第331話 いま、旅立ちの時


 昇降口ではサクラが皆と同じく血の気の引いた顔で、篠宮の背中を見つめていた。


「篠宮、行くな」


 絞り出すようなサクラの呼びかけに、背を向けたまま篠宮の足がピタリと止まった。


「まだ、お前と話したい事がある。ほら、一花いちか達の誕生日プレゼントを考えようと言っていたではないか? それに商店街のコロッケの味を再現すると約束しただろう?」


 ——いや、それよりももっと大事な、お前への気持ちを何一つ。


 伝えていなかった。




「サクラさん」


 ようやく振り返った篠宮はいつものへらっとした笑顔で宣言した。


「俺はこれでも一応みんなの先生だからさ。生徒をまもんなきゃならないよね」


 ——俺が残る事で、追われる憂いが無くなるなら。


「心配しないでください。絶対、この場所をまもり続けます。絶対、絶対、誰も追わないよう、俺がここの門番になるから」


「篠宮……」


「サクラさんが『行くな』って言ってくれたから、俺は心置き無く残れるんですよ。俺は——」


 篠宮は、笑った。


「サクラさんをまもるんだ」


「篠宮!」


『校舎』の振動が大きくなり、『ヴィリ』が収縮し始めた。霧の覆われている校舎の端の方から、急激にどこかへ引っ張られていくように消えて行く。


 篠宮はふと顔を上げて驚いた。


 二階の窓から、皆が身を乗り出して口々に叫んでいる。


「先生——!」

「篠宮!」

「篠宮先生——……」


「鬼丸君! レディさん! ウォルフ! リリちゃん! シュトルム君! エメロードちゃん! ユニ君! 六花ちゃん! カグラ! カナエちゃん! 二花ちゃん! 三花ちゃん! 四花ちゃん! 五花ちゃん! ……一花ちゃん!」


「先生、来ないの?」


「ごめん! みんなとは一緒に行けない! けど……心はいつも一緒だよ!」


 篠宮が共に来ないことを知った一花の瞳から大きな涙がぽろぽろと零れ落ちた。


 ——先生、先生!


 必死で手を振る。


 せめて私たちの姿をその目に焼き付けて。




 二階の窓が消え、目の前には昇降口に佇むサクラだけとなる。


「サクラさん、元気で」


 篠宮の言葉に、サクラは胸が詰まる。


 なぜ、お前は笑えるのだ。


「篠宮、お前に言わねばならないことが——」




「会長、ここまで転移が進んでいるのです。攻撃命令を取り消して下さい」


 鴫原校長にそう言われて、総一郎は携帯端末スマートフォンを口元に寄せた。すぐそこに爆音が轟き始めている。


「ギリギリでしたね」


 鴫原校長がほっとため息をつく。


 耳をつんざく轟音をたてながら、三機のファントムが上空を通り過ぎて行った。





「篠宮! 私はお前の——」


 サクラは声の限り叫ぶ。


 永遠の別れの前に、伝えたい。


 それなのに、戦闘機の爆音がそれを掻き消した。


 篠宮の目には、今にも泣きそうなサクラの顔——。


 初めて会った時から、美しいとずっと思ってた大事な女性ひと


 泣き顔なんて、やだな。


「笑って! サクラさん!」


 その声が届いたのか、口の動きを見たのか、サクラは微笑んだ。


 そして——。




 校舎もろとも消えた。





 つづく

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