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〈10週間前〉
私はロンドン市内の安いホテルに宿泊した。島村が作成したマニュアルに従い、語学学校に通いながら授業、食堂、求人掲示板の前をうろついて何らかの痕跡を残していった。
10日後、私はマドリードにいた。オスタル・ドゥルティに小林英市名義のパスポートで投宿した時には過去数か月間、ロンドンの国際英語学院の周辺でさ迷っていた日本人という偽装身分を何とか身にまとっていた。
学校と銀行以外には足を向けず、まれに外出したとしても市内の日本食堂か中華料理屋だった。ある日、夕食から帰るとホテルの入口で街娼につかまり、暗がりに引きずりこまれそうになった。その時、片言の日本語を話すアジア系の絵描きに助けられた。お礼に私は絵描きをホテルのバーに誘い、酒を奢った。
絵描きはチャンと名乗った。華僑系のマレーシア人。チャンが持っていた名刺には『クアラルンプール・ナショナル・アート・ギャラリィ館員』と書かれていた。
チャンは官立のギャラリィの運営費を捻出するため、マレー半島の珍しい蝶の標本の通信販売を始めたところだという。欧州の金持ちのコレクターのリストを作成する仕事があるんだが、手伝ってくれないかと私を誘った。
こうした勧誘が《北》の諜報機関の偽装の一つであることは、島村から事前にレクチャーを受けていた。報酬が高額な上にビジネスで欧州各地を回るという。夢のような申し出だったが、私は臆病さを丸出しにし、あいまいな返事をくり返して最後まで心を開かなかった。
私は手応えを感じてマドリードを発った。スペインから地中海を遊覧した後、シチリア島からイタリアに渡り、ベネチアから鉄道を使ってオーストリアに入った。
寒い日だった。ウィーン南駅に降り立った私はカバンからパスポートと国際学生証を盗まれていることに気づいた。盗まれたのは、小林英市名義のパスポートだった。駅のベンチに腰かけてしばらく考え込んだ後、日本大使館に盗難届けを出すことに決めた。
「再発行には3週間かかる。渡航証明を発行するから即刻帰国せよ」
ヘースガッセの日本大使館で知らない顔の三等書記官から罵倒された。
その罵倒に耐えて部屋を出ると、別室につながるドアから手を振る者がいた。岸部だった。別室に招き入れられる。部屋には島村もいた。私は2人に事情を話した。
「パスポート専門の国際的な窃盗団がいるんだ」岸部が言った。「中欧や東欧における顧客の最大手は《北》だ。奴らは数日中に闇市場でお前のパスポートを手に入れるはずだ」
「そんなことだろうと、思った」
「ホテルにチェックインした途端、お前は《北》の監視下に入る」島村が言った。「向こうは必ず接触してくる。それを待て」
島村はさらに若干の説明を加えて、打合せが終わると裏口から去った。
大使館で仮の身分証明書を作ってもらった。数時間前に私を罵倒した三等書記官は神妙な顔つきで、ホテルまで一緒に来て支配人に事情を説明してくれた。事情も大して知らされぬまま、岸部か島村にこっぴどくどやされたに違いなかった。
事態は島村の言葉通りに進展した。
ウィーンに着いて2日目の夜、ホテルの私の部屋に電話が入った。低めの女声。相手はコウと名乗った。コウはくせのない流暢な日本語をしゃべった。
「マドリードのチャンがあなたを推薦してきました。あなたはとても幸運です。すぐ仕事にかかれますか?」
なんだかダイレクトメールみたいな言い方だった。
私は指示された通り、優柔不断に受け答えした。島村から「できるだけ長く話せ」と言われていた。私はウソの身の上話をぐずぐずと語った。コウはやたら相槌を打ち、結論は急がないと言った。コウは「滅多にないチャンスですから」と事務所の電話番号を告げた。その晩、ホテルのバーで私は独りで祝杯を挙げた。
翌日、私は市庁舎前広場で島村と会った。
「コウの次の接触、あるいはこちらから連絡するまで待て。それまでは敵の監視に身をさらせ。そして、耐えろ」
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