天海白眉の初恋 6




「おお……本当に空を浮いてる」

「一日で空中浮遊まで行けるんだ。筋は悪くないね」


 彼は今、体育館のバスケットのゴールの網に手を触れている。

 足の下には梯子も椅子もない。

 宙にただ浮かんでいる。

 鹿歩や悟はこれを覚えるまでもうちょっと時間がかかったのにな。

 苦労させるつもりがあっさり習得されてしまって少し悔しい。


「スプーンも簡単に曲げられるし、強度、重量、ともにBクラス以上だね」

「クラス分けがざっくりしすぎてないか。同じAクラスだと言われてもお前に勝てる気がしないんだが」

「図りようがないもの。比較対象も少ないし」

「だとしてもスプーンやパイプを曲げる程度の俺と、廃車を完全な立方体にするお前と同一視されたくはない」


 羽黒彦一の視線の先には、不格好な鉄の四角形がある。


 一片は2メートルほどだろうか。基本的には金属で構成されているが、割れた後に溶けて固まったガラスやゴムなどもへばりついている。


 これは、ボクがデモンストレーションでやったものだ。故障して廃棄する予定の車に対し、超能力で熱を加えながら上下左右前後、すべての方向から均等に圧力を掛けた。


「キミもこのくらいまでならできるよ」

「これくらいまで……って、え、なに? これは本気じゃないってことか?」

「さあね? そこは秘密」

「答えを言ってるようなもんだろ」

「さて、次のレッスンに行こうか。物を動かしたり壊したり、自分の体を浮かせたり……このあたりは問題ないようだし、一つ上の技術を教えるよ」

「頼む」

「そんなわけで、ちょっと天井を見てくれるかい?」

「わかった」


 羽黒彦一はボクの言葉を完全に信用して首を上げて真上を見た。

 えいっ。


「あいたっ!? 何すんだよ!」


 でこぴん程度の力を、羽黒彦一の顎に向けて放った。

 完全に油断していたのか、けっこう痛がっている。


「油断したね。念動力の使い手がいるんだ、それじゃダメだよ」

「……襲われる想定もしろってことか?」

「それもある。でも一番大事なのは自分の力で死なないことさ」


 ボクらのような超能力者は、自分の腕力の何倍もの力を振るうことができる。5トントラックだって持ち上げることができる。


 そこで発生しやすいのが、「5トントラックくらい軽いと思ってしまう」という錯覚だ。肉体そのものは強くなっていないのに。


「例えば、自分の頭の上に車を浮かせている状態だとする」


 ボクは自分でスクラップにした車を浮かせ、自分の真上に置いた。


「おいおい、危ないだろ」

「そう、危ないんだよ。これは自覚的にやっているけど、意外とうっかり無自覚でやってしまうことがある。簡単にできる物事に対して、人間ってのは鈍感になるんだよ」

「わかった、わかったから降ろせ」

「うん」


 そしてボクは、宙に浮かせている力を解除した。

 当然、鉄の塊はボクに自由落下を始める。


「おいおいおい!」


 がぁん!


