地底

ロバート品川

 暗い空間にステップの音が響く。その振動に体が揺れるたびに心を震わせていた。息を潜めるも、体中を走る振動に途方も無い快感を感じ、口からは自然と吐息が漏れていた。


「久しぶり!」

「いつもありがとう!」

「はじめましてかな?」


 あちこちからアイドルたちとファンとの会話が聞こえてくる。今日は劇場のロビーで握手会が行われていた。わりあい盛況で、どのメンバーの待機列にも多くの人が並んでいる。よくイベントに参加する人たちだろうか。何人かで集まって待機列に並ぶ人たちもいた。

「そういえば最近松尾見なくない?」

「確かに!前は一人で周回当たり前だったよね?」

「TOの座もついに明け渡すのか…」

「デコヤさん!松尾と仲良かったよな?」

近くにいた全体的に大きめな男が呼びかけに反応した。

「新しい仕事が忙しいって。来てないけどプレゼントとかは預かってるよ」

デコヤの話を聞いて集まっていた人たちは納得したのか、話は別の話題に移っていった。


 握手会も終わり、控え室でアイドルが帰り支度をしている。淡々と支度を進める者。喋っているせいかいつまでも衣装のままの者。思い思いに仕事終わりの時間を過ごしていた。

「奈々瀬、お疲れ~!帰りにご飯食べてかない?」

「お疲れ、凛。良いよ。その前に一旦事務所に寄っても良い?手紙とか受け取りたくて」

「おーけーよ。私もついでに貰っとこ~」

「今日の分はさすがにまだ受け取れないよね…?」

「中身の確認があるからまだ無理なんじゃないかな?」

「そうだよね…」

答える奈々瀬の顔が少し暗くなる。

「どうしたの?なんかあった?」

「うん…ちょっとね…見てもらった方が早いと思うから事務所に着いたら話すね」

真剣に答える表情を見て、それ以上の追求はしなかった。

 某駅近くの雑居ビルの2、3階に事務所がある。規模はそこまで大きくなく、所属するタレントや歌手の人数も多くはない。マネージャーは複数人掛け持ちで、人気のある人を担当しているかどうかで忙しいかどうかは変わる。奈々瀬と凛を担当するマネージャーの朱美は、適度に休日があるくらいの忙しさだった。

「お疲れ様です。朱美さん。プレゼントとかを受け取りに来ました。」

「お疲れ様です!私の分もお願いします!」

「お疲れ様。ちょうど仕事がひと段落したところで良かった。確認が済んだの持ってくるわ。」

プレゼントを取りに行く朱美の後ろ姿を見る奈々瀬の表情はどこか緊張した様子だった。

「大丈夫?」

「うん…」

表情は硬いままそれ以上は何も言わない。無言の時間が流れる中、しばらくすると小さめのダンボールを二つ、抱えた朱美が戻ってきた。

「こっちが奈々瀬のでこっちが凛のね」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます!」

確認のために共有スペースに二人は移動する。奈々瀬の手元には数通の手紙とぬいぐるみ。凛は何故か電化製品を抱えていた。

「それ、この前のラジオで欲しいって言ってたの?」

「そうだよ!送ってくれる人がいるなんてね。それよりさっきの話のことなんだけど…」

「ちょっと待ってね」

そう言うと奈々瀬はカバンから5通の手紙を取り出し、凛に渡した。

「まず、これを読んでみて。今受け取った分は私がまず確認するから…」

「…了解」

手紙に目を通す。そこにはライブの感想や、応援の言葉が書かれているだけだった。不思議に思い、何度も読み返すが不審な所は目につかない。奈々瀬の方に目を向けると、真っ青な顔をしている。

