歓迎会
「では、奥野山村の希望の星、古家耕太君と在原さくら君を歓迎して、乾杯――」
「「乾杯」」
入社から二日後の金曜日、夜。
またまた村役場と農協の合同で、歓迎会が催された。参加人数が三十数名と多いのは、三年ぶりに新人を迎えたゆえだろう。この三年の間、農協では契約社員さんを採用しているが、想像していたよりも仕事がキツいと言って一、二年で辞めてしまうのだという。その点、僕は子供の頃から見知った顔でもあるから、安心感があると面接の時にいわれた。
この居酒屋――『奥のやま』は、農協と包括的な仕入れ契約を結んでいる。ご主人は東京赤坂の料亭で修行を積んだ人であったが、奥野山村の素材に惚れこみ、とうとう家族揃ってIターン移住までした。役場は補助金と土地を提供し、農協が足りない分を融資したので、いつだったか新しい村おこしの試みとしてテレビで紹介されたこともある。
一昨年にミシュランの一つ星を獲得して以来、関東はもちろんのこと、海外からの旅行者がたびたび訪れるようになった。今や村役場職員たちの英会話訓練は、必修となっている。当然、さくらもやることになるのだろう。
縦長のロの字形に配置されたテーブルの上には、趣向をこらした春の路地野菜、畜産品、山菜がところせましと並ぶ。僕たちはビール瓶を手に持ち、一時間近くかけてテーブルを挨拶してまわった。自分たちの席へ戻ると、さくらはピーチジュースを飲み干して静かに息をつく。
「――ふう、疲れるね」
「うん。過疎の村だと思っていたけど、こうして見ると、まだまだ知らない人も多い。やっぱり社会人として過ごすとなれば、見慣れた場所もまた違う世界に変わるというか」
「そう、同じことを思った。半分以上が奥野山高校の先輩だったのは、せめてもの救いだったよ」
「そうだね」
席をめぐっているうち、気付いたことがある。
男の人達の視線が、僕よりもさくらに注がれている比率が高かったのだ。八対二ぐらいの割合だったかも知れないが、その気持ちはよくわかる。やはり男とは、そうしたものなのだろう。
酔いがまわってエンジンがかかりだしたのか、場がだいぶ賑やかになってきた。
すると、観光課の村井課長がさくらの隣にやってきた。顔は耳まで真っ赤。細い銀ぶちの眼鏡がズレ下がっている。トロンと目がたれ下がり、昼間の無口でお堅いイメージとはずいぶん違っていた。
早くも出来上がっている様子でいて、覚束ない足取りでのしかかるように、さくらの肩へ手を回す。高校入学以来、僕も触れたことがなかったさくらの華奢な肩に。
「おッ……」
僕は思わず声がでたが、当のさくらは落ち着いたもので、ニコリと可愛らしく笑う。
近くにいる観光課の男性先輩が呆れてたしなめた。
「村井課長、またもう出来上がったんですか。この間、田んぼにひっくり返ったときに、しばらく酒を控えるって言ってたじゃないですか」
「な、何をぉ。まだまだこれからだぞ。なァ、在原君。俺は期待の新人を預けてもらえて、本ッ当に嬉しいんだ。これからは、在原君を
「はい、どうぞよろしくお願いします」
村井課長はますます肩を抱き寄せ、頬ずりせんばかりの勢いだった。
ところがさくらは嫌な顔ひとつも見せず、「日本酒ですね。はい、どうぞ」と酌をしてやっている。いやはや、どう見ても、スナックで若い女の子に絡むオッサンの画だ。
僕の心のなかで何かが、ざわざわと蠢く。
村井課長が徳利の首を差し出した。
「在原君、君も飲みなさい」
「えッ……ボクは未成年ですが」
「いいから、これは契りの盃だ」
契りという言葉が耳にひっかかり、僕はジュースを噴き出す。その肩に乗っている手を払って「やめろ」と怒鳴りつけてやりたかったが、さすがにそれも出来ない。さくらの職場が気まずくなると困る。
「――で、では。一杯だけ頂きます」
「そうだよ、そうこなくっちゃ、ガハハハッ」
さくらはお猪口に注がれた酒を、目を閉じてクイッと一気に煽ったので、僕は再び「あッ……」と声を漏らす。明日は休み。帰りは僕の軽トラに乗って行くだけだから問題はないのだけれど。
結局その後、さらに二杯も飲まされが、村井課長は他の席から呼ばれてフラフラと去っていった。
「大丈夫、さくら」
「うん、でも初めて飲んだよ」
心なしか頬が桜色になっている。薄く塗られたファンデーションの下からほんのりと浮き上がり、妙に色っぽかったので、僕は思わず目を逸らす。これまで制服姿で過ごしたさくらに対し、色気を感じたことはなかったので、少しだけ鼓動が早くなっていた。
さらに二時間が経ち、宴もたけなわとなったところで、最後は村長が激励の言葉を述べて散会となった。村井課長はすっかりへべれけとなり、代行運転の助手席に押し込まれて帰ってゆく。
「ハハ、なんかさ、社会人って凄いね」
「うん、びっくりしたよ――」
突として、ふわりと、甘い髪の匂いが僕の鼻をくすぐった。
さくらが僕の胸によりかかってきたのだ。
「おい、大丈夫かよ」
「ううん、ちょっと酔っ払ったみたい。ウチはあまり酒が強くない家系なんだよね。ゴメン、家まで送ってくれるかな。少し気持ち悪い」
「それはもちろん、最初からそのつもりだけど」
それから軽トラに乗り、さくらの家を目指す。
夜道を運転したことはこれまでもあったけど、なぜか今夜は、はじめて出会う空気のなかを走っているような気がした。ヘッドライトに照らされ、限られた視界のなかに浮かぶ夜桜の並木道は、少しだけ靄がかかって薄紫色。
こわいぐらいに幻想的だった。
道路にちょっとした段差があり、いきなり下からドンと突き上げ、軽トラの軽いボディがふわっと跳ね上がる。
「ああ、ごめん、さく――」
平気そうな顔をしていたけれど、やはり気疲れをしていたのだろう。緊張から開放されて安堵したのか、いつの間にかさくらはスヤスヤと眠りに落ちていて、僕の肩に寄りかかってきた。
僕はアクセルを緩める。ギアを三速に入れ、起さないようゆっくりと走った。
軽トラの狭い空間の中には、さくらの甘い香りに混じり、いつになくしなやかな身から発せられる上品な地酒の匂いがたちこめている。わざとエアコンを止めてみた。
薄暗い車内のなか、リップを塗った薄い唇が瑞々しく浮かびあがり、夜露を乗せた花びらのように小さく揺れて見える。
聞こえるのは、尻下から伝わる頼りないエンジン音。
あたりは真っ暗。
誰も見ていない。
このまま車を停め、眠っているあいだにキッスすればいい――という悪魔的な衝動が、どこからともなく胸を貫いた。
けれど、さすがにそれは駄目だ。犯罪になる。さくらの信頼を裏切ってはいけないと自分に言い聞かせ、あとは左側に寄りかかっている、やわらかな重みに酔いながら、さくらの家へ続く夜桜の道を走り抜けた。
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