第10話<3>

 中学二年のとき、僕は周りがみんなバカに見えていて、自分はちがう、こんなやつらと一緒にしないでくれ、という思いが強かった。


 そんなときに会ったのが、古河美沙希――美沙希先輩だった。


 彼女は言う。




「お前が思ってることは正しい。いいか、世の中ってのはホントに面白くないんだよ。くだらないんだよ。だったら、自分で面白くするしかないだろうが」




 それ以後、僕は美沙希先輩につき合わされ、様々な学校行事の運営委員や実行委員をやらされた。


 最初は渋々。

 だけど、次第にものごとを計画通りに進めたり、企画を成功させたりする楽しさを知ると、いつの間にか積極的にそういう役割に名乗り出るようになった。さらにはそれらを隠れ蓑に美沙希先輩と一緒に『悪さ』をするようになるころには、先の彼女の言葉もすっかり納得してしまい、それどころかありがたい師の言葉として心に刻みつけることすらしていた。――なるほど。世の中が面白くないなら、面白くコーディネイトすればいいわけだ。


 そうやって積み上げた経歴のおかげで、三年生に上がるころにはずいぶんと顔が広くなっていたのだった。




「藤間、藤間ー」


 最近、その交友関係がひとり分増えた。


 このころの僕は読書魔の片鱗を見せつつもあって、友人たちとくだらない話を繰り広げるよりも、読みかけの本を読み進めるほうを優先することも多かった。その日の昼休みもグラウンドに野球をしにいくというクラスメイトを見送った後、ひとり文庫本を読んでいた。


 名を呼ぶ声に顔を上げると、そこにはふたつ結びにしたお下げ髪のクラスメイトの顔。――雨ノ瀬だった。


 彼女は主不在で空いている前の席に腰を下ろす。


 雨ノ瀬はあの夜の出来事以降、よく僕にこうして話しかけてくるようになっていた。


「今日はなに読んでるのー?」

「……読むと必ず精神に異常をきたす本」

「ぎょっ!? 何それ!?」


 彼女は仰け反ってオーバーに驚いた後、人が読んでいるその本をおそるおそる指でつまんで表紙を覗き見ようとする。書店のブックカバーがついているから意味はないのだが。


「やめとけやめとけ。後悔するぞ」


 何せ角川文庫版だからな。何を考えてこんな表紙にしたんだか。


「藤間って、もしかして本好き?」


 しかし、すぐに興味を失くしたようで、雨ノ瀬は問うてくる。


「まぁね」

「なるなる。藤間は本好き、と。……よし、つかみはオッケー」


 拳を握りしめる雨ノ瀬。


「と、ところでさ――あの夜のことなんだけど、藤間、古河先輩と一緒にいたでしょ? やっぱ藤間って古河先輩とつき合ってんの?」


 どうやら本題はこっちだったようで、彼女は緊張気味に切り出してきた。


「俺が美沙希先輩と?」

「うん。けっこう前からある噂なんだけどね。去年なんかいつも一緒にいたじゃない? だから。……知らなかった?」


「初めて聞いた」


 寝耳に水。

 なるほど。世間的にはそう見えていたのか。


「でも、まぁ、ないな。あの人は俺の人生の大先輩だよ。そんなんじゃない」

「じゃあ、つき合ってない?」

「ない」


 雨ノ瀬の念押しに、僕はうなずく。


 何せ僕は美沙希先輩を女として見たことがない。中学生にして高校生の不良と平気で喧嘩をし、『猫目の狼』の通り名で畏怖されている人に、どうして女らしさや女としての魅力を感じられようか。


 女らしいといえば、やはりつい先日出会ったあの人だろう。


 はっとするほど整った面立ちに、長く艶やかな黒髪。清楚を絵に描いたような人だった。僕が明らかにまっとうではない傷を負っていたにも拘らず心配して声をかけてきてくれた彼女は、きっと心根の優しい人なのだろう。僕はひと目見て心を奪われたが、惜しむらくは彼女を路地裏の揉めごとに巻き込むおそれがあったため、逃げるようにその場を後にしたことだ。


「じゃ、次」


 次?


