第25話 愛名の部屋にて

 放課後。シュウは愛名に待ち合わせ場所として指定された、庭園のベンチで横になっていた。

 彼女は今日もモデルの仕事で外出しているのに、シュウと下校したいがためか寮へ直帰せず、わざわざここへくるらしい。

「お疲れさま、シュウくん」

 愛名の声に、シュウは素早く上半身を起こした。生まれた時代が戦乱の世ならば、彼女は戦士を鼓舞する女神だったに違いない。

「おかえり」

「もう起きちゃうの? 膝枕してあげたかったのに」

「……いいから帰ろう」

 照れていることを悟られないようにベンチから立ち上がり、さっさと歩きだす。

「シュウくん」

「ん?」

「……夜、私の部屋に遊びに来ない?」

 いつもは目を合わせて話す愛名も、さすがに恥ずかしいのか伏し目がちで、長い睫毛が美しい琥珀色の瞳を覆って、いっそう魅惑的だ。

「まだ当分忙しいんだろ? 休んでおいたほうがいいんじゃないのか……?」

 しかし持ち前の鈍感力でスルーするシュウ。

「私はシュウくんと一緒にいたいの」

「う……」

 今度はしっかりと大きな瞳に捉えられてしまい、心臓が馬鹿になったようにドキドキうるさい。

「あ……ほかの子との予定が入っていたりするのならいいのよ」

 許嫁同士の仲がいい――というのは本当らしく、愛名の表情にヤキモチといった感情は少しも見えなかった。

「別に入ってない……けど……」

「なら、待っていてもいい?」

「……ん」

「嬉しい♡」

 ぎゅうっ♡

 シュウの首に両腕を回して抱きつく愛名から、花のような香りが漂ってくるし、大きくて柔らかくて温かいおっぱいは、二人の間で押し潰されてとても窮屈そうだ。

 これだけウハウハな状況に、シュウの心臓はぶっ壊れる勢いで拍動していたが、素直に喜ぶことはできなかった。

 というのも彼女の過剰なスキンシップに、背徳感やら罪悪感を覚えるようになってしまっていたからだ。

「愛名……俺ら許嫁だけど、無理にスキンシップする必要はないって前にも言っただろ……」

 ほとほと困り果てた表情で訴える。

「だから今日、どうしてもシュウくんに来てほしかったの」 

「……?」

「とりあえず帰りましょう。私、シュウくんと話したいことがたくさんあるのよ」

「へぇ……何?」

「ふふっ、そうね……演劇祭でのキスのこととかかしら」

「……それ、俺はあんまり話したくない……」

 二人は遅い歩みで寮までの道を歩き、短い下校時間を最大限満喫した。


 それから二時間後。早めの夕食と入浴を済ませ、愛名の部屋へと向かう。

 転校からそろそろ四週間になるが、彼女と”宗四郎”として会うのは初日以来二度目だ。

 那奈の”忙しい許嫁たちには、学園外で会う時間はない”という言葉にも、今なら納得がいく。

(――って、ホントに行っていいのか……?)

 足を止め、遅い時間に愛名の部屋で、長時間二人きりになることの良し悪しを考えるも、萌とは夕食時にいつも二人きりだったことを思い出し、免罪符を得た気持ちになれた。

 萌を自宅マンションに泊めることにしたとき、シュウにはわずかの逡巡さえなかった。

 それは幼なじみを異性として見ていないことの証で、もしその原因が家族のように過ごした時間にあるとしたら、萌は宗四郎との日々を後悔するのだろうか。


 愛名の部屋は、彼女と同じ、甘いながらもすっきりとした花の香りで満たされていた。

 清潔感のある白を基調としたシャビーシックインテリアで、テーブルクロスやベッドカバーなどのリネン類はホワイトコットンレースで統一。リネングレーのカーテンは、天井間近に取り付けられたアイアンレールから、床ぎりぎりまで垂れ下がっている。

 愛名いわく、シュウのように備え付けの家具を使用している生徒はあまりおらず、家具もセットで入学する生徒が大半だそうだ。

「……イメージ通りの部屋だ」

「ここでは入学前に壁紙と床材も選べるのよ」

 そう言いながら愛名は、カーテンと同じ、リネングレー色のチェスターフィールドソファーに腰かけるシュウに、ホットティーを手渡した。

「私はホームシックにならないように、イギリスでの自室とほとんど同じにしてもらったの」

(俺の許嫁になるためだけに、わざわざイギリスから来てくれたんだよな……)

