その2 ハロウィンSS

 10月31日、放課後の講堂。


 今この場には非常に混沌とした光景が広がっていた。魔女にカボチャに、テレビでよく見るアイドルユニットの衣装もいる。……数えたら48人くらいいるかもしれない。あれは浮田か? 男がウケ狙いでやっているのを見ると、無性に蹴りたくなるな。


 今日はハロウィン。

 そして、ここで行われているのはハロウィンパーティだ。


 参加費3000円の立食パーティ。当然、自由参加。全校生徒の半数近くが参加しているようだ。そして、ハロウィンなら仮装だろう、と張り切って仮装なんだかコスプレなんだかわからない恰好をしている生徒もかなりいる。


 今、僕はボーイの恰好をしていた。もちろん、仮装ではなく運営委員としてだ。


 運営の仕事は開催日前日、開催時間直前までの準備が大変だったが、はじまってしまえば比較的楽だった。食べるものはバイキング形式で各自勝手に取りに行くので、こちらから何かを運んだりする必要はない。空いたペットボトルなどのゴミの回収と、不審な行動に注意するくらいか。テンションが上がって羽目を外し過ぎるのがいないとも限らないし、一部では仮装の写真撮影会みたいになっているので、そちらにも気を配る必要がありそうだ。ある意味、人間観察が趣味の僕にとって丁度いい仕事ではある。


 今のところは特に問題はなく、順調のようで嬉しい限りだ。

 何かやるべきことはないか会場を見回す――と、見慣れた車椅子の女子生徒が目に映った。伏見先輩だ。一度声をかけておこうか。


「伏見先輩」


 途中で床に転がっていた紙コップを拾いながら近づいていく。友達を話をしていた伏見先輩が振り返った。


「おー、藤間君」

「何か不便はありませんか?」

「む。相変わらず紳士なやつ」


 そう言って彼女は笑顔を見せる。


「運営の人間ですからね」

「うん、大丈夫。特に何もない、かな」

「そうですか。もし何かあれば遠慮なく声をかけてください」


 ひと安心して下がろうとすると、伏見先輩が僕を呼び止めた。


「あ、そうだ。涼さんにはもう会った?」

「いえ、まだ見てないですね」


 そう言えば、彼女も参加すると言っていたな。


「じゃ、着替えに手間取ってるのかな?」


 それを聞いて僕はぎょっとした。


「まさか何か仮装を?」

「それは見てのお楽しみ」


 伏見先輩はいたずらっぽく笑う。


 そんなことを言われても嫌な予感しかしないのだが。こえだが何かすると張り切っていたのは知っている。まさか槙坂先輩まで? 聞いてないぞ。ていうか、勘弁してくれ。


 ひとまずテーブルの上の空のペットボトルとビン、それにもう誰が使っていたのかわからなくなって放置されている紙コップを、ついでとばかりに回収してテーブルを離れた。会場の隅でそれらを分別して処分していると、にわかに場内が騒がしくなった。


 この感じはよく知っている。教室に槙坂先輩が現れたときと同じだ。だが、今の盛り上がりはその比ではない。


 槙坂涼はいつどこに行っても変わらないらしい。


 人口密度が会場入り口へと偏った。耳を澄ませば賛美の歓声も聞こえる。どうやら槙坂涼をモデルにした即席の撮影会になりつつあるようだ。いったいどんな恰好をしているのやら。気になるところだが、あの野次馬に混じって見にいくのも業腹なので、自分には運営委員としての仕事があるのだと言い聞かせた。ほっといても向こうからやってくるだろう、というのは少々傲慢か。


 程なく騒ぎも落ち着き、再び人口密度が平均化されていく。


 


 薄くなった人垣に向こうに見えたのは、大英帝国時代からタイムスリップしてきたみたいなメイドだった。


 


