第4話<下>
早く終われという多くの生徒の希望と、終わるなという僕の願いを裏切り、授業はチャイムと同時に終了した。
テキストをまとめ、階段状の通路を下りる。
と、そこに槙坂先輩が待っていた。
「どう? 考えてくれた?」
「まぁ、それくらいなら。……ただし、NGワードが出たら退場だ」
「あら、何? NGワードって?」
彼女は首を傾げる。
「それは自分で考えてくれ。引っかかったらアウト」
「ゲームみたいで面白そう」
そう言ってどこか無邪気にも見える笑みを浮かべた。
弾む気持ちを抑えきれないのか、跳ねるような足取りで歩き出す彼女を僕は追う。そして、そんな僕らを周囲は呆然と見送るのだった。
「悪いけど席を取っておいてくれ」
学食に着くと、弁当持参の槙坂先輩に席の確保を任せ、僕は昼食を買うため一旦彼女と別れた。考えるのが面倒なので、日替わりランチのコーナーへ直行。ほとんど立ち止まることなくテキトーに皿をピックアップし、金を払って席のほうへと向かう。
槙坂先輩がどこにいるかは、彼女が手を上げて合図をしてくれたのですぐにわかった。この前と同じ、壁際のテーブルだ。そして、僕と槙坂先輩の間にいるほとんどの生徒が、僕と彼女を交互に見ていた。
突き刺さるような視線に気づかぬふりをしながら向かいに座る。
「思ったのだけど――」
さっそく切り出してきた。
「この前と今日の質問、私の答えを聞いてからなら、自分の答えをいくらでも変えられるんじゃない?」
「だろうね」
彼女は例の小さなランチボックスをまだ開けていなかったので、僕も先に食べはじめることはしなかった。
「じゃあ、本当のところは?」
「『ナインテイラーズ』は僕も好きさ。いちばんとは言わないけど、秀逸な作品だ。乱歩が選んだだけのことはある。それから僕も『四大奇書』派だ。『匣の中の失楽』は確かに『虚無への供物』のオマージュかもしれないけど、それだけにおさまらない、中井英夫に最大の敬意を払った素晴らしい作品だと思う」
「あなた、ずいぶんと天の邪鬼ね」
珍しく拗ねたような先輩の口調が可笑しかった。
僕の返事を聞いている間に槙坂先輩はランチボックスを開けていて、僕は彼女と同時に食べはじめる。それに気づいた彼女は、僕に嬉しそうに大人っぽい笑みを向けてきた。
「それにしても――わたしのこと、そこまでいや? もしかして、もうつき合ってる子がいた?」
「今ごろ聞くか? そういうのは最初に聞くべきだと思うが。……まぁ、特にはいないけど。そっちこそ大学生とつき合ってるんじゃなかったっけ?」
彼女に関しての尽きない噂の中にそういうのがあった。明慧大の医学部に彼氏がいるとか何とか。
「あら、藤間くんともあろう人がそんなのを信じてたとは意外ね。根拠のない噂だわ」
そして、やや声のトーンを落とし、
「もちろん、わたしが流したのだけど」
「!?」
危うく食べていた和風ハンバーグを喉に詰まらせるところだった。
「因みに、方法は簡単。いくつかの教室の机に『槙坂涼は大学生とつき合ってる』って落書きするだけ」
「なんでまた、そんなことを……」
「面白いからに決まってるわ」
当然のように言う。
「すぐに広まって、わたしのところに聞きにくるの。『本当なの?』って。でも、わたしはあえて『プライベートなことだから』と、答えを曖昧にする。いろんな反応が見られるわ」
彼女が言うには、尾ひれがついて相手が大学生どころか社会人や他校の生徒に変わっていたり、どこそこのホテルの前で見たなどと具体的な場所が追加されていたりするのだそうだ。デマゴギーの伝播の実験に使えそうな事例だな。
「ひどい話だ」
「藤間くんには言われたくないわ。それに、言っておくけど、個人名が出たときはきっぱり否定してるわ。特定の誰かに迷惑はかけたくないもの」
なるほど。最低限のルールは自分の中に設けてあるわけか。まったく、本当に誰かとよく似ているな。
「というわけで、わたしはフリーよ? どう?」
「知ったことか」
「強情ね」
槙坂先輩はため息を吐く。
「ひとつおしえてあげる。あなたにとっていいことか悪いことかわからないけど」
それはまた微妙な情報だな。
「大きな声じゃ言えないから」
そう言って身を乗り出すので、僕も同じようにした。互いの吐息がかかりそうなほど顔を寄せ合う。
「わたし、
「ぶっ」
さすがにこれには咽て咳き込んだ。
「やっぱり笑うのね」
「笑ってんじゃないっ」
どうやったらそう見えるんだ。
「そんなこと、いま言うことかよ」
「じゃあ、いつならいい? ベッドに入る前?」
「……」
落ち着け。目の前にいるのは悪魔だ。そう思え。
「やはりこれは諸刃の剣ね。わたしを征服する喜びはあるかもしれないけど、あなたを満足させることはできないと言ってるようなものだもの。藤間くんはどちらが好み? 初めての女? それとも慣れてるほうがいい?」
聞くかよ、そういうこと。
「いいのか? そういう話題にNGワードが潜んでそうだけど?」
僕は強引に話を終わらせることにした。
「確かにそうね。……でも、こういうのもいいわね、緊張感があって」
楽しそうに笑ってから、槙坂先輩は続ける。
「じゃあ、ちょっと雑談。どうして明慧大附属に入ったの?」
「ずいぶんと普通の質問なんだな」
「お互いを知るため、かしら?」
その必要があるかはさておき、僕が話の腰を折って話題を変えさせたのだ。答えるのが筋か。
「ここってさ、日本の高校には珍しい単位制だろ? 好きな授業が取れて、それだけ多くの人間を目にすることができると思ったんだよ」
「あなたらしいわね」
槙坂先輩は小さく笑う。
「それと、ここの生徒なら明慧大の図書館が使える」
「そうなの?」
初耳だったらしく、彼女は首を傾げた。
「知らないのか、三年生なのに。私大だから基本的に大学構成員以外には開放していないけど、附属の生徒なら学内者として利用ができるんだ」
「知らなかったわ。今度行ってみようかしら」
「そうするといい」
せっかく大学図書館を利用できるのだから、もっと積極的に利用するべきだ。
「それから――」
と、勢いで口を滑らせ――やめる。
「あのね藤間くん、言いかけたことは最後まで言いましょうね」
槙坂涼が姉のような口調で注意してくる。
僕は渋々続きを口にした。
「……とある先輩を追って、ね」
「まぁ、そうだったの? 誰なの、その先輩って?」
「それは言いかけたわけじゃないから、これ以上言う気はないね」
自分の迂闊さを呪う。
「まぁ、槙坂先輩もよく知っている人、とだけ言っとくよ」
これはサービス。
気がつけば、トレイの上のランチはほとんど残っていなかった。話しているうちにけっこう食べていたようだ。
「いつの間にかずいぶんと話してたわね」
槙坂先輩も似たような感想を抱いたらしい。
「あまり気にしてなかったけど、NGワードは何だったの?」
「特には設定してないよ」
そんな面倒なことやってられるか。
「あら、意外に優しいのね」
「まさか。気分で退場させるつもりだっただけさ」
「意地悪」
彼女は頬を膨らませる。
だが、すぐに笑みを見せ、次の言葉を紡いだ。
「でも、そういうところが好きよ。やっぱりわたしたち、つき合ってみるべきだわ」
だから僕はこう返す。
「NGワードだ。……どうぞご退場ください」
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