第14夜 腹八分目

 特に酒飲みじゃなくても、明日死ぬとしたら、なんて馬鹿な話、一度はしたことがあるだろう?

 考えてみた、でもいい。

 好きなものを食べる、好きな音楽を聴く、好きな女を抱く。

 何でもいい。 

 俺が言いたいのは、その先だ。

 もし、明日、死ぬとしたら。

 何かしたとして、そのまま死ねるかい? 

 俺はいつもそう考える。

 そう考えると、だ。

 ついついヤリ過ぎちまう。

 一事が万事、そう。

 街に居た頃は、シケたカフェ&バーでコックもどきをやっていた。

 カフェ&バーなんていうと、聞こえはいいが、その店は単なる何でも屋だった。

 何もかも中途半端。

 だからこそ、俺の出番もあったって訳。

 そこでは死ぬほど働いた。

 朝から晩まで何らかの食材を触ってたね。

 俺の手からは、常に玉ねぎの匂いがしたし、鼻にはジャガイモの茹でた匂い、体は揚げ油の匂いが染みついた、地獄の日々だった。

 まあ、死ぬほど働く訳だから、地獄でもなんでも同じだ。

 それでも、まだ、生きている訳だから、腹は減るというなんとも不思議な話もあって。

 だから、賄を食うんだが、いつも作り過ぎちまう。 

 もう死んでるようなもんだし、こんな日々が永遠に続くなら、明日死んでも変わらない、そう思ってたのに。

 作り過ぎちまうんだ、これが。

 そして、勿体無いから食べちまう。

 食べ過ぎちまう。

 そうして、やっと眠りにつける。

 たまの休み(奇跡とも言える)には、当然女を抱くわけだが、これまたやり過ぎちまう。

 女を選ぶのにも偉い時間がかかる上に、金も物凄く使っちまう。

 そうして。

 やっと眠れるんだ。

 地獄の様な日々で、明日にでも死んでしまいたい。 

 そういう毎日の中では、とにかく満足いくまでその日を過ごす時間が必要なんだと、そうでないと、俺は死ねないと気づいたのは、街を出てからだった。

 ミステルを辞めたのは、別に首になったからじゃない。

 間違っても、店の金に手をつけたとか、オーナーの嫁に手を出した(金貰っても御免だね)からとか、そういう話じゃない。

 俺は、いつも機会を狙ってた。

 ただ、もう、若いころの様に、機会を狙ってウロウロするのは止めたから、ミステルに腰を置いていたにすぎない。

 そして、戦争が起こった。

 戦争が起これば、村が塔に人を置くのは分かっていた。

 村こそ、伝統のある場所だ。 

 村があれば、伝統は生き残り、伝統が死ぬとき、村も死んでいる。

 その日の朝、店の客が読んでる新聞の一面が目に入るのと同時に、俺はキッチンサロン(悪い、ただの白いエプロンだ)をゴミ箱に投げ入れ、チュースとだけ黒板に書いた足で大通りに出た。

 そして、ここに居る。

 ここに居ると、不思議と明日死ぬことについて考えない。

 死ぬのは、明日じゃない。

 だから、毎日心穏やかだ。

 料理も作り過ぎない。

 配達係が口笛吹く程度に、食料の備蓄がある。 

 恋や愛について、つまりは女についても考えない。

 夜は、まっすぐ寝床に着く。

 月明かりも差さない、部屋の隅に作った隠れ家の中に。

 そして、眠りの世界にまっしぐら。

 本当だぜ? 

 死ぬのは、明日じゃない。

 明日を、生きるために、今日眠るのだ。

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