Turn024.勇者『結束の誓い』

「どうですか? 勇者様?」

精神科医に尋ねられ、僕は首を横に振るった。

「もう何も感じないな……」

すると、精神科医は安堵したように笑みを浮かべた。

「そうでしたか! ということは、貴方様のお陰で、お姫様の危機が去ったという訳ですね!」

精神科医は心底嬉しそうに飛び跳ねている。


「貴方は何者なのですか?」

僕は精神科医に手を貸してもらって床板から這い出しながら、兼ねてからの疑問を口にしてみた。


僕が『勇者である』ということは分かった。

お姫様を災難から救うのが役目であることも、分かった。

──では、それを知っていたこの精神科医はいったい何者なのだろう。

彼もまた、異世界の住人であるということなのだろうか。


僕の質問に、精神科医は肩を竦めた。

「私は、ただのしがない精神科医ですよ」

「その精神科医が、なんだって異世界の事情に詳しいんです?」

「……いいえ。私は何も知りませんとも……」

そう首を振るう精神科医は、どこか悲しげだった。

「これはね、全て私の妄想に過ぎないんですよ。異世界があるとかお姫様が危ないだとか、君が勇者様だとか……。そんなのは現実にはありえませんよ」

「……えっ?」

突然の発言の矛盾に、僕は首を傾げたものだ。

此処まで僕を導いて来たのはこの精神科医なのである。それなのに、ここに来てそれを全否定とはいったいどういう了見であろうか。

「初めは単なる妄想に耽っていただけなのです」

精神科医は、尚も言葉を続けた。

「異世界のファンタジー、魔王による侵略、お姫様と勇者様……。そんな妄想の世界に耽っている内に、私の頭の中に、ある閃きが起こったのです。……異世界の勇者様が、この世界にいらしていると。ですから、私はそんな勇者様のお力にならなければならないのだ、と……」

僕は口をあんぐりと開けたまま、呆然と精神科医の話に耳を傾けた。精神科医の単なる妄想によって、どうやら僕はここまで導かれたらしい。


「……でもね」

精神科医は笑みを浮かべた。

「私の妄想は、単なる空想ではない。それを証明するように、実際に貴方様が……勇者様がそこにおられました。……ですから、私はこのファンタジーに従って、貴方様を支援しているに過ぎないのです」

そこまで言って言葉を切ると、精神科医は悲しそうに目を伏せた。

「……ですから、貴方様が降りるというのであれば、私も素直に手を引きましょう。異世界の勇者様のお役に、私が立てなかったというだけですから。……それで、どうなさいますか? 勇者様。此処で冒険は終わりになさいますか?」

「僕は……」

いきなりそんな選択を迫られても、返答に困って口篭ってしまう。


そもそも、僕のこれまでの行動というのは本当に異世界の役に立っているのだろうか。ただ単に自分勝手に行動しただけで、なんら影響すら与えてはいないのではないか。

ふとそんな疑問符が頭の中に浮かんだ。


──いや、僕のこの行動は全部、彼女のためになっているはすだ……。

「彼女……?」

それが誰なのか、自分自身で考えたことであったが分からなかった。

もしかしたらその『彼女』というのが、精神科医が言っていた『お姫様』なのかもしれない──。


──本当に、異世界のお姫様は救われているのだろうか?


僕のこれまでの行動によって、誰かが救われているような感覚がしたのも事実である。

「僕には、分かりません……」

「そうですか……」

精神科医は落胆したように溜め息を吐く。

──だが、それは精神科医の早とちりに過ぎない。


「でも、もう少し自分の感覚に素直に従って行動してみようと思います。それがもしも本当に、誰かの役に立っているというのなら、嬉しいことじゃないですか」


前向きな僕の言葉に、顔を上げた精神科医の表情は明るくなっている。

「それでは……」

「僕は衝動は突発的で、貴方を振り回すことになるかもしれませんよ?」

「ええ、構いませんとも! あちらの世界の為に、私もお力添えをお貸ししますよ!」

僕と精神科医は顔を見合わせ、笑顔を浮かべた。

今後の協力を誓い、固く握手を交したのだった。

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