「どうしたの!?そっちに何か書いてあった!?」

返事は無く、震えている。奈々瀬の手から手紙を取り中身を確認する。先に受け取っていた手紙と特に違いは無い。

「ねえ…どうしたの…?特に変なこと書いてないよ…?大丈夫?」

奈々瀬は俯いたまま何も言わなかった。


 「はい、これ」凛は奈々瀬にホットココアが入ったカップを手渡した。

「ごめんね、顔色悪いのに急かすようなことしちゃって。ここにいるから、話すのは落ち着いたらで良いよ。今日無理そうだったらメールでも電話でも。今度でも良いし」

凛の話を聞いた奈々瀬が意を決したようで、ポツリポツリと話し始めた。

「こっちこそごめんね…私から話すって言ったのに…これ見てくれないかな…」

6通の手紙を広げる。

「さっきも思ったんだけどこれ、特に変な所無かったよね…?」

「これ…全部松尾さんからなの…」

言葉の意図を読み取れない。

「どういうこと?そんなに変なことなの?」

奈々瀬自身もどう説明したら良いか迷っている様子だった。理解するために質問を続ける。

「松尾さんってデビューしたての時から応援してくれてる人だよね。手紙、時々前もくれたよね?」

「手紙はそう…だけど最近ライブに来てないのに、感想、細かい所まで書いてある…」

話が進むにつれて、謎は増えるばかり。ハテナに溢れていく。

「気付かなかっただけで来てたんじゃないの?暗くて顔良く見えなかったりするし…」

「私も最初はそう思ったよ…けど、この前の握手会の時にデコヤさんに聞いてみたんだ。松尾さんのこと。そしたら…」

「そしたら?」

「ここ2、3ヶ月来てないって」

言葉の意味が初めは理解できなかった。わかるにつれて気持ち悪さが心に広がっていく。引っかかる違和感がそのまま口から出ていた。

「この手紙…もしかして来なくなってから届いた?」

奈々瀬は無言で頷く。適当な理由を見つけようと様々な考えが頭に浮かぶ。

「ほんとは来てるんじゃない?こっそり来て誰とも会わずに帰ってるとか…後は適当に手紙書いてるとか」

「一番気になったのはね、手紙の内容なんだ…書いてあること、全然デタラメなんかじゃ無くて。むしろ前より細かくなってるし、ステージにいるんじゃないかってくらい正確」

もう一度注意深く手紙を読む。歌やダンスの感想が多い。特にダンス。ステップの話が細かく書かれている。最前近くでもここまで細かくみるのは難しいだろう。

「前はね、こんなに細かいこと書いてなくて。衣装とか、今日も可愛かったとか。歌とかダンスのことも書いてくれてたけどこんな感じじゃなかった。手紙の内容が変わったかな、って思い始めたのがちょうど松尾さんが来なくなった辺りからで、色々考えているうちに怖くなってきて…」

ここまで聞いて、凛にも恐怖心が芽生えていた。同時に恐怖心を打ち消すために、納得いく理由を考えようとしている自分もいた。

「わかんないけど、もしかしたらちゃんとした理由があるかもしれないよ!あんまり考え過ぎるとどんどん悪い方向に考えちゃうし!」

この言葉は自身に言い聞かせるているように見えた。

「とりあえずさ、朱美さんに相談しない?実際奈々瀬困ってるわけだし」

再び二人は朱美の下に向かった。

 朱美は帰り支度をしているところだった。思ったよりも長く話していたらしい。

「どうしたの二人とも?プレゼント受け取って帰ったんじゃないの?」

手紙の話をし、どうにかできないか訊いた。初めは懐疑的だった朱美も二人の真剣な表情を見て、考えが変わったようだった。

「松尾さんってあの背が高くて細めの人よね?顔はわかるから、暫く私がもぎりの所にいて来てないか確認してみる。スタッフにも顔がわかる人いないかも訊いてみるわ。いたらその人にも会場内で気にするようにお願いしておきます。」

朱美の対応に安堵する二人。解決した訳ではないが、協力してくれる人が増えたことで心が少し和らいだ。

「1ヶ月くらいは大きな会場で公演も無いからなんとかなるとは思うけど…絶対に大丈夫とは言い切れないから二人とも、気になることがあったら何でも言ってちょうだい」

具体的な行動が決まったことで安心し、この日は二人で寮まで帰っていった。


 それから何公演か経るも、次の手紙は届かなかった。朱美によると、松尾の姿も見当たらなかったみたいだ。松尾のことが頭の片隅に追いやられた頃、奈々瀬と凛に呼び出しの連絡が入った。

「今日は休みなのに来てくれてありがとう。予想はついたと思うけど、先週手紙がまた届いたの。」

奈々瀬の表情が険しくなる。

「二人に話すのが遅くなって黙っててごめんなさい。色々調べてて…」

「いえ…謝ることないです…私のために動いてくださったわけですから…」

沈黙が流れる中、凛が切りだした。

「それで、何かわかったんですか?」

「ごめんなさい…率直に言うと何も…この前話してくれた後の公演では一度も松尾さんの姿は確認できなかったの。松尾さんのこと知ってるスタッフも何人かいたけど誰も見かけなかったって。」

「それじゃあどうして…?」

「私も気になってね。デコヤさん、わかるでしょ?松尾さんとよく一緒にいた。2週間前の公演で見かけたから何か知らないか訊いたの。そしたら彼も暫く会ってないって。『2、3ヶ月前から仕事が忙しくなって、それから公演には来てないはずだ。プレゼントとかも家のポストに入ってて、メールで渡すよう頼まれるだけだ。』そう言ってたわ。」

