第7話<上>

 二日間の学園祭の翌日は、学校は休みだ。


 とは言え、各クラス、各クラブの片づけ担当が、それぞれの模擬店や催しものの最終的な後片づけに登校してきている。もちろん、それは学園祭実行委員も同じで、そこには僕も含まれる。


 とりあえず僕は何も考えず、ひたすら仕事に従事した。


 その後、夕方からは打ち上げ。


 この手の慣例に従って打ち上げをすることは学園祭開催直前になって決まった。もとより雑談レベルでは早い段階で話が出ていたので、みんなそのつもりでいたようだ。当然、僕もそうだった。が、今となってはそんな気分ではなく、欠席する旨をまずは幹事役の生徒に告げた。それからこえだと加々宮さんにも。


 それを聞いたこえだは「あたしも行くのやめようかな……」などと言い出した。


 基本的に小動物であるこえだにとっては打ち上げなどという場所は苦手なのかもしれない。が、そこは加々宮さんにひっついとけと言って説得した。実行委員としてイベントに関わった以上、皆で成功を喜ぶ場にもちゃんと参加するべきだろう。……欠席する僕が言うことではない気もするが、少なくとも今まではそうしてきた。


 その夜には電話でこえだの報告があった。楽しかったそうだ。それは重畳。


 その後も彼女はとりとめのないことを無秩序に話していたが、本当はもっと別に聞きたいことがあったのだろうと思う。だが、僕はあえて気づかぬ振りをして長話につき合い、今度加々宮さんも誘って改めて三人で打ち上げをしようと約束だけをして電話を切り上げたのだった。




 そして、その翌日からは授業が通常通りにはじまる。


 結論から言えば、学園祭以降、僕は槙坂涼とほとんどまともに話さなかった。

 まず休み明け初日はまったく会わなかった。まぁ、同じ授業のない日だったのでこういうこともあるだろうと、このときの僕は思ったのだ。


 その次の日は昨日とちがい、一緒の授業があったため遠目に姿を見ることはできた。あいかわらずの優等生、完璧超人っぷり。そして、あいかわらず彼女を慕う生徒に囲まれていて、話しかけることができなかった。


 それ以降も似たようなものだ。


 教室で見かけても声をかけられるような状況ではなく、たまに学食で近くの席になったりもしたがやはり同じだった。そのくせ時折目が合うので、呼吸みたいなものが同じで似たもの同士なんだなと、今さらながらに自覚させられた。


 一度だけ校内ですれちがい、声が届く距離まで近づいたことがあった。


 槙坂先輩の周りにはやはり四、五人の女子生徒がいて、僕も数人の友人と一緒に歩いていた。彼女は向かいからくる僕に気づき、かすかに驚いたような表情を見せたが――それも一瞬のこと。すぐに僕に微笑みかけてきた。


 まるで「また後でね」なんて言葉が聞こえてきそうな、いつも通りの微笑。


(いつも通り?)


 いや、いつも通りとは言えないここ数日の状況でいつも通りの笑みは、それこそがいつも通りではない証拠だ。


 そのまま彼女は僕の横をすり抜けていく。


 後ろから声が聞こえ――、


「あれ? 槙坂さん、いいの?」

「気にしないで。お互いがもってる交友関係も大事にしないといけないもの」


 そして、遠ざかっていった。


「……」


 至極まっとうな意見。

 素通りするには十分な理由だ。


「おい、なんでスルーなんだよ、藤間!?」


 これはこちらの友人だ。


「向こうだってひとりじゃなかっただろ」

「三年のお姉様方とお近づきになるチャンスじゃねぇか」

「知るかよ」


 こっちは自分のことで手いっぱいだ。人の事情だか欲望だかにつき合っている余裕はない。まぁ、そうじゃなかったとしても、槙坂涼に憧れる男どもの仲介役をやるつもりなどないのだが。




 そうしていつかは話せるだろうと思っているうちに数日がたっていた。その間、彼女のほうからのアプローチもなかった。


 そんな状況が続けば不審に思うやつも出てくるわけで。


「お前、槙坂先輩と今どーなってんの?」


 ある日の学食、昼食を食べながら聞いてきたのは浮田だった。


 こいつには前にも同じことを聞かれた。あのときは僕と槙坂先輩の親密ぶりを不思議に思ってのことだったが、今回はまったくの逆。一緒にいるところを見なくなったのを気にしてのこの台詞だった。


