挿話3 槙坂さん、赤裸々(レッドカード)ガールズトーク<下>

 結局、藤間くんとどんな顔をして会えばいいかわからないまま、学校に着いてしまった。


 ここまでいつも通りたくさんの友達や顔見知りの生徒とすれちがい、言葉を交わしたけれど、『槙坂涼』として振る舞うことでどうにか冷静を保つことができた。でも、それも藤間くんと会えばどうなるかわからない。


 経験不足がたたっていると、我ながら情けなく思う。


 一方、藤間くんはきっといつも通りにちがいない。あの子は妙に落ち着いているところがあるから、キスなんて重大なイベントがあっても、いつもと同じ調子でわたしの前に現れる気がする。


(ただ慣れてるだけだったりして……)


 ちょっとだけいやな想像が頭をよぎる。


 ここは何としても年上としての面子を保ちたいところ。


 そのためにもこちらから打って出ることにした。いつ会うかわからないまま不意に遭遇するよりも、そのタイミングをこちらでコントロールしたほうが心の準備ができる。


 ところが、電話をしても藤間くんは出ず、送ったチャットも既読にはならず――そのまま昼休みを迎えてしまった。あの子にしては珍しい。電話はたいてい出てくれるし、チャットもすぐに既読になって遅くとも次の休み時間には返事が書かれるのに。今日は学校を休んでいるのだろうか。


 連絡が取れないことに漠然とした不安を感じていると、


「涼さーん」


 呼ぶ声に振り返れば、大教室の机の間を泳ぐようにして寄ってくる小動物のような女の子。ちょっとおでこちゃんな一年生、サエちゃんこと三枝小枝さんだった。


「真から涼さんに伝ごーん」


 サエちゃんは藤間くんのことを名前で呼び捨てにする。ちょっと羨ましいと思う。……いや、今はそこじゃなくて、どうやら彼は学校にはきているらしい。


「藤間くんが?」

「うん。今日はスマホを家に忘れてきたって」

「あ、そうなの? あの子にしては珍しいわね」


 珍しいことの原因は、やっぱり珍しいことだった。


「真って案外スマホなんてどうでもいいと思ってるんじゃないかなぁ?」


 とは、サエちゃんの想像。

 確かに。あれば便利、なければないでどうにでもなるくらいにしか思っていなさそうだ。


「それじゃ涼さん、またねー」とサエちゃんは友達のところに戻っていった。


 兎も角、連絡が取れない理由はわかった。どうやら今日藤間くんに会うには、多かれ少なかれ偶然に頼らないといけないらしい。


「……」


 携帯端末という、会いたいときに会える、或いは、そのための約束をするツールが無力になった途端、急に喪失感が襲ってきた。今朝までは初めての事態に直面して、頭を抱えていたというのに。


 どうしようどうしようと思いつつ、それでもわたしは彼に会いたかったのだと、ようやくわかった。


「涼さん、お昼食べに行こー?」


 呆然とするわたしを我に返らせたのは、さっきまで一緒に授業を受けていた子たちの声だった。


「ごめんさない。今日は約束があるの」


 本当はそんなものはなく、今からするのだけど。


「さては、また藤間君かなー?」

「残念。今日は女の子よ」


 茶化してるのだか応援してくれてるのだかわからない彼女たちと別れ、わたしは携帯電話を操作しながら教室を出た。




                  §§§




「そっちから誘ってくるなんて珍しいね」


 そう言ったのは猫目にざっくりしたウルフカットの少女、美沙希だ。


 場所は学生食堂。


 今わたしたちは、そこのテーブルのひとつに向かい合わせで座っていた。わたしの前には自作のお弁当があり、美沙希の前にはパンやサンドウィッチの入ったコンビニの袋が置かれている。お互いいつも通りの食生活だ。


