1人の人間を犠牲にしてウイルスを終息させるボタン

未咲しぐれ

第1話  命の天秤

 2020年3月、人類は「コロネ」という名の未知のウイルスによって脅威にさらされていた。政府からは約3週間の外出禁止宣言が出され、世界的に引きこもりを推奨するという珍しい事態に陥っていた。そして僕自身、このウイルスに対してぶつけようのない怒りを覚えていた。このウイルスが原因で友達とは遊べず、また楽しみにしていたイベントは潰れ、さらには2020年の夏に開催される予定のオリンピックすらも怪しいときた。家の中だけで楽しめる娯楽が増えたとはいえ、家だけで楽しむには限界があった。僕が当初予想していたよりも長くそんな状況が続いており、ストレスが溜まっていたことは否定できない。

 そんな時、突然僕のスマホに1つのアンケートのようなものが届いた。


「もし、1人の人間を犠牲にすることで今蔓延しているコロネウイルスを終息させることができるボタンがあるとして、あなたはそのボタンを押しますか?」


 アンケートにはそう書かれていた。“はい”か“いいえ”の2択で答えるシンプルな質問だ。これは誰かの悪戯だろうか? 僕は馬鹿馬鹿しいと思いつつも、自身もアンケートに答えなくては他の人の結果を見ることができないと知り、答えることにした。

 といってもこの質問を見たときから僕の答えは決まっていた。当然“はい”だ。こんなもの、少し考えれば分かる。今なお広がり続けているウイルスの脅威と1人の命を天秤にかければいい。今現在、このウイルスによって苦しめられている人が何人もいて、僕自身も嫌な思いをしてきた。どこかの誰かの命1つでこの騒動が収まるのであれば安いもんだと思う。僕の答えに一切の迷いは無かった。

 アンケートに答えると画面が切り替わった。


「アンケートに御協力いただき、誠にありがとうございます。こちらがアンケート結果になります」


 アンケートにはかなりの人数が投票されていた。答えの割合がグラフで表示されており、見たところ“はい”と答えた人が約6割、“いいえ”と答えた人が約4割という結果だった。


(もっと差がつくと思ってたのに、意外と割れたなあ)


 それが僕が抱いた率直な感想だった。逆になぜこんなに多くの人が“いいえ”に入れたのか知りたかった。

 アンケートを終えて結果も見終わったため画面を閉じようとした僕だったが、なぜだか画面が動かない。すると画面には新たな文字が映し出された。


「ただいま抽選を行っております。しばらくお待ちください」


(……なんだこれは? 抽選? なんの抽選だ?)


 僕は戸惑う。抽選が始まるとは一言も書かれていない。しばらく画面を見つめていると再び画面が切り替わり、新たに文字が映し出された。それを見て僕は酷く青ざめてしまった。


「おめでとうございます、山田拓海やまだたくみ様! 厳正なる抽選の結果、あなたが栄光ある犠牲の1人に選ばれました! 3日以内に執行される予定ですので、残り少ない人生を最後までお楽しみください」


 驚きのあまり体が硬直した。山田拓海とは、僕の本名だ。僕は名前なんて一度も公表していないはずだ。それに、犠牲ってなんだ? さっきのアンケートの話をしてるのか?


(こ、これは誰かの悪戯だ! そうに決まってる!)


 すっかり気が動転してしまった僕は、何か手掛かりはないかとTwitterに検索をかけた。案の定Twitterでも話題になっていた。調べていくと、実際にアンケートに協力したであろう人のツイートも確認できた。


「待って(笑) いきなり抽選が始まったと思ったら外れたんだけどなにこれ?(笑)」


「半分以上の人がボタン押すとかあって怖すぎwwwww」


 みんな他人事のように盛り上がっている。


(違う、そうじゃない! 僕が知りたいのはそんな情報じゃない! 抽選に当たったらどうなるんだ!? 他に誰かいないのか!?」


 僕は血眼になって色んな情報を探ってみたが、どれだけ探しても有益な情報を得ることはできなかった。


 ……これは悪質な悪戯だ。そうに違いない。


 僕は何度も心の中で繰り返した。

 何回も抽選結果の画面を確認した。



 ……でも、もし本当だとしたら……。



 僕は心底怖くなった。安易な気持ちで答えてしまったあの時の自分を思い出しては後悔した。

 いつ殺されるのか、誰に殺されるのか、この恐怖に耐えきれなくなった僕は3日間ずっと布団に身をくるみ、怯えながらにその時を待った。




 結局、僕は3日経っても死にはしなかった。

 すっかり正気を失ってしまった僕はニュースを見て、ウイルスの治療薬が見つかったことで凄まじい勢いで事態が終息へと向かっていることを知った。

 それと同時に、山田拓海という名前の男性が原因不明の不審な死を遂げたというニュースも耳にした。


 僕は震えが止まらなかった。それは自分が死んでしまうかもしれなかったからではない。の他人が理不尽に死ぬことへの耐性を、僕を含めた過半数が持っていなかったことに恐怖を覚えたためだ。




 2020年の夏が来た。人類は未知のウイルスに対して奇跡的な抵抗を見せ、無事オリンピックを開催することに成功した。

 その奇跡に人々は大いに熱狂した。いつぞやのアンケートのことなんてみんなもうすっかり忘れてしまっただろう……。


 僕はその人々の熱狂の輪から外れ、2020年の夏を楽しむことができなかった。

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1人の人間を犠牲にしてウイルスを終息させるボタン 未咲しぐれ @AoiRaiti

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