誕生日の前日

 サプライズを決めてからのひとみの誕生日があっという間に前日を迎えていた。


 かと言って準備に関しては全て滞りなく進んでいて、逆に怖いくらいで自分でも信じられない。


 当日、ひとみはあの光景を見てどう思ってくれるだろうか?


 誕生日があって良かったって思ってもらえれば俺はそれでいい、ひとみが俺にそうしてくれたように、俺もひとみに同じ思いを感じてもらいたい。


 それが彼氏………未来の旦那のやるべき事って自分でそんなこと言う日が来るとはね。


 何度でも言うが、ひとみがいなければ俺はここにいない。


 だからこそ、最大級の感謝とこの先も一緒にいたいという願いを込めて。


 その日を嫌でも思い出に残る誕生日にしてみせるから覚悟してくれよ、大事な俺の奥様。


 誕生日の前日、俺とひとみと美優はバイトがあって基本的に土日は出勤する形になっている。


 ひとみの誕生日が日曜なのだが、俺ら三人は何とか休みを取ることが出来た。


 土日はそれなりにお客様が来るので、人は必要らしい。


 十二月はもっと忙しくなるらしいので、今のうちにということで、俺らは休みを貰うことが出来た。


 始業前、ひとみは美優に休みの理由を聞いていた。


「珍しいね、美優が日曜日休むなんて」

「久美さんからね、来月の演奏会の追い込みをしたいって言われて」

「そうなんだ、そろそろだもんね」

「久美さん達の最後の晴れ舞台だからちゃんとやりたくて」

「美優らしくていいと思うよ」

「ありがとう、ひとみ。ひとみも明日はちゃんと楽しんでね」


 二人の微笑ましくなる会話を俺は少しだけ離れたところから聞いていた。


 彼氏だからって無闇に女子のましてや親友同士の会話にわざわざ入る必要などない。


 すると、美優がこっちにやってきて何かを言いたそうな顔をしていた。

 一体どんな毒舌砲が飛んでるかのかも思いきや。


「どうした美優?」

「先輩、明日ひとみのことお願いしますね。ちゃんと楽しませてあげて下さいね」

「そんなのは当たり前だ。いつもひとみのことを気に掛けてくれてありがとう」

「それは親友ですからね。後は二人で夫婦つつましくいてください」


 そう言って、美優は休憩室から出て行ってしまったのだ。


 まさか、美優からあんな言葉が来るなんて思いもしない。『つつましく』なんて言いたくないはずなのに………ありがとう、美優。


 こりゃ、あそこに言った時にひとみには笑顔でいてもらわないと後怖いけど……あれ、ちょっと待てよ?


 あそこに行くときはひとみにはちょっとした小細工をしないといけない訳だから……俺、死んだか?死んだよな!


 俺らは当然だが仕事中はそんな無粋なことを考えたりはしない………多分。


 このお店には短いながらも色々とお世話になっているので極力、迷惑になることはしたくなかったので、終わるまでは仕事の事だけに集中した。


 昼休みは、俺と同じ時間帯だったらしく顔が少しだけ緩んでいたが、多分それは俺も同じような状態に違いないのだ。


 けど、それが当たり前なんだと………だって、好きだから緩むんだから。


 なので、俺はひとみに一言だけ言う。


「ひとみ、今日も残り半分頑張ろうな。顔が少し緩んでるよ」

「いつの間にか顔緩んでたんだね。教えてくれてありがとう」

「いつもなら多少は森川さんに怒られてもいいやって思えるけど、今日はやり切って帰りたいからな」

「うん♪」


 さて、そろそろ仕事モードに戻さないと怒られて仕事を終えるのだけは避けたいので。


 休憩室から売り場に出る前にひとみが俺のYシャツを裾を引っ張るものだからどうかしたのかと思って振り向くと。


「お仕事頑張ってね、いってきます♪」


 突然のキスが飛んでくる。


 ちょ、ちょっと………お、奥さま~!?


 人が仕事頑張ろうって所でなにをやらかしてくれているんですかね!嬉しすぎて心臓が止まるかと思ったし、俺の顔が戻らないんですけど……


『頑張ろうね』って言って先に行く奥様を見て、バックヤードで数秒フリーズ………いや、あんなことされてフリーズしない男子のメンタル知りたいわ!


