Turn198.魔界演奏家『因縁と仕打ち』
──べべン、ベンッ!
一人の老人が、三味線の弦を弾いて鳴らしていた。
老人は顔の上半分を大きな布切れで覆っていて、視界は完全に塞がれていた。
それでもまるで見えているかのように、老人は滑らかに指を動かすと弦を押さえ、音色を奏でた。
──べべンッ!
そんな老人の横を一つ目のサイクロプスが通り過ぎる。──擦れ違ったサイクロプスは足を止め、何やら悪巧みを思い立ったようで顔をにやけさせた。
一旦は通り過ぎたサイクロプスだが、すぐに踵を返してドカドカと大股開きで老人の元へと戻った。
「おい。じいさん」
サイクロプスに呼び掛けられると、老人は手を止めて声のする方へ顔を向けた。目は見えていないので、音が良く聞き取れる位置に耳を持って来るように顔を動かしている。
「俺は今、気が立ってるんだ。魔王様の幹部の連中が勇者にみんな殺られちまったらしくてな。俺んところにも尻拭いの雑務がたくさん回ってきてウンザリしているところなんだ!」
「それはそれは……ご苦労様でやんす」
老人はサイクロプスの言葉に頷き、労いの言葉を送ったものである。
「だからよぉ……」
サイクロプスは指ポキポキと指を鳴らした。
「ベンベン、耳障りでイライラしちまうぜ! 不愉快な音を、鳴らすんじゃねぇ!」
サイクロプスは不意打ちとばかりに老人の頬に平手打ちをした。
木の葉のように薄い老人の体ではそれに踏ん張ることができず、衝撃であっさりと倒されてしまう。手に持っていた三味線も、反動で地面に落としてしまった。
サイクロプスが思ったよりも簡単に老人は倒れたらしい。やった当人であるサイクロプスも、余りの手応えのなさに呆気に取られたものである。
「おいおい……。それでも魔物の端くれかよ。一発で伸びちまうなんて。余りにも、弱っち過ぎるだろうが!」
それでサイクロプスは調子付いたらしい。相手が弱者と分かると強気に出始めた。
乱暴に老人の胸倉を掴んで引き寄せる。
対して、老人には争うつもりはないらしく、あくまでも穏やかに手を振るった。
「いえいえ……、俺っちは流れ者でやんしてね。こんな成りをしていやすから、もっぱら戦闘の方は得意じゃないでやんす。役割としては主に裏方……縁の下の力持ちって奴でやんすね」
「はぁ? 話にならねぇぜ……」
老人の弱腰の態度に、サイクロプスはさらに呆れたようだ。老人を突き飛ばして解放する。
老人は勢いのまま後ろに倒れ、地面に転がった。
「いたたたた……」
起き上がってお尻を擦る老人に、サイクロプスは怒号を浴びせた。
「二度と俺様の前に姿を見せるんじゃねぇ! 不愉快なんだよ。消え失せろ!」
そして、サイクロプスはゲシゲシと老人の体を踏み付けた。
「いててて……申し訳ないでやんす。すまねぇでやんす……」
老人が何かをやらかしたわけではないのに、これは余りにも酷い仕打ちであった。
──ところが、これはサイクロプスにとって単なるストレス発散──お遊びの一つでしかなかった。
無抵抗な老人は、ひたすらサイクロプスの気持ちが収まるまで謝ることくらいしかできなかった。
◆◆◆
老人を散々に痛め付けると、サイクロプスは満足したように晴れやかな表情を浮かべる。
「……二度とその面を見せるなよ。見掛けたら、ただじゃおかないからな!」
ペッと唾を吐きかけ倒れた老人をそのままにして、サイクロプスはズカズカと大股開きで先へと進んで行った。
──ドシーン、ドシーン……。
サイクロプスの巨体が踏み鳴らす足音が遠ざかっていくと、老人はやれやれと体を起こした。
「まったく、酷い目にあったでやんすね……」
衣服についた砂埃を手で払い、落とした三味線を拾い上げる。大事なものなので老人は何処か損傷はないかと弦や板をあちこち触ったが、問題はなさそうだ。
老人はこうした状況には慣れっこだった。昔から下級の魔物として仲間たちからもぞんざいに扱われていたのである。サイクロプスに対しても怒りは沸かず、むしろよくこの程度で見逃してくれたものと感謝の気持ちすら抱いた程である。
──それに、なかなか良い情報を聞けたものだ。
老人は指先を動かしながら顔を上げた。
「魔王様の幹部が全員やられた……?」
顔を向けた先には、薄っすらと魔王城が浮かんでいた。そこだけ暗雲が空に渦を巻き、不穏な気配が漂っている。渦中に魔王城が聳え立っているのだ。
老人の目にはその景色は写ってはいなかったが、その禍々しい邪悪なオーラから方角を把握することくらいはできたのである。
「幹部全員を失うなんて、そりゃあ魔王様もお困りでやんしょう……。ここは一つ、俺っちが一肌脱いでやるでやんすか」
フフッと老人は自信に満ちた笑みを浮かべる。
「これは俺っちにとってもチャンスでやんす。この邪眼のグラハムの隠された能力が……ついに日の目を浴びる時がきたんでやんすね」
染み染みとグラハムは呟くと、魔王城を目指して杖をつきながら歩き始めたのであった。
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