第4話<下>

 かくして、わたしは藤間くんをデートに誘うことに成功した。


 それはいいのだけど。


「なんか涼さん、落ち込んでない?」

「ていうか、悶えてる?」

「……いいの。なんでもないから」


 休み時間、わたしは一緒にいた友達にそう言われ、両肘を突いて額を押さえ頭痛でも堪えているかのような姿勢から顔を上げた。


 昨日、確かに彼にデートの約束を取りつけた。


 でも、その過程でわたしは壮絶に恥ずかしい失敗をやらかしてしまったのだった。思い出しただけで顔から火が出そうになる。


(自分でスカートをたくし上げて見せる女って……)


 さすがにサービス過剰だと思う。


 どれだけ見えただろう? もともとそんなつもりはなかったから、そんなには見えていないはず。でも、階段だったから、もしかしたら自分で思っている以上に……。


(わざわざ階段の上に立ってって。ああぁ……)


 考えれば考えるほど深みにはまる。


 わたしが失態の代わりに得たのは、興味と禁忌の間で葛藤する彼の表情。あの瞬間、確かにわたしは彼を征服していた。そう思えばあのときの彼の表情には、わたしの体の中心を騒がせるものがあった。


「最近の涼さんってちょっとヘンだよね」

「そ、そう?」


 最近? 今にかぎって言えば、ともすればそれこそ悶えそうになるので、傍目には悩みでもあるように見えるかもしれないけれど。でも、最近とはどういうことだろう。


「ほら、急に二年の男の子と仲よくなったりしてるし」

「……」


 そういうことか。それを『変』の範疇に入れられるのは少し心外だった。


 いや、やっぱり変なのだろう。普通の女の子が普通にしていることも、彼女たちの目に映る『槙坂涼』にとっては。




                  §§§




 わたしは時々思う。


『槙坂涼』とは何ものなのだろうか、と。


 ひとつ仮説があった。

 それは、『槙坂涼』は人の願いが生んだ存在である、というものだ。


 誰もが憧れる美貌の少女に与えられた役目はとてもシンプルだった。即ち、「その通りね」「今あなたが思っている通りのことをすればいいと思うわ」とうなずいてあげること。人間誰でも肯定されたいという願望をもっていて、それを満たすのに『槙坂涼』はちょうどいいのだろう。万人が認めるカリスマに同意されることほど安心できるものはない。


 幸か不幸か、わたしは『槙坂涼』が担うべき役割に、早々に気がついてしまった。そのときからそう振る舞っている。


 でも、もしその順序が逆だったら?

 肯定されたいという願いが『槙坂涼』というシステムを生み出したのだとしたら?


 ふとした瞬間に、わたしは自分がとても希薄だと感じる。


 もし『槙坂涼』が他者を否定する言葉を口にすれば、そんな『槙坂涼』は必要ないと逆に否定し返され――そうしてやがていつか誰にも望まれなくなったとき、『槙坂涼』という存在は消えてしまうのではないだろうか。


 それはばかばかしい妄想。


 それでも不安に思う。

 部屋でひとり勉強しているときや朝目覚める前の微睡の中で、そんなかたちのない不安が鎌首をもたげる。


 誰にも望まれなくなったとき、そこに何が残るのだろう。




 ずいぶん後になって、それを藤間くんに話したことがある。


 そのときは朝の浅い眠りの中でそれを考えてしまった。不安を抱えたまま目を覚ましたわたしは、そこにいた彼にそれを話し、最後に聞いてみた。


「わたしってちゃんと生きてる?」


 対する彼の答えは単純だった。


「少なくとも僕は、あなたが生身の人間であることを知ってる」


 確かにそうだった。

 彼なら知っている。わたしには触れることのできる体があることも、血と涙を流すことも。


 わたしはその言葉に安心する。


 彼がそう言うのなら間違いない。藤間くんは天の邪鬼で口が悪くて、いじわるばかりするけど、わたしをとても優しく丁寧に扱ってくれる。よく嘘は吐くけど、こんなときに嘘は言わない。


 彼がそう言ってくれるのなら、もう何の心配もない。


 と、そこで気づく。


 結局、わたしも誰かに肯定されたかったのだと。




                  §§§




「涼さん。今度みんなで遊びにいかない?」


 そう切り出してきたのは伏見唯子だった。


 彼女はスポーツ少女を絵に描いたような女の子だけど、足が不自由で車椅子の生活を余儀なくされている。中学生のときに遭った事故の後遺症なのだという。授業前の今は車椅子から通路側の席に移っていた。


「いつ?」

「次ー、じゃなくて、そのまた次の日曜」


 この週末なら藤間くんとのデートだけど、来週なら特に予定は入っていなかった。彼女のお誘いを受けようと思ったとき、彼女の次の言葉を聞いてわたしは発音を飲み込んだ。


「定番だけどね、遊園地に行こうと思うんだ」

「……」


 遊園地なら日はちがえどわたしたちと同じだ。そして、遊園地といえばこのあたりではひとつしかない。


 わたしは素早く考えを巡らせ、すぐに答えを変えた。


「ごめんなさい。その日はもう予定が入ってるの」

「え、どうしよう。ちがう日だったら大丈夫?」

「わたしのことは気にしないで。また次の機会に一緒させてもらうから」


 微笑みとともにやんわりと断った。


 わたしに合わせてくれるのは嬉しいけど、それでは困る。わたしたちのデートの日を彼女たちに合わせるのだから。


『槙坂涼』が男の子とデートしているところを見つかってしまう――なかなか面白そうなシチュエーションだと思う。


 後で藤間くんに日にちを変えてもらわないと。


「……」


 後で……?

 いや、やっぱり明日にしよう。


 今日はまだ、その、ちょっと顔を合わせるのが恥ずかしいから。

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