈緒が服を脱いで上半身をさらすと、金髪の少女が彼女の背中を触診し始めた。少女は珍しく真剣な面持ちで瓶底メガネを光らせている。


 とはいえいくら真面目な顔つきをしていても、おでこを丸出しにして恐竜パジャマを着ているのでシリアスな空気は皆無だ。マッドのマッドたる所以ゆえんである。


 マッドは奈緒が倒れて以来、献身的に治療してくれる。死にかけだった奈緒を救ったのもマッドであるらしい。


 マッドを知らない人間からすればこの巫山戯ふざけた少女のどこにそんな上等な脳みそが詰まっているのかと疑うかもしれないが、彼女の凄さを知っている奈緒は言われるままに診察を受けている。


 マッドは最後の仕上げにかざしていた聴診器を外して、慣れた手付きで結果を紙に記していく。スラスラと書かれるのは英語の筆記体だ。


 奈緒には内容がさっぱり理解できないので大人しく見守っていると、マッドが満面の笑みで顔を上げた。


「ウい、奈緒ちー全快なリますた! リハビリも万全万国博覧会! 明日から学校登校モ許可しテあげるますヨロ!」


「わぁ〜いやったあ。明日もう終業式だけど〜。あっという間に夏休みかぁ」


「予定通リパーチータイムまいむするます! 奈緒ちーモおいデ!」


「へっ、パーチー? ……もしかしてパーティーのことですか?」


 久々に私服を羽織った奈緒は、マッドに手を引かれてベッドを降りた。


 慌てて片手でボタンを止めながら小首を傾げる。パーティーとはいったい。そういえば中庭のほうがやけに騒がしいような……。


 訝しみながらも誘われるままに付いていく。

 縁側にたどり着いた奈緒が見たのは様変わりした庭だった。


 以前はただ庭木が生えているだけの空間だった場所にテントが張られている。学校の運動会で見るような長方形のそれではなく、アウトドア専門店で売ってある真四角のもの。それが二つ並べて立っている。


 テントの下では五、六人がガヤガヤと何かの準備を進めていた。


 奈緒があ然としていると、一番近くで炭を用意していた派手な髪型の男が気づいて顔を上げた。


「おっ、奈緒ちゃんよっすー。傷は癒えたみたいだな。良かった良かった。これが無駄になったらどうしようかと思ったぜ」


竜登りゅうとさん、あの……何やってるんですか?」


「あ? マッドに聴いて来たんじゃねぇの? バーベキューだよ。奈緒ちゃんの全快祝い」


 竜登があごで示した先にはバーベキュー用のコンロがあった。さらに横のテーブルには紙皿や食材が積まれている。

 おかっぱの女性が切った野菜を鉄串に刺しているところだった。


「どうしたんです、この機材」


「俺がここの蔵にあった鉄材で作った。なんか色々放置されてたからさあ」


「えっ……大丈夫なんですかそれ?」


 原材料が呪術者宅の蔵に所蔵されていたもの……。嫌な予感しかしないのだが。

 見たところ異変はない。予想に反して怪物が飛び出したりはしないようだ。


 奈緒がコンロをまじまじと観察する間に仕事は終わったらしい。竜登が吐息と共に背伸びをした。


「おっし、こっちの準備は完了。待ってろ、姐御あねごがいま火持ってくっから。──おっ、きたきた」


 竜登の言葉につられて振り返る。屋敷のほうからやって来たのは長身の女性だった。隙きのないOLみたいな白いシャツ姿、短い黒髪を後ろで無理やり結んでいる。もはや見慣れた静音の普段着だ。


 たが一点、いつもと違う部分があった。


「お待たせしました」


「静音さん……。手に持ってる仰々ぎょうぎょうしいそれは……」


 震える手で指差され静音は手元の荷物を見下ろした。


 それは一見すると小さめのライフルのようだった。だがよく見ると構造が全く違う。銃身にホースがついており、それが背中に背負った小ぶりなガスタンクのような物に繋がっている。


 明らかに、バーベキューには必要ないものだ。

 しかし顔を上げた静音は当たり前のように答える。


「これですか? 見ての通り軍事用火炎放射器です」


「ナチュラルに兵器持ち出さないでください意味分からないっ!」


「よく焼けますよ?」


「消し炭ですよ!」


 奈緒は頭を抱えた。


「あまりに火力が過剰! 火どころか炎ですし!? 屋敷ごと炭に変えるつもりですかっ!?」


「おっ、炭も自家製が良かったか?」


「竜登さんまでボケないでください、処理が間に合ってないから!」


 怒涛どとうの勢いに奈緒は息が切れてしまった。なんなのだこの連中は。揃いも揃ってどこかが抜けている。奈緒が来る前は誰がツッコミを入れていたのか。……まさか放置?


