第8話 ー桃子のmarriage blueー



 桃子には6年付き合っている彼氏がいる。

 桃子は会社の辞令で名古屋からこのシェアハウスに引っ越してきた。

 転勤辞令が出たタイミングで彼氏からプロポーズを受け婚約をしてから東京に来た。

 桃子の彼氏は若くして家業の貿易会社の役員を務めている。


 桃子が今の彼氏、涼と付き合い始めたのは丁度、桃子が、26歳の時。

 当時務めていた会社の取引先の営業マンだった。


 この頃の桃子は職場の人間関係に悩んでいた時期だった。

 苦手なお局とウマが合わず、嫌がらせを受けていた。

 桃子は容姿端麗で周りの男性社員とも分け隔てなく会話ができる。

 それが、お局には気に食わなかったのだ。朝会社に行くとPCが全く関係のない部署の机に置いてある、机の上に飲み終えたペットボトルが散らばっている。

 決定的な証拠がないが、社内で露骨に桃子のことを毛嫌いしている相手に決定的な証拠がなく突き止められずにいた。

 能力とは別の職場関係に嫌気がさし転職を考えていた。

 そのタイミングで涼に出会ったのだ。桃子の悩みを親身に聞いてくれ、的確にアドバイスもくれる、優しく包み込んでくれる包容力のおかげで心が安らぐ。


 そんなある日、桃子は仕事での対人関係に疲れ、涼にたわいもない事で八つ当たりし、長引くような大きな喧嘩をしてしまった。

 喧嘩というのは、後に振り返ればどうでもいい些細なことから始まる。

 桃子は職場での対人関係で、自分のこれまでの人生と照らし合わせて考え込み落ち込んでいた時期だった。

 そんな矢先にいつもそばにいてくれる優しい涼に喧嘩してしまい、さらに落ち込んでいた。

 喧嘩の発端は涼がコーヒーを飲み終えたコップをキッチンに置いたままにしてしまい、桃子が気がつかずに、サイダーを注ぎ飲んでしまった。

 サイダーの味が苦くて少し気持ち悪くなった。

 それだけのことなのに、声を荒げて、罵ってしまったのだ。

 感情が落ち着く頃には怒りを露わにしてしまったことに後悔していた。

 しかし、素直に謝れない自分がいた。

 涼は桃子の感情が落ち着く頃を見計らい、優しく後ろから抱きしめた。

 涼の腕の中に蹲ると、自然と素直な感情が生まれる。


「感情的になってごめんね。」 


「もういいよ。でも、俺だって人間なんだから、もう少し優しくしてね」


 そう言って冗談交じりに涼は、はにかんだ。


 恋人同士、感情が重なりあう時もあれば、遠のいたり、衝突して、互いのあらゆる感情の沸点を理解しあっていく。

 二人にとっては、この6年間が恋から愛に形を変えさせていった期間だった。


 桃子はこのシェアハウスに来て、これまで同棲してきた彼氏との遠距離恋愛に寂しさを感じていた。

 1ヶ月に一回、涼が東京に会いにきてくれる。桃子は会えない寂しさから、涼にマッチングアプリの利用を許した。

 許す代わりに自分もマッチングアプリを利用し始めた。

 ふと映画を観に行きたい時、誰かと話しながら食事をしたい時、恋人と会えない心の隙間を埋めたかっただけの桃子は、マッチングアプリで何人かとメッセージをしたものの、涼のことがすぐに頭に浮かび、虚しくなるだけだと、3日で退会した。 


 一方、涼は、桃子の口からマッチングアプリを利用していいと言われて戸惑った。

 浮気を許す彼女がどこにいるのか。

 自分のことがどうでもいい存在になってしまったのか。

 涼は恋人が遠くにいる寂しさと一人葛藤していた。

 

 鈴虫が鳴り始める秋口。

 桃子は咲良と散歩に出かけていた。

 咲良は怒りの感情で別れを切り出したことを少し後悔している様子。

 桃子は元気のない咲良を励まそうとしていた。


「なんであんな人を好きになったんだろう。なんでまだあの人のことを思い出しちゃうんだろう」


「あんな変なやつ、何を好きになったの?」


「そうなんだよね。うーん、私にもわからない。」


「他にいい男なんて沢山いるし忘れよ。あ、そうだ!少し歩くけど、聖地巡礼しない?映画のシーンで使われた場所、私この前知っちゃってさ。」


「なにそれ。面白そう。行く」



 桃子は気分転換にと映画のシーンで使われた階段まで案内した。

 二人は階段の最上段から見下ろす夜の東京の街を穏やかに眺め続けた。

 しばらくして家に帰ろうと時間を見た。

 時刻は深夜の3時。

 桃子のスマホには3件、涼から着信が来ていた。すぐに折り返したが涼はすでに寝ていたのか電話に出てくれない。

 桃子は明日電話しようと、その日は寝た。

 



 次の日、咲良のLINEに桃子からメッセージが来た。



「別れた」


 咲良は訳が分からなくなり、一瞬固まった。


「え、急に、どういうこと?」


「うちら昨日夜遅くまで散歩してたのが浮気したと勘違いされて向こうから別れを告げられたの。すごくない?付き合って6年でこんなにあっさり振られるなんて。」


 平常心を装う桃子の心情を読み取り、咲良は真司と別れた時にして欲しかったことを桃子にぶつけた。


「桃ちゃん、今日名古屋行ってきて。ちゃんと愛してるって事実を行動に移せば誠意は伝わるよ。ちゃんと誤解といてきて。」


 あまり人の恋愛にとやかく言いたくない咲良。

 しかし6年も付き合って、突然別れを切り出す、涼の心の奥底にはこれまで蓄積されてきた寂しさが爆発したのではないかと感じた。

 咲良自身、真司に寂しいと言う気持ちを伝えられなかったことを重ね合わせていた。



「ありがとう。今から行ってくる。これでダメだったら諦める。」

  


 夜の7時頃、桃子が笑顔で帰ってきた。


「咲良の言う通りだったよ。お陰で誤解溶けたよ。」


 咲良はホッとしたと同時に、真司が咲良に向けた、結婚したい、愛してる言葉達に重みがないことを感じ、別れてから抱いていたモヤモヤとした感情に終止符を打った。

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