第四章 3 完
「千代崎にはそんな過去があったんですね」
あまりにも壮絶すぎた。力を使ったことによって義理の父親を、母親を、姉を。そして祖父母までをも死に追いやってしまったのか。他にも記憶を消されたとはいえ、苦しんだ人たちもたくさんいただろう。これが堕ちてしまった者の辿る道なのか。あの黒い感情が恐ろしい。ぼくも一歩間違えれば、千代崎のように容赦なく人を殺す殺人鬼になってしまうのかもしれない。
「そうだ。姉への欲情と男への憎悪が混ざって、千代崎の心の中に闇の感情が生まれてしまった。君もわかるだろうがあの感情に囚われてしまうと、たとえそれが犯罪行為だったとしてもブレーキをかけることなく実行してしまう。ある意味千代崎も記憶操作という能力の被害者なんだろう。そう考えると、一番可哀想なのは千代崎かもしれないな」
「確かにそうなのかもしれませんね。でも千代崎は自分の記憶を消して、全てなかったことにしてきていた。自分の犯した罪について考えることもせず。それは決して許されることじゃない。今回をきっかけに、ちゃんと向き合ってくれたらと思います」
「今の千代崎ならしっかりと向き合えるだろう。警察署で会ったときは、既に正気に戻っていたからな。ただ、彼が自分の中の闇を抑え込むことは難しいかもしれない」
「なぜですか?」
「彼は闇に染まりすぎた。スイッチが入れば自制する間もなく、闇に支配されてしまうだろう。それほどまでに彼は闇に対して心を許してしまっている」
きっとあの黒い感情に支配されることに慣れてしまうのだろう。感情のままにやりたいことをやる。それはとても心地良いことだ。人の心なんてもろくて崩れやすい。だけど人には意志がある。千代崎に確固たる意志さえあれば、闇の支配から抜け出せるんじゃないだろうか。
「先生が言ってくれたように、ぼくは闇に打ち勝つことができた――あまり実感はないけど。千代崎が打ち勝つ方法は残っていないんですか?」
「君の場合は磯山が傍にいて、君の支えになっていたということが大きいと思うが――ふむ。方法は一つあるかもしれない」
「どんな方法ですか?」
先生はぼくから目をそらすことなく、力強い言葉で言う。
「君が千代崎の支えになるんだ」
ぼくが千代崎の支えに? いやいや、到底考えられない。あいつは遥を苦しめたんだぞ。許せるはずがない。
「そんな……ぼくには、無理です」
「君ならできるさ。千代崎と戦った時、君は殺意に飲み込まれそうになっていた。だが心のどこかで君は、千代崎のことも救いたい、と思っていたんじゃないかな? だから『死ね』という言葉を自制し遮ることができた。もし君に少しでも彼を救いたいという気持ちが残っているのなら、会いに行って少しでも話をしてやれ。それが彼にとって、闇から抜け出す最後の鍵になる、と私は思う」
冷静になって考えてみると、確かにぼくは千代崎に『死ね』と命令することを自制した。でもあの時は遥を助けることでいっぱいだったから、千代崎も助けたいなんて事微塵も思っていなかった。信じられないが、ぼくは無意識のうちに千代崎のことも助けようとしていたんだろうか。もし仮にそうだとしても、少なくとも今のぼくには千代崎を支えようという気持ちにはなれない。
「もし今後ぼくの中で千代崎を許すことができたのなら、考えてみます」
「今はそれでいいさ――千代崎についての話が長くなってしまったが、他には何か質問はあるかな?」
「いえ、ありません。ありがとうございます」
先生の目が一層真剣味を帯びる。
「ではここから本題に入らせてもらおう」
何でも答えると言ったのはこのためだったのか。ぼくは何を要求されるんだろうか。
「本題、ですか」
「我々の任務は異能者が関係していそうな事件の調査とその存在の確認、ということは先ほど伝えたな」
「はい」
「実はもう一つある。本当に能力者がいた場合だ。友好的であれば組織に引き入れ、治安維持のための対異能者対策チームを結成しようとしている」
「…………え?」
ちょっと待て。この話の流れだと、まさか。
「昨今、能力を持つ者がちらほら出現し始めている。それは年々増加化傾向にある。世間一般的にはまだ知られてはいないがな」
「ぼくにそのチームに入れって言うんですか?」
先生は力強く頷いた。やっぱりか。
「そんなの無理ですよ! ぼくの力は単純に人を言葉で縛ることしかできないだけです」