「んで、何かあったのか?」


 美沙希は問うてくる。

 きっと彼女は、わたしに何かあったからこんな珍しい行動に出たと思っているのだろう。彼女の猫目は鋭い。


「そうね。あったと言えばあったけど、別に悪いことじゃないわ」

「へぇ、よかったじゃないのさ」


 美沙希は問いを重ねてはこない。話したければ話すだろうくらいの感じだ。


 だから、わたしは話す。


「昨日、藤間くんとキスしたわ」


 途端、美沙希は食べる手を止めた。やきそばパンにかぶりつこうとした体勢から、ゆっくりとわたしを見やる。


「……マジで?」

「ええ。これでも妄想をさも本当のことのように語るイタい女じゃないつもりよ」

「そりゃ悪かった」


 それから美沙希は、「ふうん」とか「へえぇ」とか「あの真がねぇ」などと、しきりに感心していた。


 そして、




「テキトーに言いくるめて身動きできなくした後に、むりやりやったのか?」

「ちがうに決まってるでしょ」




 どうしてそうなるのだろう?


「そんなに意外?」

「あいつ、中学ンときは女に興味がある感じじゃなかったからな」


 美沙希はわたしの知らない中学生の藤間くんを知っている。藤間くんは彼女のことを人生の先輩だと言い、美沙希は彼のことを舎弟だと言う。ふたりはそれほどのつき合いだ。


「なにせ真のやつと二年近くツルんでたけど、アタシとはそんな素振りもなかった」

「美沙希だからじゃない?」


「……」

「……」


 わたしたちはしばし無言で見合う。


 やがて美沙希は、ぽん、と手を打った。


「ああ、なるほど」

「納得するのね」


 とは言え、女らしくなかった美沙希には感謝しないと。彼女が女らしかったらどうなっていたことやら。人生の先輩として藤間くんを導きながらも、やがて年ごろになってお互いを男女として意識するようになり……なかなかの浪漫だわ。


「藤間くん、中学のころからモテたんじゃないの?」

「んー、まぁ、そこそこ?」


 何を思い出したのか、彼女はくつくつと笑った。気になるところだ。


 ここでも美沙希に感謝しないといけないのかもしれない。そこそこモテたという藤間くんは、そばに美沙希がいたからこそ『そこそこ』ですんでいたのだろう。美沙希との関係を特別なものと捉えた女の子もいれば、彼女に恐れをなして告白もできずに回れ右した子もいたにちがいない。


「そうかそうか。お前たち、結局つき合うことになったか」

「つき合ってないわよ?」


 わたしが即答気味にきっぱり言うと、美沙希の口から「は?」と発音がもれた。


「藤間くんに聞いてみたらいいわ。絶対に否定するから。わたしも何度かつき合ってって言ってるんだけど、ずっと袖にされてばかり」

「いや、だって昨日……」

「ええ」


 そうよ、の意味を込めて、わたしはうなずく。


「でも、きっとあの子はどこまでいっても認めようとしないわ。ちょっとでも認めたら負けだと思ってるもの」


 認めたら負け。

 自分からつき合ってくれなんて言い出そうものなら大惨敗だろう。


「わっかんねぇことしてるなぁ」

「ほんとね」


 自分でもそう思う。


 要するに、わたしたちの関係において掲げた看板などどうでもいいのだ。そんなものとは無関係に、わたしたちの関係の本質は構築されていくだろう。


 でも、一方ではその看板に拘っているとも言える。つき合ってと言っても藤間くんは断固として拒否するし、わたしはその彼の首をどうやって縦に振らせようかと日々考えている。もうキスまでしたというのに。


 確かに傍目に見たら、わけのわからない駆け引きをしているのだろう。


 不意に美沙希が、テーブルの真ん中の箸立てから塗り箸を一本抜き出した。指の動きだけでそれをクルクルと3回ほど回した後――その切っ先をわたしの喉もとにぴたりと突きつける。


「……本気なんだろうな?」


 彼女は眼光を鋭くし、わたしに問うた。


 藤間くんとのことだろう。


 美沙希はたぶん、知っている。普段槙坂涼が言葉ひとつ、態度ひとつで周りを一喜一憂させ、その反応を見て楽しんでいることを。だから疑っているのだ。わたしが遊び気分で藤間くんを相手にしているのではないかと。