 疲労から肩で息をしていると、真信がマッドと連れ立ってやって来るのが見えた。いつの間にか消えていたマッドは彼を呼びに行っていたらしい。


 奈緒は彼に半ば泣きつくように取りついた。


「助けて真信先輩!」


「奈緒どうしたの?」


「どうしたじゃないです! 静音さんがバーベキューにアレを……!」


 奈緒の指差すほうには兵器を抱えた静音がいる。真信はそれだけで事態を覚ったらしく、仕方ないなというふうに苦笑を浮かべた。


「静音は料理しないからね」


「問題はそれ以前っ! 常識の範疇はんちゅう! 平賀の門下って、サバイバル能力と引き換えに大事なものを失くしてませんか?」


「まあ落ち着いて。まずは理由を聞いてみよう。──静音、どうしてそれ持ってきたの?」


 真信の問いに静音が鋭い目つきをさらに真剣に細めた。


「はい、屋外での調理で注意すべきは食材の鮮度です。特に本日の気温・湿度では日陰にあっても肉の扱いは油断ならないもの。肉が傷む前に焼いてしまうべきと判断しました。ですので現在手持ちの中から最も高火力の道具を持参したのです」


「料理できない頭良い人の調理理論はあったま悪いなぁ」


 奈緒が思わずこぼすと、静音はさすがに自分の選択に不安を感じたらしい。伸びた背筋のまま視線だけがオロオロと泳ぐ。


 その後、源蔵と何やら話し込んでいた深月が合流し、無事にバーベキューは始まった。


 マッドが謎の調味料をかけようとしたり、コンロから怨霊じみた悲鳴が聴こえてきたりとひと悶着あったが、奈緒は久しぶりに大勢で夕食を食べたのだった。







 近くの川を渡ってきた風が、火照った身体を凪いでいく。軽く滲んだ汗が冷やされ奈緒は息をついた。


 時刻は七時を過ぎている。すでに夏至は過ぎたというのに景色はまだ明るく、けれど人の影は長い。もうじき夕焼けが空を染めるだろう。


 にぎやかな食事も終わり、男手が道具を片付けている。深月の姿もない。また源蔵に呼ばれて屋敷の中へ戻ってしまった。マッドは蔵の研究室だろうか。


 片付けは全て門下が引き受けたので奈緒は手持ち無沙汰だった。同じように暇を持て余しているのは、縁側の隅のほうで拳銃の手入れをしている真信だけだ。


 見渡すがやはり、女性陣の姿はない。

 奈緒は真信にゆっくり近づきその隣に腰を下ろした。


「いや〜、楽しかったですね、バーベキュー」


「うん、そうだね」


 手元に注視したままにこやかな答えが返ってくる。それが何だかつまらなくて、奈緒は後ろ手を組んで軽く呟いた。


「あたしあの時、真信先輩に告白しましたよね?」


「────それは……」


 真信が息を呑み手を止めた。視線がゆっくりとこちらを向く。

 少年の意表をつけたのに満足して、奈緒は笑った。


「奈緒……」


「あはっ、返事とかいりませんよ。だってアレ、嘘ですもん」


 少年の顔があまりに悲痛だったせいだ。

 奈緒は気づけば、そんなことを口走っていた。


「だって、やっと見つけた家族のかたきですよ? あと一歩で殺せたんです。なのにもう引き金は引けなくて……。死ぬと思ってたから、だから最後に、先輩にできるだけ傷ついて欲しかったんです。ただそれだけで、だから返事なんか必要ないんですよ〜」