「それがどんなに強力な力なのかは、君も既に分かっているだろう」
わかっている。わかってはいるが。
「でもぼくはまだ子供だし、それに遥から離れるわけにもいかない。あいつ、何かとトラブルに巻き込まれる体質だから」
ふと思い出した。遥が何か不思議なことを言ったとき、それは何かが起こる前兆だということを。千代崎の家から出て帰る時に遥が感じた視線が指し示していた出来事というのは、きっとこの事なのだろう。ぼくの選択によっては、大きなトラブルに発展してくのかもしれない。
「もちろん君が本格的に活動をしてもらうのは大きくなってからになる。それまでの間は能力を磨く技術と戦闘術を学んでもらいたい。それに――」
先生は言うかどうか迷っているようだ。少し黙ってから意を決したように、
「磯山のその体質は私もよく知っている。大変危険なものだ。今後君だけの力では磯山を助けることはできなくなるだろう。今の段階から力をつけておいて損はないと思うぞ」
「大変危険って、先生は遥の何を知って――」
「知っているさ。なぜ磯山の周りでトラブルが頻繁に起きるのか。どうしたらそれを抑制できるのか、とかね。彼女もまた――」
病室の外から声がした。あの声は、遥だろうか。
「時間が来てしまったな。話の続きはまたにしようか」
「あっくん! 無事ー!?」
先生が話を中断した直後、遥が勢いよく病室の扉を開けた。
「ああ、みなさん。ちょうど今しがた彼が目を覚ましたところです」
「ごめんなさい、先生。渋滞にはまってしまって、ここまで来るのに時間がかかってしまいました」
母さんが持ってきた荷物を部屋のテーブルに置いて、中身を取り出していく。
「いえいえ、良いんですよ。さて、無事も確認できたことですし、私はこれで」
先生は近寄ってきて耳元で、
「わかっているかとは思うが、さっきの話はくれぐれも内緒にしておいてくれよ」
とささやいた後、最後にウィンクをして病室から出ていった。
「話は聞いたわ。よく頑張ったわね。でも、こんなに無茶して……あんまり母さんを心配させないでね」
「うん。ごめんよ、母さん」
母さんの後ろに立って、ぼくを泣きそうな表情で見つめていた遥が、我慢の限界だと言わんばかりに突進してきて抱きつかれた。
「あっくん!」
正直滅茶苦茶痛い。痛すぎる。でも我慢。遥はぼくを心配して来てくれたんだ。それを無下にはできな――やっぱ無理。
「痛てて。遥ちょっと離れてくれ」
「あ、ごめん」
遥がしゅんとしてしまった。
「それで、大丈夫なのか? その、ショックを受けてたって先生が」
「最初はどうしても事件のことが頭に浮かんで怖くて身体が震えたけど、今はなんとか落ち着いてるよ。だけど一番怖かったことは今、怖くなくなったよ」
遥の声が徐々に震えて、その瞳から大粒の涙が溢れ出す。
「あっくんが、おじさんに殴られて、血もたくさん出てて。全部が終わって、あっくんが倒れた時、このまま死んじゃうんじゃないかって、思ったの。それが一番、怖かったの」
途切れ途切れに話す遥に、
「ぼくも遥を失うこと、傷つけられることが耐えられなかった。本当に、無事でよかった」
自分の本心を伝えた。遥は少し赤くなって恥ずかしそうで、それを隠すかのように、あっ、と声を上げる。
「そういえば、まだ言ってなかったね」
赤らめた頬を涙で濡らしながら、遥は今まで見せたことのない穏やかな微笑みを見せた。夕日に照らされた遥は、まるで天から降臨した女神と錯覚するほど綺麗だった。
「助けてくれて、ありがとう」
気付けば遥を抱きしめていた。考えるよりも先に行動していた。いつもなら緊張してしまうところだが、今は不思議と穏やかな気持ちだ。今ならきっと、ずっと言えなかったこの気持ちを伝えることができる。
「わわ、ちょ、ちょっと!」
「遥。大好きだよ。これからもずっと君の側で、君を守らせてくれ」
「……うん」
決めた。先生の申し出を受けよう。遥の笑顔を絶やさないために。遥と共にこれからの人生を歩んでいくために。この選択が後々大きなトラブルに繋がっていくかもしれない。構うものか。必ずぼくが守る。もっと力をつけて、とんなトラブルだってはねのけてやるさ。
過去を背負って。ぼくはようやく一歩を踏み出すことができた。
言の葉縛り 紀乃鈴 @Kino0224
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