ますます険しい表情をする奈々瀬の手を凛は握った。

「デコヤさんがメールで松尾さんに訊いてくれたみたいで、これが松尾さんからの返信…」

スマートフォンの画面には転送されたメールが表示されていた。そこには「足音に惹かれた」とだけ書かれていた。

「どういうこと…?」

「わからない…この手紙と何か関係あるのかと思って読んだけど、私には内容、さっぱり理解できなかった。ただ気味が悪いだけだったわ」

「読んでも良いですか…?」

おずおずと手を伸ばし、手紙を取る。

「もしかしたら、奈々瀬からするとショックなことが書いてあるかも知れない…辛くなったらすぐに読むのをやめてね」

目を通すと、他の手紙と変わらず、その手紙は「奈々瀬様」という言葉で始まっていた。


奈々瀬様、


拝啓


 この度は、このような形で全てを告白することをお許しください。

 私はあなたがデビューしたての時からあなたを応援しておりました。初めてあなたを見たのはもう2年程前でしょうか。デビュー企画として、他のメンバーと駅前で自らチラシを配っていたあなた。受け取ってくれない人が大半ながらも、諦めることなくひたむきにチラシ配りを続けるあなたの姿を見て、感銘を受けたことは今でも容易に思い出せます。チラシを受け取ると、とても嬉しそうに笑顔を向けてくれました。その時から私の心は、あなたを応援し続ける、ただ一つそれだけを硬く誓いました。

 初めての握手会の時、私のことを覚えていてくれましたね。チラシを受け取っただけなのに、「本当に来てくれたんですね」と笑顔を向けてくれました。その後も応援を続け、あなたと触れ合うたびに、私の心は満たされていきました。

 しかし、活動を続け、人気が出るにつれて、私の心にはある一つの感情が芽生えていることに気付きました。あなたにもっと近づきたい、と。人気が出て、他の人と楽しそうにしているあなたを見ると、心の中に黒く、モヤモヤとした感情があることに気付きました。嫉妬です。私にもこんな文学的な感情があるのかと初めはただ驚くばかりでした。

 もちろんあなたと私はファンとアイドルという関係です。それを壊すことは許されないし、何より私はアイドルとして成功するあなたの姿が見たかった。しかし、そう考える頭とは裏腹に、嫉妬心は日ごとに大きくなり、抑えようとすればするほど反発するようにより速く心を蝕んでいきました。

 このままでは良くないと思いました。しかし、私にはあなたのファンをやめるという選択肢は無かったのです。これには何か疚しい考えがあったわけではないです。それだけは信じてもらいたい。

 悶々としたまま考え続けたある日、私は思い付いてしまったのです。あなたを応援しながら近づく方法を。今となってはわかるのです、この思い付きが良くなかったと。しかし、その時の私はこの方法しかないと思い込んでいました。何よりも、日増しに心を蝕んでいく嫉妬心から解放されたかった。これは言い訳のように聞こえるかも知れませんが、そうではないのです。それほどまでにこの時の私は追い詰められていました。

 私が思い付いた方法は単純です。あなたに関わる仕事に就けば良い、ただそれだけです。実際に私は機材搬入や会場セッティングの仕事に就きました。担当するのはあなたが所属するアイドルの公演だけではありませんでしたが、なるべく関われるよう上司に言い続けました。その甲斐あってか、あなたの所属するアイドルグループを担当することが割合多かったように感じます。

 一度も会うことが無かったことを不思議に思うかも知れません。しかし、それは私があえてあなたを避けることで、接触しないよう心掛けていたからです。いくら仕事であなたとの距離が近くなったとはいえ、あくまでファンとアイドル。その一線を越えることを良しとしなかったのです。

 今まで下から眺めていたあなたの姿を、ステージ側からみることができる。今まで以上に、仕事という形で物理的にあなたを応援することができる。そのことが何より嬉しかった。この充足感は何ものにも代え難く、いつまでも浸っていたいものでした。

 実際、何事も無ければ私は今も仕事を続けながらあなたを応援し、充足感の中にいたと思います。しかし、私はもう一つ過ちを犯しました。それは過ちと言うよりはむしろ、度し難い偶然と言った方が正しいのかも知れません。

 私が偶然見つけたのはある空間でした。そこはどこよりもあなたに近く、あなたを感じられる場所です。とてつもない幸せに溢れ、その甘美な味わいたるや、天の国をも越えることでしょう。もし、神に咎められたとしても、私は泣いて許しを請うでしょう、ここにいさせてくれと。

 その空間にはあなたの歌声、喋り声、足音、全てが響きわたるだけでなく、空間共々、私自身もその響きに震えるのです。そう、心が震えるだけでなく、体も震えるのです。なんと素晴らしいことでしょうか。文字通り全身が震える時、私は思うのです、あなたと一つになれたと。

 長々と書き続けましたが、これがことの全てです。他の人はわかりませんが、奈々瀬、あなたなら全て理解してくれたことと思います。この手紙によって私は追われることになると思います。しかし、私は逃げることはしません。何故ならこの場所が、私を救ったあなたに最も近い場所だからです。


                                  敬具

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