 でも、やる気を促してくれてもいるので、頭の中を切り替えて仕事モードに切り替えてその日はなんとか乗り切ったのだった。


 三人とも夕方でバイトが終わりで、美優は『明日の準備があるので』って言って先に帰ったとのこと。


 帰りの最中にひとみは美優の行動を不思議に感じていた。


「今日の美優、なんか少し変だったなー。どうしたんだろう?」

「俺には、焦ってるだけに見えたけど?」


 確かに、サプライズと言っても夜に近いので、今から何かする必要性はないが美優も個人的に何かを考えてるのかも知れないな。


 そう思い、俺は少しだけ濁すような言い方になった。


「うーん、あなたの方が私よりも見えるからそうなのかな?」

「俺はひとみしか見えてないんだけど。それにひとみの方が美優と親友なんだからそう思うってことは何かあるかもな」

「だとしたら心配……ねぇ、あなた……どうしたらいい?」


 ひとみは俺に解決策をお願いしてきたけど、その理由をある程度は知ってるのでどう答えようか迷ったが、答えを出さない訳にはいかないので……


「そうしたら、正直に月曜に聞いてみるのが一番じゃないか」


 答えられるのがこれしか無いのも申し訳ないが………悪者がグルになるとちゃんとした言い回しが出来ない。


 俺の言い分にひとみは。


「答えてくれるかな?」

「大丈夫だ、本当に答えるのが辛そうならひとみが引けばいい」

「うん、そうだね。いつもアドバイスありがとう」

「奥様の為なら出来る限りのことはするに決まってるんだから気にしないで、けどあれにはさすがにビビったぞ」

「あれ?なんのこと?」


 ほぅ、ここ最近になって悪知恵がついたようで、こうやってとぼけてくることもあるが俺は嫌よりも嬉しさが勝っていた。


 それだけ、俺に対して”対等”という願いを叶えていてくれているということだから嬉しいに決まってるし、そうやってしてくれることに咎める気なんぞないんだから。


 いつ見られるか判らない状況の中で、あれをするというのは、愛情の表れだと思うから。


「全く、あんなところでキスなんていうご褒美をくれるなんて思ってなかったぞ」

「ご褒美って思ってくれるならしてよかった♪」

「誰かに見られてもよかったのか?」

「だって、私達の関係はみんな知ってるし店内でしてる訳じゃないから」


 なんて可愛いことを言うんだろうなこの奥様は。


 そのひとみの思いに俺も応えたいが、その思いを上回る思いとなると、さすがに店の人に文句を言われるかもしれないけどその時はその時だな。


 今しないといけないのは、この時を全力で走り抜けることで立ち止まったりしない。


「なら、俺もひとみに今度からご褒美上げないとな」

「いいの?」

「ああ、ひとみがしてくれているのに俺がしないのはあり得ないからな。ご褒美は何がいい?」

「私が決めていいの?あなたがしたいことが私のご褒美なのに?」

「そんなのは知ってるし、なんか同じ答えになりそうだから一応、聞いてみようと思ってさ」

「なら、また同時に言ってみる?」


 この言葉が出るってことは、俺とひとみがほとんど同じ思いを持っているという確信に近いことを意味していた。


 だからこそ、俺らは次の言葉を迷いなく言うことが出来るのだと。


「それじゃ、行くぞ。せーの」

「「抱きしめて」」


 ……うん、やっぱりね……それしかないんだもんね……解ってたよ。


 今日、まだご褒美を上げていないのでご褒美を上げることにして、俺は後ろから愛する奥様をそっと抱きしめた。


「温かい♪こんなことを仕事中にされたら仕事モードに戻れないよ~意地悪な旦那様♪」

「なら、仕事が終わった後のご褒美にしようか?頑張れのご褒美は頬か額にキスってことで。それでいいか?」


 俺が言い終えると、抱きしめながら絡めていた指の力が強くなったのが分かった。


「それだと、私のご褒美が二つになっちゃうよ?」

「ひとみは一つの方がいいのか?」

「ううん、両方欲しい♪」

「それでいいんだよ、俺は常にご褒美貰っているからね」

「誕生日は明日なのに、もう色々もらってる気がするな〜」

「全く、俺はまだ何も渡してないからな。明日、ひとみが欲しいのがあればちゃんと言ってな」

「私は、あなたがくれるなら物だったらなんだって嬉しいのに」


 それくらいは理解してるつもりですよ奥様。ちゃんと俺がプレゼントしたいと思った物があればプレゼントするつもりでいる。


 けど、それは俺の自己満足でひとみが欲しいと思った物は買ってあげたいのだ。


「いいのか?両手じゃ支えきれない量になるけど?」

「それだけ私のことを考えてくれているってことだよね?」

「そうだよ、俺はひとみが幸せと思ってくれるならなんだってするから」

