第10話<5>

 数日後のこと、思い立って本当に雨ノ瀬に連絡をとってみることにした。


 電話ではなく、メール。

 アドレスが変わっていなければいいが、と思いつつメールを打つ。




『久しぶりに中学のことを思い出し、メールしてみました。

 雨ノ瀬は元気ですか?』




 我ながら硬い文章だな。まぁ、久しぶりならこんなものか。


 さてさて、どんな返信がくるのだろうな。さすがに僕のことを忘れているとは思わないけど、今となっては「いたな、こんなやつ」かもしれない。そのときは文面に漂う空気を読んで、そこそこのところで切り上げるとしよう。


 送信、と。


 ライティングデスクの上の時計を見れば、もう夕食の時間だった。僕は勉強のために広げていたテキストやノートの上に端末を放り出すと、キッチンへと向かった。




                  §§§




 テキトーに夕食をすませ、部屋に戻ってきた。


 入口にあるスイッチで照明を点け、ライティングデスクに座ると同時にスマートフォンのスリープボタンを押す。と、ロック画面には通知がひとつ。


 雨ノ瀬からのメールの返信だった。




『藤間だー。久しぶりー。

 今から電話してもいい?』




 今から?


 というか、着信の時間を見る限り、雨ノ瀬はすぐに返信してきたようだ。すでに一時間近くがたっている。


 雨ノ瀬がいいなら、僕もかまわない。遅くなってしまったが、そう返信を打ちはじめる――と、その最中、着信メロディが流れ出した。音声通話だ。メール作成の画面を押しのけ表示されたのは、雨ノ瀬の名前。


「……もしもし?」


 少し緊張しつつ、電話に出る。


『あ、えっと……藤間?』

「うん。雨ノ瀬か?」


 お互い第一声はたどたどしいものだった。久しぶりだからそれもむりからぬことだろう。特に雨ノ瀬はメールのテンションとぜんぜんちがっている。


『あ、うん。返事が待ちきれなくて、かけちゃった。……今、大丈夫だった?』

「悪い。メール送った後、晩メシ食べててさ。ああ、大丈夫。もう終わったから」

『そっか。よかった』


 雨ノ瀬はほっとしたようだった。


 久しぶりの上、返事を待たずのフライングなのだから、おっかなびっくりだっただろう。フライングに関しては、責任は半々といったところか。僕ももっといろんな展開を想定しておくべきだったな。悪いことした。


『元気だった?』

「まぁね。それなりに高校生やってるよ」


 僕はイスの背もたれに体をあずけ、力を抜いた。


「雨ノ瀬は?」

『うん、あたしも。毎日楽しい』


 雨ノ瀬はよくも悪くも単純だから、気持ちが声に表れる。声しか聞こえない電話だと、特にそれがよくわかる。そして、今の彼女の言葉に嘘はないようだった。楽しくやっているなら何よりだ。


「相変わらず踊ってるのか?」

『もっちろん! 学校にダンス部があってさ、けっこう本格的にやってるよ』


 趣味の話になり、雨ノ瀬の声も弾む。


『あとね、自転車も』

「マジか」


 まさか本当に日本一周に行ったんじゃないだろうな。


『ちょっと機会があってさ、乗って走ってみたら、これがけっこう面白くて。週末なんかに時々走ってるんだ。本格的なロードバイク。奮発していいの買ったんだから』


 さすがに無謀な挑戦はしなかったようだ。しかし、雨ノ瀬は確か方向音痴で、あれは体質みたいなものだから、そうそう治るとも思えない。もうそのあたりは聞かないでおくか。


 にしても、雨ノ瀬が自転車を趣味に、ね。何日か前に見た女性の自転車便メッセンジャーを思い出す。雨ノ瀬もあんな感じで走っているのだろうか。


『藤間は?』

「僕? 僕も相変わらずさ。部活の類はやらずに、イベントの実行委員をちょこちょこやってるよ」

『あはは。藤間、自分のこと「僕」って言うようになったんだ』

「お前、人の話聞けよな……」


 僕が自分を指して『僕』と言ってるのなんて、初めて聞いたわけじゃないだろうに。それで話の腰を折るかよ。


『前みたいにカッコつけるのやめた?』

「それを言ってくれるな」


 この手の流行病にかかった人間のご多分にもれず、過去の己を振り返って死にたくなる。


『そうだ。あのとき言ってた女の人、会えた?』

「うん? ああ、まぁね」


 出会いからしてボロボロの恰好悪い姿だったし、忘れていてくれたらと期待していたのだが――しっかり覚えていたんだよな。いや、僕が不用意な接触をして、わざわざ思い出させてしまったのか。今となっては、よかったのか悪かったのか。――僕は複雑な気持ちで天井を仰ぎ見た。


『で、どうなったの?』

「……別に。ただの先輩後輩さ」


 こと細かく報告するようなことでもないので、ここは嘘を言っておく。


 と、その直後。


『藤間、嘘下手ー』


 そう意って雨ノ瀬はケラケラと笑い出すのだった。


『その言い方、絶対「ただの」じゃないよねー?』

「……」


 こちらも声に表れていたか。僕からすれば、僕の嘘が下手どうこうより、女の子という生きものが鋭すぎるんだよな。


 そして、雨ノ瀬の直感通り、すでに『ただの』ではないから否定もできない。ついでに、嘘を見抜かれた後、往生際悪く本当だと主張するのは主義ではない。


『ね、やっぱり美人? 超美人?』

「まぁ、そこは文句なしだな」


 性格に難あり、だが。


『聞いて驚け。あたしもけっこうキレイになったんだから』

「へぇ、そりゃ見たいな」

『あれ? 疑わないの?』

「疑う理由なんてどこにもないだろ。中学のときから、そういう素養はもってたと思うし」


 確かに雨ノ瀬は、槙坂涼のように万人が美人だと断言するような美貌の持ち主ではなかったかもしれない。それでも当時、かわいいと思っていた男子は多かった(僕もそのひとりだ)。自分を磨き飾ることを覚え、持ち前の愛嬌や愛想といった個性キャラクタが加われば、十分に化ける可能性はあっただろう。そして実際、化けた――らしい。何ら不思議はない。


『あー、藤間ってそんなふうにあたしを見てたんだ……』


 電話の向こうから、うははははは、という自称美人とは思えないような笑い声が聞こえてきた。雨ノ瀬が照れたときにする笑いだ。これを聞くのも懐かしい。


『じゃあさ、今度、久しぶりに会おうよ』

「ああ、いいね」


 会うなら夏休みだろうか。


 明慧は二期制だから、前期と後期の区切りに秋休みがある分、夏休みはやや短い。その上、この夏は旅行を予定していてさらに圧迫するし、夏休みの課題もその旅行の前に終わらせたいところだ。そんな夏休みだが、雨ノ瀬と会うくらいはできるだろ。


『じゃあ、積もる話はそのときに。長電話しても悪いし、今日は切るね』

「ああ。わざわざ電話くれて、ありがとう」

『ううん。また連絡するね』


 そうして電話は切れた。


 雨ノ瀬、変わっていないようで何よりだ。

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