第2話 二人の姉
宗四郎がロードバイクのナイトランから自宅マンションに戻ると、玄関に見慣れない靴が二足あり、その一足はローファーで、もう一足はハイヒールであった。
特に驚きもせずリビングダイニングへ通じるドアを開けると、久しく見ていなかった二人の姉に出迎えられる。
「長年の習慣が抜けないのはわかるが、運動はほどほどにしておけ」
そう無表情で言うのは、長女の
細身の身体に、女性にしては高い身長。少し青白い端正な顔立ちに化粧っ気はなく、艶のあるロングストレートの黒髪を一本に束ねている。
ともすれば彼女は美青年のようであり、華奢な眼鏡の奥にある瞳が特によく宗四郎に似ていた。
「サッカーより膝に負担かからねぇし、平気だよ」
姉に答えつつ冷蔵庫に向かい、ミネラルウォーターを取り出す。
「でも夜に乗るなんて危ないじゃない」
もう一人の姉、次女の
丸みのある額に弓状の眉。長い睫毛の下にあるグレーの瞳は春同様美しく、厚めの唇を彩る赤いルージュは彼女の雰囲気にとてもよく似合っていて、派手な色であるはずなのに違和感はない。
全身からあふれる色気をまとう那奈は春とはまったく雰囲気が違うため、二人が双子だと気がつかない者も多かった。
「ちゃんと専用道路走ってるって」
「自分がどれだけ重要な存在なのか、もう少し自覚してっていつも言ってるでしょう」
まるで母親のような優しい物言い。だが素直に聞く気にならないのには理由がある。
若い時分から海外を拠点に活動している研究者の父は、日本へ帰ることは滅多になく、母も宗四郎が11歳のときに他界している。
こんな身の上では七歳も年の離れた二人の姉に懐いてもよさそうだが、宗四郎は姉らがいてくれてよかったと実感したことは、記憶している限り一度もない。
父親と同じく優れた研究開発者である春と、人心掌握術・マネジメントといったビジネスリーダーとしての能力に長け、投資家としてもすでに一流の那奈は、飛び級で入学した米国の一流大学在学中、代々続く高遠研究所を受け継いでおり、そのときすでに海外など数カ所に住宅をもっていたため、姉弟は二・三年しか一緒に暮らしたことがないのだ。
以前、『寂しくない?』と萌に問われたことがある。
数カ月前まではサッカーに心血を注ぎ、帰宅部となった現在は、勉強の合間にゲームやロードバイク、フットサルなど、寂しく思うどころか充実した時間を過ごせている。
もっとも煩わしい掃除と洗濯は、週に四日来てくれている伯母、
「二人揃って何しに来たんだよ」
「色々落ち着いたようだし、許嫁に会いに行ってもらおうと思って」
言いつつ那奈がアタッシュケースから、大事そうに黒縁の眼鏡を取り出す。
一見普通に見えるこの眼鏡には、高遠研究所がもう随分前に完成させていた、
すかさず那奈に、「高遠家長男としての責任を負うって約束したわよね」とクギを刺されてしまう。
「許嫁のために女子高に転校とか、無茶苦茶すぎるだろ」
高遠家は代々有能な研究者を多数輩出している、その世界では有名な家柄だ。
一族のなかでも”歴代最高の頭脳”と称される
「厳しい外出制限と、敷地内に男性が足を踏み入れることを極限まで禁じていることから付いた、百合園学園の別名は”箱入り学園”。父兄ですら学園への立入りを許されるのは、毎年夏休みに開催される演劇祭だけ」
那奈の言葉に誇張はない。
家柄に加え容姿選別もあると噂が立つほど美少女揃いで有名な学園。その表向きの設立目的は、”才能ある淑女の育成”。だが実際は高遠家の血筋をより高めるために選抜した、優秀で美しい花嫁候補への教育と、彼女らの”処女性を守る檻”として設立された。
その昔は高遠家の男子たちが秘密裏に学園を訪れ花嫁を選んでいたが、時代とともにお見合いや許嫁といった制度が廃れ、女性の人権が向上した現在花嫁候補は絞られ、近年は”宗”の名を継ぐ者だけの特権となっている。……にもかかわらず分家に嫁ぐ学園出身者はいまだ数多い。
それは高遠一族の血筋が、末端に至るまで精良であり続けている証拠であった。
「そんな学園に男を入学させるなんて初めての試みだけど、理事長もその他の役職もほぼ分家の人間だし、事情を知ってるサポート役もすでに何人か出向させてるんだから平気よ」
「そこまでしなくても週末とか夏休みに学園の外で会うことにすればいいだろ」