「今つき合ってる子は?」

「別にいないけど?」


 わけがわからないまま僕は答える。


「本当にー? 実はひとりかふたり、いるんじゃないの?」


 雨ノ瀬は茶化すようにしながら、念を押してくる。


 というか、ひとりかふたりって何だ。普通いてもひとりだろうが。……まぁ、僕の父のように、最大稼働時で四人なんてのもいるが、あれはさすがに稀有な例か。


「ふたりもいてたまるか」

「ひとりはいるんだ?」

「ひとりもいない。雨ノ瀬、しつこいぞ」


 とは言え。僕も鈍いほうではない。ここまでの質問で雨ノ瀬の意図がどこにあるか、何となく察しはじめていた。


 雨ノ瀬か。

 正直、悪くはないと思う。


 十人が十人同意するような、間違いなく美人というタイプではないが、楽しげに踊っているときなどに、いきいきとした魅力を感じる。改めて考えてみれば、美沙希先輩を除くと今いちばん接する機会の多い女の子であり、そうなるのも当然かと思う程度には気が合うやつなのも確かだった。だから、悪くはない。


「わかった。ちょっと待ってて」


 そう言うと雨ノ瀬はおもむろに立ち上がり――どこへ行くのかと思えば、少し離れたところで固まっている女子のグループのところだった。彼女が輪に加わるなり額を突き合わせ、こそこそと話しはじめる。中にはちらちらと僕を見る女子もいた。


 程なく雨ノ瀬が再びこちらに戻ってきた。さっきと同じように前の席に腰を下ろす。


「今の、何だったんだ?」

「ん? まぁ、情報収集ってところ?」


 彼女は誤魔化すように曖昧に笑う。


「何の?」

「藤間の?」

「俺の?」


 問答しているはずなのに雨ノ瀬の発音にまで疑問符がついているのはなぜなのだろうか。


「なんで俺?」

「ぶっちゃけ藤間、女子に人気あるから」

「……ああ。なるほど」


 お前じゃなかったのかよ。早とちりした自分が恥ずかしいな。


 でも、その一方で納得もした。


 後になって振り返れば、このころの僕はなかなかに自信家だったのだ。すでに自分がそこそこの容姿だと客観的に判断できていたし、周りからの評価も悪くはなかろうと思っていた。だから、これまでの雨ノ瀬とのやり取りは、僕に興味を示す女子が一定数いることの証明であり、僕が自信を強くするのに十分だった。


 で、その雨ノ瀬は、先日の一件で僕に話しかけるハードルが低くなっているため、強行偵察をさせられているわけだ。


 偵察兵は一気にこちらの懐に飛び込んできた。


「藤間的にはどんな子がいいわけ?」

「さぁね。そういうのは考えたことがないよ」


 嘘ではない。女子の受けは悪くないと思っているが、正直、誰かを好きになる側に自分を置いたことがないのだ。


 ふと、あのひとはどうだろうか、などと考えてみる。が、どうやら相手が悪かったようだ。中学生の僕にとって、彼女はそこらの高校生よりも断然に大人っぽくて、どことなく高貴で――何もかもがちがっていて、自分と並べて考えることができなかった。好きだとか恋愛だとか、そういう対象ではない気がする。


 そもそも僕と美沙希先輩が云々の話からしてそうだが、中学生では誰が誰を好きだ、或いは、自分が誰に興味があるかという話はしても、実際に男女交際にまで至ろうとするのはひと握りだ。まだまだ興味と好奇心だけなのだ。