 という大きな音が鳴った。


 それはボクの腕と鉄塊がぶつかった音であると同時に、ボクの足下に亀裂が入った音だ。鉄塊と床の間を支えているボクの体には、傷一つ無い。


「わかったかい?」

「それも念動力なのか?」

「ま、わかりやすくいえばバリアだね」


 鉄塊を自分の横に降ろす。

 ずしんという地響きが鳴った。


「自分の体の表面に念動力を張り巡らせて衝撃やダメージを自分の体に伝えないようにすること。これは覚えていて損はないよ」

「損はないっていうより絶対に覚えなきゃいけないやつじゃないか?」

「そう思うなら頑張ることだね。今日はそこまでやったら終わりにしようか」

「ありがとな、先生」


 先生呼ばわりされるのは妙に座り心地が悪い。


「先生呼びはやめて」

「じゃあ蝗塚こうづかさんで良いか?」

「……白眉で良いよ」


 母の名字で呼ばれるのは苦手だ。

 元々の自分の名は、天海てんかい白眉はくび

 だが離婚して母に引き取られて蝗塚こうづか白眉はくびとなった。

 そして引き取ったはずの母は、ボクの念動力に恐怖して手放した。

 あらゆる手続きを放棄して逃げた。

 結果としてボクは、蝗塚の名字を持ったまま、父の庇護にいる。


「じゃあ俺のことも彦一で良い。よろしくな、白眉」







 午後の訓練が終わった後は自由時間だ。

 食堂に集まり、全員で祈りを捧げてから食事に移る。


「いやー、メシが美味いのは助かるなぁ」


 メニューはバイキングで、一応白米と味噌汁は用意されているものの、その他の多くは近隣で手に入るものばかりだ。つまり、魚介類がとても多い。


 ボイルしたエビや日本では見慣れない大きな魚のフライ、カニで作ったハンバーグみたいなもの、貝を煮込んだ料理などがメインディッシュだった。


「きみは胃が強いね……うぷっ」


 多分、油が合うならばさぞかし美味しいんだろう。

 だがボクはちょっと無理だ。

 似たような顔をしている子も何人かいる。


「あー……味噌汁でも飲むか?」

「え、あるの?」

「お湯掛けてすぐ食べられるタイプのを持ってきたからな。部屋に戻れば未開封の味噌もあるし」


 羽黒彦一が、自分のバッグから紙のカップの味噌汁を取り出した。

 フリーズドライの具材をお湯でふやかし、そこに味噌を溶かすごく普通のレトルト味噌汁だ。だが今のボクにはひどく魅力的に映る。ごくり、と生唾を飲み込んでしまった。


「い、いやいや、いらないよ」

「そうか? まあいらないなら良いんだが」


 別に、ボクは食べたい物が食べられなくて苦しんでいるわけではない。

 鹿歩に頼めば一瞬で日本のコンビニに買い物に行ってくれる。

 お願いしていないだけだ。

 こうして集団行動をしている以上、そういうズルは止めようと思うのだ。


「別に無理しなくて良いんじゃないの」

「そうですよ。いきなり外国の料理を食べてお腹を壊すのは誰だってあるんですから」


 そんなボクの気持ちを知っているはずの二人が、呆れたような顔をしていた。


「だからさぁ……」

「別にズルじゃないでしょ。例えるなら遠足でお菓子を持ち込んだようなもの」


 鹿歩が的確に反論を塞いでくる。

 いや、あんまり的確ではないんだけど、そう思ってしまうほど魅力的な提案だ。


「あ、やっぱり無理してるよな。ほら」


 スープ用の大きめのカップに湯を入れて味噌と具材を解かす。

 郷愁さえ感じる匂いにお腹が鳴りそうになる。


「だからいらないって……もらう理由がないよ」

「代わりに貝のスープくれよ。もう食えないだろ」

「あ、ちょ……」


 ボクの分のスープを羽黒彦一が奪い取った。

 ココナッツミルクと魚介の組み合わせがどうも受け付けなくて、口を付けられずにいたものだ。


「……美味しい?」

「慣れると上手いぞ」

「キミは順応力があるね。羨ましいよ」


 そう言いながら味噌汁に口を付ける。

 胃が落ち着いていくのを感じる。

 合わせ味噌にワカメ、小さい豆腐。

 普段の生活で食べるなら物足りなさを感じるだろうが、現状としてはベストな選択だ。


「ねえ」

「あ、エビ食わないのか? ガーリックシュリンプみたいな感じでイケると思うぞ。あと焼き鳥みたいなのもちょっと辛いけど美味いな」

「……ありがと」

「ん? ああ、食えそうな物は食っとけよ」


 そういうことじゃない。

 訂正しようと思ったが、止めておいた。


「明日もビシバシしごくから、そっちこそ食べておきなよ」

「おお、怖い怖い」


 全然怖くなさそうな、むしろ面白がるように羽黒彦一が呟いた。



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