第10話 ー洗濯物ー
すっかりとしたイチョウの葉が黄色く色づく休日、咲良は洗濯物を干していた。
平日は1時間程度乾燥機にかけるが、休みの日は太陽の下で干したくなる。
外は少し寒くなり手が
ふとハンガーにかけたカーディガンが風に煽られするりと隣のアパートの駐輪場に落ちた。
「あ…」
思わず声が出る咲良と、丁度出掛けようと自転車の鍵を解除してた、細めのフレーム眼鏡が良く似合う青年と目があった。
「すいません。その洗濯物、私のです。すぐそちらに取りに行きますので。」
咲良は急いで下に降りた。
青年は地面に落ちたカーディガンを優しく畳んで手に持っていた。
そして、爽やかな笑顔で渡し、それから、自転車に乗って出掛けて行った。
それが奏太との出会いだ。
咲良はあの爽やかな笑顔が脳裏から離れずにいた。
ここに越してきて半年以上は経つが、案外ご近所さんを知らない。
奏太は外資系金融会社に勤める29歳。普段は朝7時には家を出る。
10時出勤の咲良とは家が近いと言えど、普段会うことはない。
人口密集地の東京。狭いようで実は広く奥深い。
時間が1時間でもずれると、まるでパラレルワールドにいるかのように簡単には会えない人がいる。
そう、洗濯物が運良く二人を巡り合わせたのだ。
それから三週間が経った日曜日。咲良は朝9時からの習字教室に向かおうと自転車に乗ろうとしていた。
すると、隣のアパートから自転車の鍵を解除する音が聞こえた。
奏太がそこにいた。
「この前は洗濯物をありがとうございました。」
「いえいえ。今日はお出かけですか。」
「習い事の習字に行ってくるんです。」
「習字?珍しいですね。」
「そうですか?子供の頃習っててまた再開したんです。」
「へぇ!自分、字がものすごく下手で…今度機会あったら教えて下さい。」
爽やかな眼鏡の奏太が字が下手なんて想像つかない。
しかし、一見完璧そうで、自分の苦手分野を打ち明けられるところに少し意地っ張りで人に弱みを見せたくない咲良にはない何か魅力を感じた。
「私でよければ是非是非。」
「近所なのに中々会わないし、よかったら連絡先交換してもいいですか。」
連絡先を交換して、咲良は習字教室に出掛けた。
鼻歌交じりに上機嫌で自転車に乗る咲良。
今日の習字の課題文字は『閑中至楽』
休みを楽しみなさい。ゆったりと静閑なところに至上の楽しみがあるという意味。
止め、ハネ、文字を美しく書く筆先に無心になって注力を注ぎ込んだ。
「先生、出来ました。」
この習字教室では、納得のいく一枚が書けたら、先生に赤筆で添削してもらうという流れ。
「咲良さん、すごく集中して書いてましたね。文字にも現れてます。」
咲良は褒められると嬉しさと照れで、下を向く癖がある。
「特にこの”中”という時の一本線。まるで何かが吹っ切れたかのような芯のある真っすぐな線。とってもいいですよ。」
この時、咲良は真司と別れていこう持ち続けていたモヤモヤとした感情が薄れていた。
まだ、2回しか通っていないにも関わらず、先生に心の中を読まれた気がして少し照れ恥ずかしくなりまた下を向いた。
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