「もう、十分なのに。私はあなたさえいてくれるなら他に望むことは無いの」


 そんなのは俺だって同じだよ。


 俺らが着けているネックレスと指輪で、俺らの絆は絶対的な物になっているから、俺はひとみがいるなら他にひとみに望むことは一つだけ。


 俺らの”愛の結晶”だろうな、俺らの手は偶然にもひとみのお腹の辺りに手があった。


 それは、必然なのか偶然なのか判らないけど、ひとみも同じだって思ってくれたら嬉しいけどね。


「それじゃ、明日に備えて今日は早めに帰ろうか」

「明日が楽しみだね、あなた♪」

「あ、そうだ。明日なんだけどさ、制服でデートにしないか?」

「それはいいけど、どうして?」


 ひとみの言い分はもっともだろう。


 誕生日で休日なのだから、わざわざ制服に着替える理由はないのだから。


 だけど、”今”しか楽しめないことをしたいからであって、俺はこう言った。


「俺は、来年この制服を着ることは出来ないから出来ればひとみと制服で誕生日を祝えたことを思い出にしたいんだ。俺のプレゼントの一つになるんだけどね」

「あなたの誕生日もその方が良かったの?」

「いや、これに関しては誕生日が終わってから気づいたんだ。しかも、ひとみがカメラのことを提案してくれた時にな」


 制服=学生という思い出とカメラにそれを残すことによって、俺とひとみが高校時代をいかに輝いていたのかを、証明する大事なアイテムでもあるのだ。


 私服になってしまうと、高校の時なのかそれともその後なのかが曖昧になってしまうのが嫌だったから。


 俺らが輝いてるのは今だからで、高校時代を謳歌したい。


 それなら、制服で誕生日デートをする方がカメラに残った時も分かりやすいし、何よりも俺らがその時をいつでも、鮮明に思い出せるようにと。


 だから、俺は言葉を紡いでいく。


「制服ってさ、今を生きてるって感じがするんだよ。だからこそ思い出に残したいのもあるし、俺の最後の高校生活の中での強い思い出にしたいからなんだ」

「あなた………」

「これに関しては、俺の勝手な願いであって明日の主役はひとみだからひとみが決めて欲しい。俺は口に出しただけだから」


 絡んでいた指が急に離れて、ひとみが俺の正面に来ると両腕を俺の首に回して抱きついてきた。


「本当に私の事ばかりなんだから……でも、ありがとう。私もそれがいいな♪」

「俺こそありがとう。こんな無茶な要求なんてして」

「無茶じゃないよ、寧ろ高校生なんだから健全な方に入ると思うよ」


 そういえば、本来は休日でも出掛ける際は制服着用って生徒手帳に載ってたな。


 俺が提案してることは至って普通の事であって、無茶とかそうゆう問題じゃなくて高校生としては当たり前の事か。


 抱きしめてくれた後は、腕に抱きついたまま、ひとみの家の前までゆっくりと歩いた。


「ねぇ、あなた。お願いがあるんだけどいい?」

「ああ、明日は迎えに行くから安心して」

「なんで分かったの?」

「っていうか最初からそのつもりだったよ。勿論、あの事が無くもな」

「あ、それはもう気にしてないの。そもそも、なかったことにしたから」

「そうなのか。思い出させて悪い」

「ん?思い出すのはあなたに抱かれたことだけだよ。それが悪いことなの?」


 あー、夜になると何故か破壊力が数倍に跳ね上がるのだろうか?不思議だよね………月を見たら暴れるやつ………ありゃ、猿だわ。


 でも、狼もつきとか見るからなーって訳が分からなくなってきたからやめよう。


 今の奥様に太刀打ちできる手立てが全く見つからないので、白旗を上げるしか方法がないのが現状であった。


「嬉しいよ、俺もそのことは無かったことにして奥様を美味しく頂いたってことにするからな」

「うん、でも明日我慢できなかったら今食べてもいいからね♪」

「それなら、もう少し早く帰ってくれば食べれたな、失敗したな」


 なんて、少し調子に乗って欲望を表に出てしまい、それを聞いた奥様は………


「ねぇ、一緒にいたい」


 俺が調子に乗ったとは言え、不意にとどめの一撃をジャブのように放ってくるのは反則ではありませんかね?


 しかも、上目遣いまでしてくるし!


 そんなことを言われたら『また明日』なんて呑気なこと言えるかい!


「大丈夫かどうか一旦母さんに連絡だけ入れてくるから、ひとみはお義母さんにちゃんと言ってきて。それからだな」

「うん、分かった♪」


 そう言って、ご機嫌で家の中に入っていくと携帯を取り出して家に電話をした。


 さーてと、緊急ミーティング及び緊急ミッション開始だな。

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