「なんか、ごめ――……」

 ふと目に入った、スツールに置かれた馬のぬいぐるみに、シュウが既視感を覚える。

「……シュウくん?」

「あのぬいぐるみって……」

「おじいさまから、三歳のバースデイにもらったプレゼントなの」

「あぁ、長いヒゲの……」

 次々と蘇ってくる記憶の糸。すると一人掛けソファーに座っていた愛名が立ち上がった。まるでシュウの糸を断ち切るかのように。

「隣に座ってもいいかしら?」

「……どうぞ」

「ありがとう」

 愛名はタータンチェック柄のワンピースのスカートを整えてから、シュウの隣に腰かけた。

「ふふ。まだ”シュウくん”のままでいる?」

 緊張のせいか、すっかり失念してしまっていた眼鏡を外すと、初めて会ったときと同じく、愛名がその大きな瞳に焼き付けるかのように、じっと見つめてくる。

 そんな二人を、ぼんやりと明るいアイアンシャンデリアの明かりが、守るように照らしていた。

「今私が目を閉じたら、どうする?」

 天使のようなかわいらしさの小悪魔的な笑みに、心臓が跳ねる。

「……どうもしねぇよ。そんな権利俺には……」

「宗くんは私の許嫁なのに」

「そうだけど……許嫁は一人じゃねぇし」

「私にとっては宗くんだけだわ」

「まぁ……それが普通だよな……って、何言わせたいんだよ」

 愛名の思わせぶりな態度と言葉――そして表情に追いつめられ、いっそ勘違いしてしまいたくなる。

「ごめんなさい。……もっと簡単に言葉にできるって思っていたのに、やっぱり緊張しちゃう」

 目を伏せた愛名の、ただでさえメガトン級の魅力は、部屋が薄暗いせいか、それとも頬が紅潮しているせいか、何倍にも膨れ上がった。


「……宗くんが大好きよ」


「――……」

 突然の告白にフリーズしそうになりつつも、

「お、俺……お前と会って……まだ――」

 なんとか言葉を紡ぐ。

「一カ月もたっていないから、私の言葉は信じられない……?」

「それも……あるけど……」

「……そうね。宗くんにとっては、短い時間だわ」

 愛名の声は随分と寂しげな色で、鈍感な宗四郎にはその理由もわからないし、予想もつかない。……ただ、”宗くん”――という呼び名が、妙に懐かしくて……。

「I’m in love with you……」

 愛の告白とともに宗四郎の腕に頭を預けた愛名。彼女のショコラブラウンの柔らかいロングヘアが腕をくすぐる。

(あぁ……そっか。ことあるごとに俺に触れてきてたのって……)

 宗四郎は愛名とのスキンシップのたびに覚えた罪悪感が、意味のないものだったと理解した。

「まだ返事はできねぇけど……その、ありがとう……」

 世界的に有名な沙針愛名からの告白は信じ難いが、あんな表情でここまではっきり言われては、さすがに認めるしかない。

「ふふ、よかった。宗くんが信じてくれて」

 愛名がテーブル上のリモコンを操作すると、部屋の明かりが一段と暗くなり、随分ムーディな雰囲気になる。

「な……何してんの……?」

「宗くんは……私が許嫁であることを教えられていなかったのよね」

 魅力やフェロモンといった求心力の塊が迫る。

「ちょ――」

「だから、許嫁にはどんな接触・・・・・も許されていることは知らないでしょう……?」

 宗四郎だけに伏せられていた事実が、また最悪のタイミングで明らかになる。

 セックスが自由にできる許嫁が五人もいることは、下半身のだらしない男にとっては天国だろうが、責任感が強いほうの宗四郎にとっては、悩みの種にしかならない。

 事実、宗四郎はすでにソファーの端に追いやられ、肉体的にも精神的にも追いつめられていた。

「そ、そういうことは、ちゃんと結婚してから――」

「それだと手遅れなの」

 優秀な子孫を残すことが重要な使命のひとつである宗四郎の許嫁候補は、当然入念なブライダルチェックを受けている。そして子をす能力と同等に大事なことは……。

身体の相性・・・・・は、結婚前に確かめておかなければならないことなのよ」

「――…………いや、無理だって!」

「処女のまま卒業することは、私たちにとってとても不名誉なことだと言っても?」 

 愛名が宗四郎の左手を、自分の胸に押し付けた。

 むにゅん♡

「ななな何してんだよ……!!」

「私たちと深い関係になることに、罪悪感をもたないでほしいの。宗くんに処女を捧げることは、私以外の四人も、きっと望んでいることだと思うわ」

「――と……とりあえず……来月まで考えさせてほしい……」

「……うん」

 答えを先送りにした許嫁を責めることなく、愛名はほほ笑んだ。

「その……手……」

「ふふ、ごめんなさい」

 胸に当てられていた手が、やっと開放される。

(……すげーデカかった……)

 手に残るおっぱいの感触に、つい意識を集中させてしまう。

「宗くん、少しだけ演劇祭の練習をしてもらってもいい?」

「練習って、まだ台本ないけど」

「してほしいのはキスの練習なの」

 その表情と仕草が、胸を触らせたときよりもずっと恥ずかしそうなのはなぜだろう。

(初めてのキスが舞台上なのは嫌だから、今しておきたいってこと……なのかな……)

「宗くん……」

 大きな瞳を瞼の奥に隠してキスを待つ愛名に、宗四郎の逡巡が吹っ飛ぶ。

 本当に……これほどまでの美少女が、自分を好きになった理由がてんでわからない。

 愛名の細い腰に腕を回して抱き寄せると、腰をかがめて、血色のいい彼女の唇に恐る恐る自分の唇を重ねた。

「ん……♡」

 ぺろ……♡

 愛名の熱をもった舌が、宗四郎の唇に触れる。

「――っ! ストップ!!」 

 華奢な両肩を掴んで愛名を引き離したが、あまりの離れ難さにベリベリと音が鳴るようだった。

「今日はもう帰るよ……」

 これ以上彼女の部屋にいるのは危険だ。

 しかしドアに向かおうとしたとき、今度は背中におっぱいの感触が……。

 理性を無視して揉んでしまっても、責めるのは自分の内なる声だけだろうに、宗四郎は耐えた。

「おやすみなさい宗くん」

「お、おやすみっ」

 愛名が離れた瞬間、シュウに姿を変えて逃げるように部屋を出る。

 七月まであと数日。それまでに答えを出さなければならないプレッシャーが重い。


 ――宗くんに処女を捧げることは、私以外の四人も、きっと望んでいることだと思うわ――


 愛名の言い分の前では、シュウの許嫁に対する誠実さなど、ただのエゴでしかなくなる。

 一瞬学園から逃亡する考えがよぎるほど、シュウには今の状況が八方塞がりに思えた。

 そして部屋に戻ってからも、宗四郎はゲームをするでもなく、ただひたすら、他人からすれば贅沢な悩みについて考え続けたのだった。

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