 どんどん湧いて出てくる言い訳を口にしながら、奈緒は真信の目が見れないでいる自分に気づいた。


 ああ、自分はちゃんと、何でもないように笑えているだろうか。それが気がかりで少年の瞳に映る己を見つめることができない。


 奈緒が語ると、真信がほっと息をつく。


「そうか。なんだ、よかった。ずっと何でもないふりをしてたけど、本当はキミの言葉の意味をずっと考えて苦しかったんだ。まんまと目論見にはまってたのか僕」


「そうですよ〜。先輩ってばチョロいですねぇ。ま、あたしも生き残っちゃったし、復讐は終わったし、もう気にしないでください」


 嘘だった。

 本当は気にしてくれていたことが嬉しかったし、もっと悩んで欲しかった。


 終わらせたくないと、心の内で叫ぶ炎に水をかけ、意識して口角を上げる。

 真信はそんな奈緒の葛藤に気づかない。


「やっぱり奈緒は強いね。僕は奈緒に助けられてばかりで、キミの考えに至らないばかりだ。

 でも今なら、同じ気持ちでいられるって思う」


 真信が手の内の銃を二人の間に置く。そして奈緒を真っ直ぐ見つめた。


「奈緒は僕の人生を裁定する。僕はキミに応えられるように生きる。だから僕らは同じ運命を共にするパートナーだ。だろ?」


 言って、少年は笑う。その嬉しそうな少年の顔が奈緒の胸をじりじりと焼いた。


「……はい。ずっと見張ってますんで、そのつもりで」


 それだけ言うのが精一杯で、奈緒は真信が立ち去るまで、彼を見返すことができなかった。





 少年の座っていた場所を指先で撫でる。感じる熱は奈緒の心に残ったくすぶりより生ぬるい。


 ため息をつくと視線を感じて、奈緒は憮然と上目遣いに障子の向こうを見た。


「何見てるんですか、マッドさん」


 ぼそりと呟くと、金髪の少女がおずおずと出てくる。この様子からしてさっきの会話を聞いてしまったのだろう。出てくるタイミングを逃したらしい。


 マッドは奈緒の横に膝をつき、両手を広げた。


「な、奈緒ちー。マッドのお胸はオーダーメイドの土産枕よリ気持チいいと思ウデすよ?」


 奈緒があまりに落ち込んでいたからだろう。普段から空気を読まない彼女にしては、気を使ってくれる。


「わあ、すごいなぁ。じゃあちょっとだけ借りようかな〜。うっわ至福」


 言われるまま豊満な胸部に顔を埋めると、予想以上の柔らかさがそこにあった。低反発枕もかくや。いや、これは人類の科学力ではいまだ再現できぬ至宝か。

 バーベキューの香りに混じって、どことなく薬品の清潔な匂いがした。


「奈緒ちー、よしよし」


 頭を抱きしめられ子供のように撫でられる。その温かさと心地よさが、かたくなになっていた奈緒の何かを溶かした。


「ぅうっ〜……」


 目元が熱くなる。奈緒はマッドにしがみついて、さらに顔をうずめた。


 恋しいやら悲しいやら憎らしいやらで、ごちゃまぜになった感情を言葉にできない。真信への気持ちを整理できなくて怒ればいいのか笑えばいいのかすら分からなかった。


 ただただ、胸が締め付けられて苦しい。


(あぁあ、一回死にかけて、涙もろくなっちゃったかな)


 マッドのパジャマを濡らしてしまって申し訳ない。けど、涙の理由が自分でも分からないから、止めることもできない。人に涙を見られたくなくて顔を上げることすらできなかった。


 胸中に渦巻く感情にたった一つの名前を付けるのは難しい。けれど。


 自分は失恋したのだと、それだけが確かだ。


「奈緒ちー、だいじョぶ?」


 気遣わしげな呼びかけだった。それに奈緒は鼻をすすって、顔を上げぬまま口を開く。


「深月先輩は、きっと一人でも行っちゃいますよね」


「? 深月ちは独走気味たまゴデすゆえなー。いざとなったラ、クラウチングスタートデ真信サマは置いテきぼリな熊の木彫リますね」


「はい。でも、あたしはずっと、死ぬまで真信先輩の隣にいますよ。……あの人の生き様を見守らなきゃだから」


 奈緒は笑みを作って、マッドのキョトンとした顔を見上げた。


「だからあたしは、これでいいんです」


 深月はきっと自分のために生きる人間だ。たとえ真信と別の選択をしても、彼を置いてでも先へ進むだろう。


 けれど奈緒が裁定者でいる限り、真信と道が分かたれることはない。


 真信と奈緒は恋人にはなれない。それはきっと、永遠に。


 真信を何度刺し殺しても消えない憎しみと、

 どんなに憎くても打ち消しきれない恋心。


 奈緒は消えてくれないこの相反する感情に身を焼き続けるしかない。


 それでも奈緒は、立ち止まらない。


 この身を焦がす感情を、この消えてくれない想いを力にしよう。加工して、細工して────恋のためじゃなくて、戦うための力にしよう。


 そうしないと、真信の隣に居続けることはできない。付いていく力も覚悟も、まだ奈緒には足りないのだから。だから利用できるものは何でも利用しなくては。


 そうやって目の前で結ばれる決意にマッドは、奈緒の心中を計りかねているのだろう、終始不思議そうに彼女を見つめているのだった。



       消えぬ炎にまつわる焼失 了

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