「彼女たちは忙しいのよ。大体鈍感を極めたあんたが、数回会った程度で許嫁を選べるとは到底思えないし」
「だったら卒業してから――」
「”本家長男は19歳までに妻を娶る”。……小さいころから分家に言われ続けてきたことでしょう」
「……」
ことごとく那奈に論破されるが、納得できるかどうかは別問題だ。
「かわいい娘に少しでも早く頑丈なレールを敷いておきたいと願う、許嫁ご家族の意向を汲んでできた慣わしだけど、まだ子供のいない私にもその気持ちはよく理解できるわ」
(……お前らも俺の前にレールを敷いておきたいってことか)
そう理解してしまうと言い争いも虚しい。
何より高遠家のためならば弟を女子高に送り込む姉など、正論や常識を武器にしたところで説得できはしないだろう。
「もう面倒だからお望み通り行ってやるよ」
宗四郎は観念して承諾した。
「美少女に囲まれた生活ができるんだからもっと嬉しそうな顔をしたら?」
那奈がわずかに首を横に倒すと、緩いウェーブのかかった彼女の黒髪が豊満な胸を隠すように流れ落ちる。
「……」
宗四郎が想像できるのは、学園に潜り込んだ変態男を取り囲み蔑んだ目で見る少女たちで、それは那奈の言うハーレム的状況より、ずっと現実になる可能性が高いだろう。
「ならプログラムを試してみたら少しは不安も消えるんじゃない?」
そんな宗四郎に対して那奈はため息まじりに提案した。
那奈に眼鏡を手渡され、宗四郎は開発者の春にちらりと視線を送った。しかし春は無言で頷くだけで、仕方なく募る不安や疑問を払い眼鏡を装着する。
スッ――
目の前に表示された”起動”の文字は、ホログラムのように空中に浮かんでおり、視線を動かすとそれに合わせて文字も動く。
常に視界の真ん中にくるようプログラムされているようだが、文字は半透明の青色のため、視界を遮ることはない。
「フレーム右脇のボタンを押すとプログラムが起動する。姿を戻したいときは、もう一度ボタンを押すか、眼鏡を外すといい」
春の言う通りにし恐る恐る大きな鏡に目をやると、身体と顔がすっかり女に変わっており、服のサイズも身体に合った大きさになっていた。
「嘘だろ――」
宗四郎の表情が再度驚きに満ちた理由は、ハスキーではあるが声さえも女のものだったからだ。
慌てて少しふっくらしている胸に手を当ててみるも、そこに予想していた感触は得られず、ほっとしたような不安なような複雑な気分に陥る。
「そのプログラムは自分自身を含め、お前を見る者の視覚と聴覚を変えるが、触覚までは変化させることができないから、せいぜい触られないようにするんだな」
宗四郎が鏡に写る自分ではない姿をまじまじと観察していると、春からありがたい補足説明をもらう。
「見た目も声もお前らとか……悪夢だな」
今の姿は少女時代の姉たちそのもので、似ていない部分といえばバストとヒップの大きさぐらいだ。
いかにも深窓の令嬢が好みそうな、寡黙そうで中性的な美しい顔立ちに、すらりと伸びた手足。相当数の異性と同性をも虜にしてきた姉たちと同じ姿になろうとは、誰が予想できただろう。
「眼鏡は実際に身に着けている服装を映し出す仕様だから、学園の制服はスラックスのものを作らせた」
「それ聞いて安心したよ……」
ハリボテ姿で送る学園での生活。想像しただけで頭痛が起きる環境に身を置くことになるのだから、まだ始まっていないのに逃げ出したくなる。
「それはそうと」
テンションが下がる一方の宗四郎に対して、那奈の声は残酷なほど通常通りだ。
「転校してからも、なるべく萌ちゃんに顔見せてあげなさいね」
「……? あぁ」
弟の返事に、那奈がにっこりとほほ笑み返す。
(……何企んでるんだかな)
那奈の言うこと、やることにはすべて意味がある。頭にくるのは姉がその意味を説明する親切心をもち合わせていないことだ。
高校入学の少し前、『萌ちゃんに、あんたの食事の世話を頼んでおいたわ』と言われたとき、理由を尋ねてみても、返ってきた答えは――『幼なじみなんだから』だけ。
(まぁ……萌は心配性で優しいから、ちゃんと安心させといてやれってことか)
母親が亡くなったときもサッカーを諦めてからも、萌の優しさと笑顔はいつも変わらず自分のそばにあった。
那奈に言われずとも彼女に余計な心配はかけたくない。
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