「別に」

「って感じじゃないけどな」


 と、これは成瀬。


 彼は先の学園祭におけるクラスの喫茶店の企画立案者にしてパティシエ班のリーダーでもあった。


「そうは思っても追求しないのが友人というものと思うけどね」

「仕方ない。槙坂さんがからんでるんだ。どうしても気になるよ」


 開き直ったか。友情よりも好奇心らしい。


 僕はため息をひとつ。


「そういう成瀬は瀬良さんとどうなんだ?」

「っ!?」


 そんなわけで反撃に出たのだが、思いのほか効果があったようだ。


 瀬良さんというのは同じクラスの女の子である。カナダ帰りのけっこう気合いの入った帰国子女で、会話の中でナチュラルに英語が飛び出してくるのはご愛嬌。僕は時々彼女に英会話の表現について教えを乞うている。


「悪いね。キャンプファイヤで一緒にいるところを見たんだ」


 そういうきっかけを目にしてしまえば、後はふたりの様子を見ていればわかることだった。どうやらあのときから交際がはじまったらしい。あれを見ていなかったとしても、少しばかり勘が鋭ければ気づくのではないだろうか。


「言っとくけどあたしも知ってたからな。言わなかっただけで」


 この場にいる最後のメンバー、礼部さんはやや白けた調子でそう言うと、学食のラーメンをすすった。こうやって平気で男連中と一緒に食事をし、気取ることなく食べる姿はとても好感がもてる。


 彼女も成瀬と瀬良さんのことは気づいていたようだ。


「しまったな。藪をつついて蛇を出したか」

「そういうこと。この手の話は好奇心でつつくものじゃないよ」


 頭を抱える成瀬に僕は諭す。


 成瀬は悪いやつではないし、瀬良さんがOKするくらだから、どちらかと言えばいい男なのだが、友人同士になると遠慮がなくなるのが玉に瑕だ。その遠慮のなさも普段なら好印象をもつことが多いのだが、話題にもよるということか。


「けっ。どいつもこいつも彼女持ちかよ」


 そして、ぼやくは独り身の浮田。

 彼はふと何かに気づくと、視線で礼部さんをロックオンした。


「礼部さん。俺たちつき合わね?」

「よし、まずは死んでバカをなおせ。話はそれからだ」


 見事な撃沈だった。




                  §§§




 その日の放課後、少しばかり調べたいことがあり、僕は隣接する明慧学院大学の図書館へと足を向けた。


 附属高校と大学の位置関係の都合上、道路に面した門ではなく、利用する学生の少ない住宅地側の門から敷地内へと入る。明慧大は総合大学故にキャンパスは広い。門をくぐっても図書館まではまたさらに歩く。門のところで全行程の半分といったところか。


 中心部に行くと次第に人の姿が増えてくる。午後四時にもなれば本日の講義の終わった学生がほとんどなのだろう、行き交う大学生は皆一様に解放感に満ちた顔をしていた。キャンパスが広いと自転車で移動する学生もいるのか、いたるところに駐輪スペースが設けられている。僕の横を二人乗りの自転車が通り過ぎていった。


 門から五分ほど歩いたところで図書館に到着した。


 図書館は学術情報館と呼ばれる建物の中にある。中に入るとまずはテーブルや椅子の置かれたロビーがあった。ここでは飲食も私語も制限はされない。そこを抜けると図書館の入り口があるのだ。


 今日、家を出る前に見たい本の検索はすませていたので、入館ゲートを通ると真っ直ぐに目的の書架へと向かった。


「え……」


 しかし、その途中、僕は思わず立ち止まってしまう。


 槙坂先輩がいたからだ。


 彼女は何か資料を探しているのか、手にしたメモと書架の側面に書かれた請求記号とを見比べている。が、程なくして人の気配を感じてこちらを向き――通路に立ちすくむ僕を見つけた。


「あら、こんにちは。藤間くん」

「あ、ああ……」


 思わぬ遭遇に僕は呆けたような返事をする。


「奇遇ね。どうしたの、こんなところで」

「それはこっちの台詞だと思うけどね。どちらかと言うと、ここは僕の領域テリトリィだ」

「それもそうね」


 それでもすぐに立て直して言い返せば、彼女は楽しげに笑った。


「ちょっと調べたいことがあったの。……ロビーに出ましょうか」


 話し声を気にしたのか、槙坂先輩はそう促した。

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