もう戻れないから

百々面歌留多

もう戻れないから

薄暗闇のバス停のベンチで彼女は一人で待っていた。手を擦り合わせながら、白い息を吐いてばかり、肩を震わせて、膝の上にのせた鞄を抱きしめる。


二年前、友達と観光したときに買った旅行鞄だ。あの頃は新品同然だったが、今は半分型崩れしている。


端末で時計を確認しながら、道の向こうをずっと眺める。はじめて座ったときは、ずっと向こうまで見えていたのに、すっかり闇にのまれている。


バスは三時間に一本で、時間は若干前後する。次が最後に来るやつだが、ずっと音沙汰がないと、本当にやってくるのかさえ不明だ。


時間潰しにゲームやSNSをしていたが、バッテリーを食うので途中でやめてしまった。次に充電できるのはいつになるだろう。


節約をしなくてはいけないなんて、何日も前には想像さえしなかった。普段はちっとも気にしないせいか、意識しだすと途端に目減りが大きく感じられる。


彼女は空を見上げた。闇夜に浮かぶ星々は小さな粒の宝石であった。手が届かないから、欲しいとは思えなかった。


進学のため、実家を離れて一人暮らしをしたのは四年前。初めて自由なお金を手に入れたとき、欲しいものは何でも手に入れた。綺麗な服も、ブランドのバッグも身につけるだけで、みんなの仲間になれた気がした。


でも途中からだんだんと息切れしてきた。みんなと合わせようとすると、どこまでも走っていなくてはいけなかった。


走って。


走って。


遠ざかるみんなの背中に追いつこうと必死に腕を振り、足を回した。

欲しいものを手に入れるためにアルバイトを増やした。友達に自慢できる彼氏を作るために、異性の気を引く方法を学んだ。それが自尊心に触れる行為だとしても、もがかなくてはいけなかった。同時に同性から嫌われない処世術も身につけなくてはいけなかった。


一挙にのしかかった重みは、彼女が長年培ってきた彼女らしさを上から押しつぶしたのである。一度歩みを止めたあとは、もうみんなに追いつける気がしなかった。


徒競走で棄権するような敗北感を味わってから、全ての事情が変わった。あれほど必死に勉強したのに、大学をサボるようになった。


友人たちとは徐々に疎遠になっていき、一ヶ月もすれば彼女を気にかけてくれる人はいなくなった。その頃には彼氏との関係も自然解消した。


憧れたはずの生活が瓦解したあと、彼女は逃げるように実家へと戻った。久しぶりの家族は温かく彼女を迎えてくれたが、妙な優しさが胸を締め付けた。


家を出たときから変わらない自室で、無為な時間を過ごしたのはいうまでもない。だがいつまでもぬるま湯の気分ではいさせてくれなかった。


ちょっとした気持ちのすれ違いが数年ぶりの喧嘩となってしまった。昔の彼女ならばぐっと堪えることができただろうが、母の一言が彼女に取り返しのつかない運命を与えることとなった。


静けさの空、白い雪がちらちらと降り始める。だがまだバスは来ない。

頭や肩にかかる雪を払ったりせず、旅行鞄を抱きしめたまま、点滅する街灯をぼんやりと眺めていた。


遠くで鳴り響くサイレンの音に、ふと体をビクつかせたのも束の間、道路の向こうから走ってくる昔ながらのバスに向かって、彼女は手を振った。























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もう戻れないから 百々面歌留多 @nishituzura

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