いつも生意気な後輩に素っ気なく接した後で、優しく抱きしめたらどうなるか検証してみた。

式崎識也

こういうの、始めてみました。

 


「先輩。ようやく来たんですか? 遅いですよ」


 文芸部の後輩は、いつも通りこちらを見下すような顔で笑う。


「……はぁ」


 俺はそれにいつもと打って変わって、呆れたようなため息を返す。


「あれ? あれれ? どうしたんですか? 先輩。なんか今日はご機嫌斜めですね。反抗期ですか? いいんですか? 私にそんな態度とって。私がこの部活やめちゃったら、ぼっちな先輩の唯一の拠り所の文芸部が、廃部になっちゃうんですよ?」


「…………お前は、それでいいの?」


「なんです? 先輩。そのこっちを試すような、生意気な瞳は。……もちろん私は、こんな部活どうなったっていいですよ。私は先輩と違って、友達も多いしモテモテですもん。こんな部活無くなったって、痛くもかゆくもありません」


「そうか。……そうだよな」


 そう呟いて、疲れたように椅子に体重を預ける。まるで、なにもかも諦めたかのように。


「おやおや嫉妬ですか? 先輩。ぼっちな先輩には私とこの場所しかないのかもしれませんけど、私にとってこの場所はただの暇つぶし。先輩が泣いて頼むから私は──」


 いつもの調子づいた物言いに、俺は少し強い口調で割り込む。


「悪い。今日はそういうの、いいから」


「え、え? な、なに私の話に割り込んでるんですか、先輩。……一体どうしたんです? 私にそんな態度とったら、どうなるか分からないんですか?」


「分かってるよ。でも、もう……」


 俺はそこで一度、もったいぶるように黙り込む。


「なんで黙るんですか! ホント、今日の先輩はイライラします。生意気です。これ以上、私を怒らせないで下さい。分かってるんですか? 先輩にとって私は──」


「だからそういうのは、もういいって」


 後輩の言葉を遮るように、少し強い口調で言い捨てる。


「な、なんなんですか! その態度! 私が抜けたらこの部活が廃部になるって分かってるんですか! 先輩の唯一の拠り所がなくなっちゃうんですよ。だからもっと、私に媚びないとダメでしょ? 私は先輩と違って、忙しいんですから」


「いや……そうだな。確かにお前の言う通りだ」


「おや、ようやく気づいたんですか? だったら──」


「そうじゃなくて、もし本当に嫌なんだったら、もう辞めてもいいぞ」


「…………え?」


 後輩の目が驚愕に染まる。まさかそんな言葉が、俺の口から出てくると思わなかったんだろう。


「わ、分かってるんですか? 先輩。私が抜けたらこの部活、潰れちゃうんですよ? ぼっちな先輩の、唯一の拠り所がなくなっちゃうんですよ? 本当に分かってるんですか?」


「分かってるよ。……でも、思ったんだ。俺のわがままに、関係の無いお前をずっと巻き込んで本当にいいのかって」


「いや、え? それは……」


「お前のいう通り、ここは俺の居場所だ。というより、俺の居場所はここしか無い。だから俺は必死にこの場所に……縋り付いている。でもさ、お前はそうじゃないだろ? お前は俺と違って友達も多いし、……もしかしたら彼氏だっているのかもしれない」


「は? な、何を言ってるんですか、突然! か、彼氏なんているわけないじゃないですか!」


 困惑する後輩に、できるだけ優しい笑みを返して、俺は言葉を続ける。


「お前はさ、優しいからそう言ってくれるのかもしれないけど……。でも、俺のわがままに付き合わせて、これ以上、お前の青春を無駄にさせるわけにはいかない」


「……なにかあったんですか? 先輩」


「別に……。ただ、ふと思ったんだよ。お前はさ、いつも俺に辛辣な態度をとるだろ?」


「え、ええ。それは、そうですけど……」


「でもお前がそういう態度をとるのは、俺に対してだけだ。他の奴と接する時のお前は、もっと優しい奴だ」


「…………」


 後輩は困った顔で黙り込む。俺はそれに軽い笑みを返してから、言い辛いことを言うようにゆっくりと口を開く。


「お前はさ、俺のこと……嫌いなんだろ?」


「ち、違いますよ! 私のこれはそういうんじゃなくて……」


「分かってるよ。お前がそう言ってくれる、優しい奴だってことは。……でも俺はそんなお前に無理を言って、こんな部活に入ってもらったんだ。お前が怒って辛辣になるのも無理ない……」


「なんなんですか、今日は……。私の軽口なんて、そんなのいつものことじゃないですか。そんな、気にしなくても……」


 後輩は困ったような顔で、俺から視線を逸らす。俺も少し疲れたから、後輩から視線を逸らし空を眺める。赤い夕焼けを背に、カラスが鳴いている。


「先輩」


「……なんだ?」


「…………私が辞めちゃったら、この部活なくなっちゃうんですよ? 本当に本当に、いいんですか?」


「ああ。それは俺にとって辛いことだけど、そのせいでこれ以上、お前に迷惑はかけられない」


「でも……でも、この部活が無くなっちゃったら、私と話す機会もなくなっちゃうんですよ? それでもいいんですか? もう二度と、私みたいな可愛い後輩と仲良くできないんですよ?」