 モノトーンで統一したロングのワンピースとエプロンは、清楚なオトナ美人である彼女によく似合っていた。地味なはずなのに、どこかドレスのように華やかに見える。


 彼女も僕を見つけ、話していた女子生徒に謝ってからこちらに向かってきた。

 途中、何度か声をかけられていたが、ひと言ふた言言葉を返し、手を振って応えるだけ。立ち止まらない。


「運営のお仕事、お疲れさま」

「ああ。そちらも相変わらずの人気のようで」

「そうね。特に今日はこんな恰好をしてるからかしら?」


 そうして槙坂先輩はくるりと一回転した。


「どう、これ? 似合う?」

「……」


 僕は努めて思ったままを口走らないように注意し、一拍おいた。うっかりすると褒めてしまいそうになる。


「ひとつ聞いていいか?」

「どうぞ」

「なぜ魔女じゃないんだ?」

「不思議。藤間くんはどうして魔女がいいと思うの?」


 槙坂先輩の口許にまた別種の笑みが浮かぶ。惜しいな。それで衣装が魔女ならぴったりなのに。


「他意はないさ。今日はハロウィンだからね」

「そう。わたしもそれほど大きな意味はないわ」


 穏やかならざる雰囲気で僕たちは笑顔を向け合う。


「でも、こういうのも面白いわね。藤間くんもその恰好、よく似合ってるわよ」


 彼女は一歩距離を詰め、僕の蝶ネクタイに触れてきた。


「僕は運営委員としてやってるんだがな」

「そう言えば、ハロウィンだとこう言うのよね」


 


「Trick or Treat! お菓子をくれないとイタズラするぞって」


 


 くすくす笑う。これはある意味、魔女の笑みよりタチが悪い。悪魔の囁きめいている。


「イタズラしちゃおうかしら?」

「ああ、安心してくれ。ちゃんとこういうものを持ってきた」


 僕はポケットからグミ入りのソフトキャンディ――毎度お馴染みのぷっちょのアップル味を取り出し、彼女に渡した。


「……なぜ持ってきてるの?」

「そりゃあ魔除けに、だろう」

「用意がいいことね」


 槙坂先輩は呆れ顔。


 当たり前だ。槙坂涼とつき合うなら、二手三手先を読んで隙を見せないようにしなければ。


 と、そのとき。


「やっほー。真、涼さん」

「おーっす」


 やってきたのは美沙希先輩とこえだだったが、こえだに関しては一瞬誰かわからなかった。彼女はハロウィンらしく魔女の恰好をしていたからだ。黒マントに三角帽子。足には黒とオレンジのボーダー柄のニーソックスでハロウィンカラーだった。因みに、美沙希先輩は制服のまま。


「涼さん、すごーい! かわいい!」

「そう? ありがとう」


 感激するこえだに、槙坂先輩は照れもせずに礼を返す。


「お前もなかなかかわいいじゃないか、こえだ」

「もっと褒めれ」


 こえだはボリュームに乏しい胸を反らして得意げだ。


「……わたしにはそんなこと言ってくれないくせに」


 真後ろからぼそっと槙坂先輩の声。視線が痛い。見なくてもどんな顔をしている想像がつくな。振り返るな。今振り返ったらきっと僕は石になる。


「そうだ、こえだ。これをやるよ。ハッピーハロウィンだ」

「おお、お菓子! ありがとう」


 素直に喜ぶこえだ。見ていて飽きないやつだ。


 それから彼女はひょいと僕をかわして、後ろの槙坂先輩へと目標を変えた。「すごい」「かわいい」を連呼しながら、メイド服姿の先輩をいろんな角度から眺める。まるでじゃれつく仔犬だな。


「美沙希先輩は普通に制服ですね」

「あ? アタシに何やれっつーんだよ?」

「……」


 不味いな。似合う仮装が何ひとつ思いつかない。


「ばっかやろ。何かあるだろうがっ」


 美沙希先輩はいきなり僕に飛びつくと、がっちりヘッドロックを極めた。「アタシだって思いつかないんだ。お前が考えないでどうする」とか何とか。無茶を言ってくれる。


「美沙希」


 そんな彼女の暴挙を止めたのは槙坂先輩の声。


「美沙希はどう思う、これ?」

「おー、いいんじゃねーの。つーか、槙坂はなに着ても似合うからな」


 美沙希先輩はようやく僕の首を解放して答えた。この人は実戦慣れしているから本当に首を極めるようなバカなことはしないが、おかげで顎が砕けてるんじゃないかと思うほど痛い。技は正しく遠慮なく、だ。


 あと、槙坂先輩が何を着ても似合うのにはおおいに同感だ。


「じゃあ、こういうの着るところでアルバイトでもしてみようかしら?」


 これまた愉快なことを言い出す。


 そこで美沙希先輩が何かを閃いたように手を打った。


「おっし。だったらそのまま真ンとこにいってさ、メイドらしく家事でもやってやれよ」

「面白そう!」


 こちらも名案とばかり手を合わせ、ぱあっと顔を明るくする。


 一方、僕はというと焦るわけでも頭を抱えるわけでもなく。


(誘導したな……)