 先ほどの僕もそう。雨ノ瀬はかわいいと思うし、結局勘違いだったが彼女から想いを寄せられるのは悪くないと思った。だけど、思っただけだ。


「じゃあ、実弾でいこうかな。……小椋さんなんかはどう?」


 だからこそ、そういう話で盛り上がれたり敏感になったりするのだろう。雨ノ瀬は具体例を出してきた。


 小椋さんはこのクラスいちばんの美人だ。やわらかい雰囲気が好ましくある。……さりげなく彼女のほうを見ると、仲のよいクラスメイトと笑いながら話をしていた。


「うん。いいね」

「じゃあ、笠井さんは?」

「いいんじゃないか」


 笠井さんはショートカットに眼鏡の、ちょっと男っぽい雰囲気のある子だ。男女の話にも興味があるらしく、雨ノ瀬が情報を持ち帰っているグループの中にもいたはずだ。


「くりちゃん」

「栗本さんか。いいと思うな」


 栗本さんは小柄な見た目に反して意外にしっかりしていて、気の強い部分も持ち合わせている子だ。聞いた話、三姉妹の長女らしいから、そのあたりが理由だろう。


「なんか藤間、誰でもいいって感じー」


 むー、と口を尖らせる雨ノ瀬。


 そりゃあよっぽど個性的な好みをしていない限り、たいていの男がいいと言うであろう子の名前ばかり挙げているのだから、当然そういう返事にもなる。

 せっかくだから、さっき勘違いさせられた仕返しをしてやろうか。まぁ、八つ当たりではあるが。さて、彼女はいったいどんな反応を見せてくれるのだろうな。


「ああ」


 と、そこで僕は、今気づいたかのように発音した。


「雨ノ瀬も悪くないよな」

「え?」


 雨ノ瀬はきょとんとした表情で自分の鼻を指さし――、




「う、うはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」




 顔を真っ赤にしながら壊れたように笑い出した。教室にいたクラスメイトが皆、何ごとかとこちらを見る。


「なんだよ、その笑い」

「い、いや、そこであたしの名前が出てくるとは思わなくて、想定外だったというか何というか、いやはや……」


 雨ノ瀬の声は次第にしぼんでいく。どうやら照れていたようだ。照れたら大笑いするのか。面白いやつだな。


「えっと、そろそろ戻るね?」


 逃げるみたいにして勢いよく立ち上がる雨ノ瀬。


「戻るのはいいけど、お前、睨まれてるぞ」

「う……」


 振り返った彼女が見たものは、かたまっていた女子グループからの突き刺さるような視線だった。……情報も持ち帰らず僕と話し込んでいたのだから仕方がない。


「や、まー、それでも戻らないわけにはいかないし。……じゃあね」


 僕にはそう言い――雨ノ瀬は両の掌を合わせながら平身低頭、グループに戻っていった。だがしかし、残念ながら赦してはもらえなかったらしく、程なくぼこすかという愉快な音と、袋叩きにされる雨ノ瀬の悲鳴が聞こえてきた。任務をまっとうできなかった偵察兵の末路だった。




                  §§§




「ぶっちゃけ、藤間って話しかけやすくなったんだよね」


 ある日の帰り、たまたま雨ノ瀬と一緒になり、僕の隣で彼女はそんなことを言った。


「そうか?」

「うん、そう」


 まぁ、去年の自分を振り返るに、確かにそう思わなくもない。


 二年の半ばまでろくに人づき合いをしてこなかった。その僕が美沙希先輩と出会い、大きく変わった。以前と比べたら、格段にとっつきやすいことだろう。

「前は、なんていうのかな――確かにかなりいいセンなんだけど、どっか失敗してる感じなんだよね。カッコつけすぎっていうか?」


 え……?