「……でもお前は俺なんかと話せなくても、問題ないんだろ? なら構わないよ」


「…………」


「………………」


 重い沈黙が降りる。後輩は何かを耐えるように、下を向いたまま言葉を発さない。俺はただ黙ってその姿を見つめる。秒針の音だけが、静かに部室にこだまする。


 ……そろそろ、いいか。俺がそう思って口を開こうとした直後、身体に衝撃が走った。


「痛っ。…………え?」


 後輩は何も言葉を発さず、ただ俺に抱きついてきた。


 ……何これ? え?


 流石にこういう展開は想像していなかったせいで、俺は何も言葉をかけられず、されるがままになってしまう。


「……」


「…………」


「………………」


「……………………いや、どうしたんだよ? なんで急に……」


 なんとかそう、言葉を搾り出す。後輩はそれに、ぎゅっと俺を強く抱きしめてから震えた声で返事をする。


「どうして抱きしめ返してくれないんですか……!」


「いや、意味が分からないんだけど……」


「それはこっちの台詞です! どうして急に、そんなこと言うんですか! 意味わかんないです! 先輩は……先輩は私のこと好きなんじゃないんですか!」


「……いや……え?」


 いやいや、なんだよそれ。え? いつの間にそんなことになったんだ? ……やばい。想定よりもずっと、やばい。どうすりゃいいんだ? これ。


「先輩はもう、私のこといらなくなっちゃいました? もしかして、私の代わりの人が見つかったんですか? やめて下さい! 絶対そんな奴より、私の方が先輩の力になれます! ……だからお願いだから、捨てないで……!」


「捨てるとか捨てないとか、いつそんな話になったんだよ。いやそもそも、お前、俺のこと嫌いなんじゃないの?」


「嫌いなんて……そんなわけないじゃないですか! 私はずっと……ずっと、先輩のことが好きなんですから!」


「…………」


 あまりの事態に頭が追いつかない。……もしかしてこいつも、俺を騙そうとしてるのか? そう一瞬思うけど、あのプライドの高い後輩がこんな泣きそうな顔で抱きついまで、俺を騙そうとするなんてどうしても思えない。


 ……えっとつまり、俺、告白されたの?


「どうして、何も言ってくれないんですか!」


「いや……」


 大きく息を吐いて、思考する。こんな事になるなんて、思いもしなかった。俺の計算では、もう少し軽いノリで治る筈だった。しかし、現実はどうだ? 何故か泣かれて、しかも告白までされてしまった。こんなことになった以上、もう半端な真似はできない。俺も、本気で考えるしかない。考えろ。本気で考えろ。


 俺はこの後輩を、どう思ってるんだ?


「……先輩……」


 どこか甘えるような後輩の瞳を見て、俺は覚悟を決めて想いを口にする。


「……好きだよ。俺も、お前が好きだ」


 後輩の背中に優しく手を回して、そう告げる。後輩もそれに応えるように、ぎゅっと強く抱きしめる。


「今まで強く当たってごめんね? 先輩。あれは……」


「いいよ、分かってるから」


「……先輩大好き」


 本当は何も分かっていなかったけれど、とりあえずそう言うしかない。


「………………ところで、先輩」


「なに?」


「なんで急に、私にあんな態度とったんですか?」


「……あれは……」


 あれは今更、言えるようなことじゃない。まさかあんな適当な計画が、こんな事態を引き起こすなんて思いもしなかった。だから、正直に言うわけにはいかない。なんとか、誤魔化さないと。


「言えないようなことなんですか?」


「いや、だから……」


「先輩の後ろに隠すような置いてある、ドッキリ大成功なんて看板とは、なんの関係も無いですよね?」


「ぶふっ!」


 やばい。バレてる。生意気な後輩になんとか仕返しをしてやろうと、ちまちまと考えた策略がバレてしまっている。最悪、後輩が怒ってこの部活を辞めるって言った時に、あの看板を見せて許しを乞う作戦が裏目に出てしまった。くそっ、あんなふざけた看板、わざわざ用意するんじゃなかった!


「大丈夫ですよ? 先輩。私が先輩を好きなのは、本当ですから。……だから先輩も、私のこと好きですよね?」


 どこか妖艶な瞳に、背筋を這い回る恐怖を感じる。まさかはめられたのは、俺の方なのか?


「あ、ああ。無論だとも」


 しかし、気づいたとしても、もう遅い。ここまで追い詰められてしまった以上、逃げる手立ては存在しない。


「やった! じゃあ先輩。これから……分かってますよね?」


 そう言って笑う後輩に、俺はただ苦笑いしかできなかった。

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いつも生意気な後輩に素っ気なく接した後で、優しく抱きしめたらどうなるか検証してみた。 式崎識也 @shiki3

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