モンスタークレーマー幼馴染VS催眠能力 3




「よし、と」


 額から手を引き抜く。

 さっきまで俺の手が深く沈み込んでいた華の額には、傷一つない。

 また俺の手にも血などはついていない。


 これが、俺の超能力をもっとも強く発揮する方法だ。

 詳しい人に言わせると、この瞬間の俺の手は霊体となっているらしい。

 そして直接、人間の精神そのものを触り、好き放題いじることができる。


 と言っても、精神を握りつぶせば死ぬ。

 下手なさわり方をしたら心に傷が残る。

 細心の注意を払いながら扱い、暗示や変化を与えるのが俺流の催眠術だ。


 軽い暗示を与えるだけなら目を合わせて言葉を交わすだけでもできるし、その他様々な精神干渉の能力を持っているのだが、確実に暗示を掛けるにはこれが一番だった。


「……あれ? ひこいち?」


 華が、ぼうっとした声を出した。

 俺の催眠を受けて意識が朦朧としている。


【今日はこのまま家に帰ってゆっくり休め。そうすれば気分がすっきりする】

「……うん」


 朦朧としたまま、華は立ち上がって帰途についた。

 俺はその背中を、寂しい気分で見送る。


「ついにやっちまったか」


 やはり、あまりやりたくはなかった。

 強引で邪悪な手段だ。

 なにより、これから華と当たり前の友達同士でいるのは難しいだろう。

 俺は華を好き放題操ることができる。

 華はそれを知っている。


 ただそれでも、やらなくてはいつか華が人生を損なうだろう。

 それを思えば俺はやらざるをえない。


「ままならないもんだな」







 そして、週明けの月曜日。

 がらりと戸を開けて俺は教室に入った。


 その瞬間まで続いていたにこやかな談笑がぴたりと止まり緊張が走る。


「……あれ? 羽黒一人だけか? 弥勒門は?」


 クラスメイトの田中が尋ねてきた。


「ああ、今日は呼び出しがなかった」

「なんだよビビらせんなよ……。あ、いや、待てよ。こないだスマホで変なこと言ってたよな。弥勒門がどうしたこうしたとか」

「相談に乗ってもらって助かった」


 スマホでいち早く情報をくれたのが田中だ。

 こいつも苦労している奴で、俺ほどではないが小中高すべて華と同じ学校に通い、高確率で同じクラスに配置されている。ちなみに俺は百パーセントの確率で華と同じクラスに配置される。

 そんなわけで田中は俺の苦労をよく理解し励ましつつも、結局は俺に華の面倒を見させようとする憎い男だった。


「もしかして……ケンカしたとかじゃないよな?」

「それはない。そんなこと起きたら事前に連絡する」

「だ、だよな!」


 田中があからさまにホッとする。

 ま、そうなるのも仕方あるまい。


「もしかしたら、いきなり温和な性格になってるかもしれないぞ」

「いやーまさか」


 はははと田中が笑う。

 そんなとき、がらりと控えめな音と共に教室の戸が開いた。

 華め、遅刻ギリギリだぞまったく。


「えっ……?」


 誰かの驚きの声が漏れた。

 そうだろうそうだろう。

 俺の暗示が上手く効いているに違いない。

 そう思って、俺も華の方を振り向く。


「……おはよう」


 蚊の鳴くような声だった。

 馬鹿な。

 華の姿は、見る影もなく意気消沈していた。

 老人のように頼りない足取りで、溜め息を付きながら自分の椅子に腰掛ける。

 すると、虚脱したように机に突っ伏した。


「は、華……?」


 俺は思わず立ち上がり、華のところへ近付いた。


「ああ、うん、彦一?」

「そ、その……元気ないな? 風邪でも引いたか?」


 近付いてみたらよくわかる。

 どう見ても普通ではない。

 普段は完璧にセットされている髪が妙に乱れている。

 首に締めているタイも緩めている。

 顔色もひどく悪い。

 青いを通り越して土気色だ。

 いつ倒れてもおかしくない。


「ごめん……調子、悪くて」


 また、教室がどよめいた。

 華の口から『ごめん』という言葉が出るなど異常事態だ。

 原因はなんだ。


 ……いや、うん、間違いなく俺ですね。

 だがここまで強い暗示はかけていない。

 暴力や罵声に出る衝動をある程度抑えただけだ。


(抑え過ぎたか……? いや、体調にここまで影響が出るなんてありえない)


 パッと思い浮かぶ原因は二つほどある。


 一つは、暗示や催眠にかかりやすい性格であった場合だ。

 1の威力で放ったものが、相手の防御力が低すぎて10のダメージを食らったと言えばわかりやすいだろうか。


 もう一つありえるのは、攻撃的な行動に出る原因が本人の性格や気質、体調とは別のものだった場合だ。つまり、華自身の問題ではなく、何かしら外から強い負荷やストレスを受けて、そのはけ口として俺やバイト店員を「攻撃」していたかもしれない。


 昨日、俺が華を見送って、そして今に至るまでに、華に強いストレスを与えられていたとしたら説明がつく。俺の催眠によって抵抗する意志を失い、ストレス発散の手段がなくなっているのだから。


(でも……こいつを追い詰めるほどのストレスなんて、ありえるのか?)


 華は、美人だ。


 顔の造形が素晴らしいというだけではない。肌も髪も艷やかで、態度はいつも堂々としている。人の倍は食べるが、運動が好きで体のスタイルを崩したことなどない。気分や体調の波はあることはあるが、非常に僅かなものだ。大きなストレスを抱えた人間がそんな状態を維持できるのだろうか。


「華」

「……なに、彦一」


 調べなければいけない。


「体調悪いだろ。無理に学校に来なくても良いんじゃないか。今日くらい休め」

「い、いやよ」

「つっても……せめて保健室に行くくらいは」

「……ああ、保健室ね。それなら、うん」


 華が小さく頷いた。よし。


「田中、ちょっと先生に伝えておいてくれ。俺と華は休みだ」

「お、おう」


 呆気に取られた田中が曖昧に頷いた。

 俺は、華に肩を貸してゆっくりと廊下を歩いていく。

 こんな風に歩くことなど、生まれて初めてのことだった。




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