「残念美人ならぬ、残念イケメン?」

「……」


 なんか胸がえぐられるように痛いな。イタすぎる。


 おかしいと思っていたんだ。容姿はそう悪くないはずなのに、女子から目に見えて注目されるようになったのは、三年に上がってからだった。それこそとっつきやすさのせいだと思ってたのだが……そうか。周りからはそう見えていたのか。


 美沙希先輩と出会ったころの僕は、いつも斜に構えて、自分は人とはちがうんだと思っていて――そんなスタイルが格好いいと思っていた節もあっただけに、今明かされる驚愕の真実に精神的ダメージが大だ。……まぁ、確かに美沙希先輩からは面と向かって「お前は中二病なんだよ」とは言われていたけど。


「あまり触れてあげないほうがよさそう、みたいな?」

「……いや、もういいから」


 今も触れてくれるな。触れられれば触れられるほど、傷がえぐられる。


「どうかした?」

「……なんでもない」

「チョコ食べる?」

「……」


 差し出されたスティック状のチョコのお菓子を無視し、僕は天を仰いだ。


「あ、そうだ。藤間、部活は? やってないの?」

「うん? クラブなら二年の初めにやめたよ」


 落ち込む僕におかまいなしに、雨ノ瀬は尋ねてくる。


 僕は中学に上がるとハンドボール部に入部した。が、すでに述べたように、僕は集団行動には向かない精神性をしていたので、二年に上がると間もなく自主退部したのだ。


 今となっては、やめてよかったという思いと後悔とで、半分半分といったところか。三年間ひとつのことに打ち込むのも健全な中学生の姿だが、部をやめていなければ今みたいに学校行事の実行委員を次々と渡り歩いたりはできなかっただろう。


「そっか。ハンドだったんだ。ちょっと見たかったかも」

「それがどうしたんだ?」


 そういう雨ノ瀬は何のクラブに入っていただろうと思いつつ、僕は答える。


「うん、あのさ、今度カラオケ行かない?」

「カラオケ?」


 唐突な提案に、僕はその単語を鸚鵡返しにする。


「毎日勉強勉強でストレスたまってんだー。思いっきり歌って踊りたい気分」


 中学三年生といえば受験生だ。でも、本番の試験一発で決まるわけでもなく、今現在の成績も多少なりとも影響してくる。いわゆる内申書というやつだ。それを考えれば、すでに受験ははじまっていると言えて、定期試験も気が抜けない。


「まぁ、いいけど」


 僕とて受験への重圧とは無縁ではない。


「で、どんなメンバー?」

「あー、えっと、あたしと藤間――」


 そこで雨ノ瀬の言葉が止まる。


「と?」

「……だけ」


 僕が続きを促すと、彼女は小さくひかえめにそうつけ加えた。


「……ダメ、かな?」


 そして、おっかなびっくり聞いてくる。


 僕は少し考えてから、


「別にいいんじゃないか。そういうのも」

「ほんと? なんか、ごめんね」


 雨ノ瀬は何かを誤魔化すみたいに苦笑いをした。


 まぁ、いいさ。女の子とふたりでカラオケにいくのも初めてじゃない。尤も、相手は美沙希先輩なので女の子の範疇に入れていいのか少々疑問だが。あれはたぶん雌の肉食獣だ。しかも、自分で狩りに出るタイプの。


「あ、じゃあ、この前のワンピ、着ていこうかな」

「この前のって……」


 あの夜に着ていた黒い、アイドルのステージ衣装っぽいやつか?


「お前、あれで思いっきり踊ったら大変なことにならないか?」


 美沙希先輩風に言えば「いいもんが見れるかもな」である。


「そこは大丈夫。下はアンダースコートだし」

「……」


 そういうものなのか? 見られるのがいやでそんな防御策を講じるくらいなら最初から着てくるなよ、と思うのは男の論理なのだろうか。女と言うのは、どこまでもファッション優先の生きものらしい。


「あ、何か想像した? いっやらしー、いっやらしー。藤間、いっやらしー♪」

「お前なぁ」


 からかうように言ってくる雨ノ瀬に、呆れる僕。


 彼女は笑いながら、逃げるように前へと駆けていった。


「よっし。思いっきり歌って踊るぞー」


 そして、両の握り拳を空へと突き上げ、宣言。


 僕はその背中を見ながら、妙な流れになってきたなと思った。

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