 と、冷めた目で見ていた。


 槙坂先輩があんなことを言えば、美沙希先輩が面白がって先のような提案をするのは目に見えている。明らかに誘導された流れだ。もしかしたら美沙希先輩もわかってて流れに乗ったのかもしれない。


「ねぇ、どうかしら、藤間くん」

「冗談はその恰好だけにしてくれ」


 そして、当然ながら僕はお断りである。


 途端、むっとする槙坂先輩。


「わたしがなぜこの服を選んだと思ってるの? 今日あなたがその恰好をするからじゃない。ふたりで並んで立てばぴったりだと思ったのよ?」


 腰に手を当て、仁王立ちで僕を睨めつける。


「……もういいわ」


 そうして槙坂先輩は長いスカートを翻し、去っていった。その後ろ姿は思い思いに仮装した参加者にまぎれて、すぐに見えなくなった。その先にあるのは講堂の出入り口だ。


「……」


 怒った、のか?


 不意に足の脹脛あたりに衝撃があった。


「痛いだろ」


 こえだのローキックだった。


「追ーいーかーけーろっ」

「僕がか?」

「当たり前だろぉ」


 さらにもう一発蹴りが飛んできたが、さすがに今度はよけた。日に2回も喰らう気はない。こえだの剣幕に負けて、僕は渋々足を踏み出した。


「いま追ったら思う壺だと思うんだがな……」


 


 講堂を出た。


 外はもう真っ暗。パーティもすでに予定している開催時間の半分以上を消化していて、この時間に出入りする参加者はまったくと言っていいほどいない。講堂を一歩出るだけで中の喧騒は遠くなった。


「さて、どこにいるのやら」


 そう遠くには行っていないはずだが。


「こっちよ」


 と、横から声。思っていた以上に近くにいたな。


 槙坂先輩は出入り口のすぐ脇に立っていた。いや、待っていたと言うべきか。


「きてくれると思った」


 そう言って笑顔を見せる。先ほどの怒りの表情は欠片もない。当然だ。もとから怒ってなどいなくて、単にその振りをしていただけなのだから。それを僕が見抜いていようがいまいが、出て行けば追いかけてくると確信していたのだろう。


 尤も、そこまでわかっていてのこのこやってきた僕も僕だが。


「さぁ、そろそろ本当のところを聞かせてくれる? ……この衣装、似合ってる?」


 槙坂先輩は両手でスカートの左右をつまみ、少し持ち上げながら訊いてくる。


「ああ、よく似合ってる」

「嬉しい。そう言ってくれると思ってたの」


 その喜びを体で表現するように、またもくるりと回転してみせた。スカートの裾が大輪の花のように広がる。


「ねぇ、明日休みでしょ?」


 


「この後、藤間くんの家に遊びに行ってもいい?」

 



 恐るべきは槙坂涼がこの手の問いをするときは、いつも決まって無邪気な笑顔でしてくることだろう。


 かまわない――と、首を縦に振りかけて、ふと気づく。


「まさか本当にその恰好でくるんじゃないだろうな」

「あら、ダメ? あのマンションの雰囲気ならぴったりと思うの」

「頼むからやめてくれ。何が悲しくて学校の先輩にメイドの真似事をさせなくちゃいけないんだ」


 僕にそんな趣味はない。


「一日中ベッドの上で過ごすよりは健全じゃない?」

「どっちもどっちだ」


 思わず頭を抱える。

 そんな僕を見て槙坂先輩はくすりと笑った。


「大丈夫よ。わたしだって常識は持ち合わせてるもの。この恰好ではいかないわ」

「……ならいいけど」


 結局のところ、最初からそこを着地点に定めていたのだろうな。会話はとことんまで楽しむ主義のようだ。


「そろそろ戻りましょ。戻ってサエちゃんに写真を撮ってもらうの。もちろん、一緒によ。それもいやなんて言わないわよね?」


 そうして僕は槙坂先輩に引っ張られるようにして会場に戻った。


 


 そして、当然のように、後になって僕は落とし穴に気がつくことになるのだが。

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