 ここで冗談でも遊びだと答えようものなら、美沙希は容赦なくわたしの喉を貫く――そんな気がした。


 もちろん、わたしはそんなことをしているつもりはない。でも、これから先そんな女の子が現れれば、美沙希はきっとその存在を赦しはしないだろう。


「ええ、本気よ」


 美沙希に真正面から向き合い、わたしは真剣に答える。


 一拍。


 それは彼女の猫目が、言葉の真偽を見定めるための時間。

 その一拍の後、美沙希はお箸をテーブルの上に放り投げた。「なら、いい」と短く言って興味を失ったように食事を再開する。


「これでも藤間くんといやらしいことをしてる自分を想像して楽しむくらいには本気なんだから」

「……お前、もしかして今、危ないこと口走ってないか?」

「そう?」


 わたしは知らない振りで笑ってみせる。


「参考までに聞くけど、お前の中のあいつってどんな感じ?」

「そうね……わたしがいたずら半分で挑発したら、彼が反撃に出てくるの。それで口ではいじわるなことを言いながら、それとは裏腹に指はものすごく優しく丁寧にわたしを――」

「ぅぐあ……」


 わたしが最近のお気に入りを語っていると、正面から何やらうめき声が聞こえてきた。見れば美沙希が胸を掻き毟りながら突っ伏していた。


「聞いといて何だけど、ごめん、アタシが悪かった。やっぱガールズトークってガラじゃないわ、アタシ。許してくれ」


 苦しそうに言葉を絞り出す。


「あら、藤間くんは許してって言っても簡単には許してくれないわよ」

「いや、もうそういうのいいから……」


 美沙希は、「おっとろしー女」とつぶやきながら体を起こした。


「んで、その真のやつはどーしたよ?」

「さぁ? 校内のどこかにはいると思うわ」


 わたしは藤間くんと連絡が取れないこと、スマートフォンを忘れたとサエちゃん経由で知ったことなど、今朝からの経緯を美沙希に説明した。


「ふうん。スマホをねぇ。何やってんだか」


 呆れる美沙希。スマートフォンを必携ツールとして生きている彼女には、携帯端末を家に忘れてくるなど考えられないのだろう。


「ていうか、お前らいつまでも後生大事にひと昔前のモデルを使ってんじゃねぇ。ふたりそろってとっとと最新のに買い替えてこい」

「そんなこと今は関係ないでしょう」


 この情報社会の申し子は、なぜかこちらにも噛みついてきた。


 美沙希に言われるまでもなく前向きに検討中だけど、大きなお世話だった。……まぁ、ふたりそろってという点は魅力的だけど。どうせ買い替えるなら、藤間くんとおそろいといきたい。でも、藤間くんは現在のところ、いま使っているものに問題が起きないかぎり、買い替える予定はないらしい。まだまだ先になりそうだ。


 それは兎も角。


 気がつけば、彼女と同じように呆れ、ちょっと怒っている自分がいた。


 それこそ美沙希じゃないけど――まったく、何をやっているのだろうか、藤間くんは。わたしがこんなにも会いたいと思っているというのに。ケータイを忘れたのなら忘れたで、そちらから会いにきてくれてもいいだろうに。


 藤間くんとどんな顔で会ったらいいのかと、あたふたしていたさっきまでのわたしはどこへやら。今はまるで雲隠れしたみたいに姿を見せない彼に、ただただ頬をふくらませるばかりだった。


(明日会ったらどうしてやろうかしら)


 決めた。

 彼と会ったら、まずは怒ろう。


 それからキスまでした彼女をほったらかしにしたことを反省してもらわないと。


「……」


 でも、やっぱり声だけでも聞きたいから、今夜にでも電話してみよう。


 会う前の心の準備になりそうだし。




(って、まさかその電話にすら出てくれないとは思わなかったわ……)


 夜、


 わたしは、留守番電話サービスの音声ガイダンスが流れるスマートフォンを握りしめ、自室の机に脱力したように突っ伏した。


 チャットには何も書かれず。電話にも出てくれない。


 ほんと、どうしてくれようか。

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