第10話「強欲な青年」
都会はどの時間でも人がいる。
僕らは会話が盛り上がり、ついつい話し過ぎたようで。スマホの時計はいつの間にか五時を回っていた。
青い世界は一転し、今はもう橙どころか黒に変わりかけている。
「わぁ、寒い!」
開口一番。室内と屋外の異常な気温差に茅野は自身の身体を庇うようにそう言う。
「晴れてたんだけどなぁ。とりあえずモールの中に入ろっか」
「大賛成」
風の調子は穏やかで、葉の落ちた木々が緩やかに枝垂れるだけだ。それでも寒いのだからさすが冬。僕らの耐久値をどんどん下げてくるものだから、少し早足でショッピングモール内に逃げ込んだ。
「どこか座ろっか」
やはりショッピングモール内は暖かく、夜が近づくということもあって年齢層は少し上がったのかもしれない。
見るからに豪華そうな装飾品を身につけていたり、これから告白でもするのだろうか。緊張している二十代くらいのカップルも見受けられる。
歩き回るのもいいが、次の予定のためにあまり長居しないのが望ましい。
僕らはたまたま空いていた休憩スペースで、少しだけゆっくりすることに決めた。
「美味しかったね。いっぱい話しちゃったし」
「本当に。満足してくれたなら何よりです」
「大満足! ありがとう。すっごい楽しいよ!」
顔をほころばせたのは一体どちらだろうか。他者から見たら両方だなんて笑われるのだろう。
このスペースが、周りとの関係を隔絶し、僕らだけの世界にしてくれているような錯覚さえ味わう。
「よかった。また来ようね」
「うん! そうだ。次は私が予定決めてみよっかな」
「本当? 楽しみだな」
思案して笑う彼女は、僕なんかよりずっと丁寧で凄い予定を立ててくれるに違いない。
次のデート。その言葉の意味を考えるだけで、今日予定を立ててきた意味がある。
「そうだ。この後のご予定は?」
予定決めは後日決めることにしたのか、こっちを向いて茅野がそう尋ねてきた。
身長差があるものの、茅野が上半身を前傾するものだから上目遣いの破壊力がさらに強力なものとなる。
どんな仕草も似合うとはさすが茅野だ。
「この後は渋谷に行ってイルミネーションを堪能して頂きます」
ご予定、なんて言葉を使うものだから僕も執事っぽく口調を変えてみる。ついでのお辞儀だ。上半身だけだが、肘を曲げたりしてて動きは割と近しいのではないだろうか。
服装やなんかしらの布さえあれば完璧だろう。
「ふふっ、似合わないよ。八代くんがそんな言葉遣い」
見た目と行動が合致してないせいか、茅野が吹き出す。その通りだろう。僕もギャグのつもりでやった訳だし。
「でも構えだけは完璧じゃないかな? 文化祭でちゃんと勉強したし」
「そっか。二組は喫茶店が出しものだっけ」
「そ。男子はだいたい執事っぽく振る舞わなくちゃいけなくてね。あ、イルミネーションの方は大丈夫?」
思い出話に脱線してしまったので無理矢理修正。
「あ、ごめんね。うん、大丈夫だよー! 初めてだから楽しみ!!」
夜空の星のような明るさで笑う茅野。イルミネーションの評判は当然最高で、僕は彼女が楽しんでくれるよう全力を尽くすことを誓う。
「僕もなんだ。じゃあ、向かおっか」
「うん!」
出入口ですれ違うのは、僕らより十歳近く年上のカップル。出口に足を踏み入れた時点で、子供の時間は終わり六本木は大人たちの時間となる。
無風の外は一瞬の寒さは無いものの、継続的な寒さが僕らの体温を継続的に削り続ける。
寒さに思わずポケットに手を突っ込み、震えを止めようと歯を食いしばった。
一方で、マフラーに手を当てる茅野の手は震えていて、何か、守ってあげたくなるような気持ちが襲う。
茅野の手、僕よりも一回り小さくて、とっても白い。
改めてこの距離で見ると、寒さに耐えられなくなっちゃうんじゃないだろうか。
「どうかした?」
夜闇に溶ける人混みの中で、彼女の声だけが燦々と煌めく。流れる人混みはそれこそ川のようで、僕は離れないよう、そっと近づいた。
「いや、なんでもないよ。それにしても、人が多いね。みんな渋谷に行くのかな」
「かなぁ。人気だもんね。行ったことないのに分かるもん」
突き出そうになる本音を押し殺して、僕はおどける。茅野は気にもとめてないようで、僕の取りとめのない話にも熱心に返してくれるのだから、やっぱり彼女はいい人だ。
そんな彼女に、僕はなんて強欲な人間なのだろう。
さすがにおこがましすぎじゃないか。
――手を繋ぎたいだなんて、思ってしまったのだから。
隣にいることを感じながら、僕は静かにポケットに手を突っ込む。
僕は彼女が好きだ。できるならば手を繋ぎたい。だけど、彼女が大切だから。
そうやって僕はまた、自分の弱さを正当化し始める。誰かのためだなんて聞こえのいい言葉で、誰に聞かれてる訳でもないのに自分は正しいのだなんて思い込む。
だから、僕は彼女の言葉がないと動けなかったのだろう。
「寒いね。本当に」
信号が青になるのを待つ間、指先を合わせ、湿気った声で茅野が僕にそう同意を求める。
白かった手は寒さにやられてほんのり赤くなり、震えが指の芯まで伝わっている。
「なら手を、繋ごう。ちょっとは温かいよ、きっと」
ポケットに入れたばかりの手を、彼女に差し出す。
震えるのは、全身と声。そして、何よりも心。
伝染したのだろうか。彼女は少し潤んだ瞳を浮かべ、鼻をすする。だけれど、ずっとずっと嬉しそうで、それでも僕が支えないと今にも倒れちゃいそうで。そんな声をあげて、
「うん」
ゆっくりと、ぎこちなく僕は手を伸ばす。小さくて、細くて白くて、だからこそ綺麗で可愛らしい彼女の手に、触れる。
「んふふ」
「笑い方」
「だって、嬉しいから」
「……そう」
「……うん」
僕らは、きっと臆病なんだ。
「あったかい?」
「……うん」
だから僕らは、寒さを理由にして、お互いの指を絡める。少しだけ僕が力を込めると、茅野は負けないくらい、そっと握り返した。
溶け込んでいく。闇夜に幸せな気持ちが。
大きく動く心臓の割には、僕は意外と冷静で。彼女の温もりと僕の温もりが、幸せと一緒に確かめられることを、実感する。
ああ、彼女が泣きそうな理由がわかったかもしれない。
面白いな。幸せすぎるから泣いちゃいそうだなんて。茅野に出会うまでは一生気づかなかったかもしれない。
駅へ向かう僕らは、漏れ出る幸せを手のひら越しに伝え合う。
どんどん、どんどん――
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