文通

文月瑞姫

手紙

 彼に会おうと思ったのは、偶然と必然の中間のような気まぐれだった。大学で地方に出た際、意図せずして彼の隣県に居ることに気づいたのだ。一人暮らしの難を和らげようとするのは誰しも同じだと思うが、恐らく、私にとってのそれが、彼と会うことだったのだ。

 彼とは三年の付き合いだが、一度も会ったことはない。と言うと奇異な目で見られるものだが、文通でやり取りをしてきたのだと言えば、ある程度は納得される。情報化に抗うように、小さな流行が見られるからだ。やはり物が手元に残ることが大切なのだ。今になっても紙の本を集める人間のようなものだろう。


 会いに行くと言い出したのは二ヶ月前だが、彼の返事はあろうことか実家に送られてしまっていた。引っ越したのだと明言しなかった私も、送り主の住所を確認しなかった彼も、手紙が届いていると連絡してくれなかった両親も、全員の不手際によって一ヶ月を浪費してしまった。

 こうなると初期にあったはずの熱も失われ、改めて会う計画を立てている際も、本当に会うのかと自問自答を繰り返すほど、躊躇している私がいた。それでも話が進んだのは、言い出した私の責任感が働いたからだろう。


 隣県とはいえ県境を跨いでいるだけで、彼の家は存外近かった。私鉄を30分も乗れば最寄りに着く。ここからは、彼の家を目指した。

 待ち合わせを家にしたのは、彼の案によるもの。全ての連絡を文通のみに頼っていた私たちは、待ち合わせという行為に小さくない懸念を抱いていた。彼の駅には確かに目印となる噴水、喫茶店、交番がある。しかし、私たちはお互いの顔を知らない。当日の服装なども確定はしない。身長や体格などは固有のものではないし、そもそも遅刻の連絡などができないのだ。文明の利器に頼らないならば、知性以外に武器はない。

 彼の説明を読んで分かったのは、家というのが便利だということだ。その場を動かず、しかも個人の目印として最大のものだから。これを使わない手はなかったのだ。


 彼の家まではしばらく舗装の行き届いた道だった。自治会管理の花壇には雑草もなく、アネモネの花が風を受ける。都市に近いだけあって治安が良いのだろうとは思ったが、道行く人間が挨拶を交わさないことだけが寂しかった。

 くすんだ色のアパートが見えた。隣が赤い屋根ということも間違いない。彼の部屋は鉄骨の階段を上った先の、左から二番目。

 インターホンを鳴らすまで彼はドアを開けなかった。遅刻はしていないし、ヒールであの階段を鳴らせば私が来たであろうことは分かっただろうに、用心深いものだ。あるいは私との約束が今日だと覚えていない可能性もあったが(これが家を待ち合わせにした最大の理由でもあった)、居室に用意された菓子や飲み物、二人分のグラスを見るにそれはない。


 彼は随分と痩せこけた体躯をしていた。ゴミの類いが見当たらないため、彼の食生活が正常に営まれているかは分からない。逆に肥えているならば、何を食べているのかなどと聞くことも容易いが、食べていない可能性を考慮すると、金の事情がちらつく。それを仮にも初対面の身で聞くのは忍ばれた。私は彼に従うまま、無地のクッションに腰掛けた。


「どうして文通を?」


 最初に聞いたのはそれだった。今でこそ流行の先端だが、三年も戻れば文通など珍妙そのもの。

 別に、と言い置いてから、彼は語った。


「大したことじゃない。少なくとも、僕にとってはね。昔、ネットで交際していた恋人がいたんだ。ネット恋愛って知ってるだろう? 今では何も珍しくないけどね、当時にしてみれば異常者、周りからは酷い言われ方をしたものだよ。勿論、彼女の方もね。その結果なのかはしらないが、恐らくそうなんだ。彼女は日に日に心労を募らせて、僕の支えなんか無力で、そのままネットから消えてしまった。会う約束は叶わず、別れを言うこともできず、終に僕は彼女の名前も知らない。死んだんじゃないかとも思うけどね、僕はその真偽さえ確かめることができない。それは単に、僕と彼女が"赤の他人"だったということだ。恋人だったはずが、おかしなものだ。ああ、そう。なぜ文通なのか、だったね。ちょっと待ってくれるかい。そう、これだよ。君とのやり取りは三年と二ヶ月、計152通の全てが残っている。だが、彼女とのチャットはどこにも残っていない。彼女が生きていた証がどこにもないんだ。僕はそれが悔しくて、何か形あるものを探していた。それだけさ。本当に、大したことじゃないんだ」


 彼とはその後、幾らかの話をした。手土産の菓子を広げてから、また話をして解散した。何をしに会いに行ったのかも、彼が何を思って私と会ったのかも、分からないまま。


 それ以来、彼からの手紙はなかった。不安を隠すように送り続けた手紙は、途中から宛先不明で返送されるようになった。

 私もまた、彼とは赤の他人なのだろうか。全ての手紙を読み直してから、声を上げて泣いた。

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文通 文月瑞姫 @HumidukiMiduki

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