第156話 ガチ修行の兎。
「ノンちゃん、あれ教えて欲しい」
「……あれ、とは?」
私は『ノノン・ビーストバッグの決戦用新装備』の制作を粗方終えて、さらに黒猫流の開発も一段落…………、終わっては無いけどキリのいい所までは開発出来たので、民宿の女将としての仕事に精を出し始めた今日この頃。
「あれ、スキル無しの縮地」
「あぁ、縮地か。…………え、マジで言ってる? ルルちゃん、地獄見るよ?」
食堂のテーブルを拭き拭きしてた私は、ルルちゃんに縮地を教えて欲しいと言われた。ぶっちゃけ乗り気しない。
いや、教えるのは構わないし、ルルちゃんの為なら私の技術は全て隠さずに伝授するのに躊躇いは無い。
けど、技術を教える心構えと、技術を教える過程で地獄を見せる心構えは違うと思うのだ。
「えと、私じゃなくて師匠に習わない? 結果一緒だし」
「ムグリさん、忙しそうだから」
ルルちゃんを苦しめる役目とか嫌なので、師匠にぶん投げようと思ったらダメだった。
確かに、最近の師匠達はなにやら忙しそうなのだ。
トラベルポイントとマップの更新。旅先で聖堂を見付けたら一回ここに帰って来るけど、トラベルポイントが見付からない場合は二、三日留守にしたりもする。
なんでそんな事をしてるのか、聞いても教えてくれない。サプライズを楽しみにしてろって、ぺぺちゃんがニシシッて笑いながら言ってた。
「むぅ、師匠に教われないなら、確かに私しか居ないね」
「ノンちゃん、だめ? あたし、頑張るから……」
「いや、うん。ルルちゃんが修行に手を抜かないのは分かるよ。でも、単純に修行の内容が……」
「これでもあたし、モンスターに千切られたりとかしてるし、大変な修行にも耐えられると思うけど……」
公式メモリークリスタルは私も見たから、ルルちゃんがダンジョン事変でどれだけ頑張ってたかは、私も分かる。
分かるんだけど、リアルスキルの修行はあの程度じゃ済まないから、流石に躊躇ってしまう。
「んー、ルルちゃんがモンスターに千切られる程度の苦しみを想定してるなら、止めた方が良いかも…………」
「…………えっ、生きたまま千切られるよりも、辛い修行なの?」
逆に考えてみて欲しい。
ジワルド、リワルドの武術スキルは、武器や体に魔力を巡らせて気を通し、正式な手順を踏めば結果が返って来るように出来てる訳で。
技の練度云々は置いといて、正式な手順を代償に支払って『結果を買う』システムなのだ。世界がそういう風に出来てるから。
だけど、リアルスキルって、世界に『そうあるべき』と定められた技じゃない。完全に物理法則に則って魔法地味た事を成立させなきゃならない。
そんな修行が、マトモだとでも?
縮地だけじゃ無い。武術系の達人に習ったリアル系の武技は、だいたい地獄を見るのと引き換えに手に入れた技なのだ。
例え苦しみや痛みが無い修行だとしても、出来ない事を出来るまでやるのは普通に辛い。それが、『無理』であればある程。
「えっと、縮地の修行は段階を踏むんだけど、参考までにその内の一つを教えてあげるね?」
これで思い留まってくれないかなって願いながら、縮地習得の為に行った修行のうち、中盤くらいに師匠からやらされた内容を教える。
修行の名前は『火渡り』で、修行の内容は文字通りに火を渡るのだ。
具体的に言うと、まず地面に炭を撒く。出来るだけギッチリたっぷり。そして全体に火を付けて、地面に敷いた炭を全部熾火にする。
そうしたら、後はその炭の上を火傷しないように走る。走る距離は修行が進むに連れて伸びて行く。これが火渡りの初歩。
修行が進み、火渡りが上手く出来るようになって来ると、次は地面に敷くのが熾火の炭じゃなくて、燃え盛る薪に変わる。そしてその上を走る時には、全身に油をぶっかけるのだ。
当然、失敗すると火達磨だ。と言うか下手すると成功しても火達磨で、取り敢えず問答無用に火達磨になる。生きたまま全身燃えるって、ただ死ぬより何倍も苦しいし痛い。
「全身が焼けて痛いし、爛れたり引き攣ったりするし、火達磨だから呼吸する度に中まで焼けるし、本気で地獄だよ。なにより、失敗する度に何回でもその地獄を見る訳だから…………」
そう、なにより辛いのは、成功しないと地獄が終わらない事だ。
例え生きたまま千切られるよりも軽い地獄だったしても、それが修行を修めるまで何十回も、何百回も、何千回も続くのだ。
「…………の、ノンちゃんは、そんな修行を、したの?」
「うん。した」
「……ムグリさんって、実はノンちゃんのこと嫌いなの?」
「いや、そんな事は無いと思うけど……」
ただ、師匠も私も、技術に妥協したくなかっただけなのだ。
「ちなみに、『火渡り』はあくまで『縮地の修行の一部』なだけで、他にも色々と有るからね」
火渡りの次には
水渡りの内容としては、最初は地面の上に敷いた濡らした和紙の上を走り抜けて、和紙を破かなければ成功って感じの『紙渡り』って修行がある。
綺麗なフォームで、地面に無駄な力を流さずに走る修行だ。そうすれば濡れた和紙の上を走っても、和紙は破けない。
紙渡りが終わったら、次は『
当たり前だけど、人は水の上を走れない。けど、ゴザとか布とか、何かを一枚挟むと少しだけ走れる様になる。基本無理なのは変わらないんだけど、何も無いよりは可能性が出て来るのだ。試しにやって見ると『一歩は行けた!』って人も居たり居なかったり。
「まぁとにかく、『歩く』とか『走る』を極める修行が沢山あるんだよ。水渡りも最終的には普通に水の上走らされるし、師匠式だとプールの中には肉食の魚がウヨウヨ泳がされてたから、落ちる度に全身食われて死んでた」
「……ひぇっ」
当然ながら、痛覚設定は減衰ゼロだ。感覚が鈍ったら修行どころじゃないからね。そんな状況で全身をピラニアっぽい魚とかカンディルっぽい魚に食われるのだ。発狂出来る痛さだよ。
しかもカンディルってあれ、尿素とかに反応して穴という穴を食い破りに来るから、下手すると私の
「ルルちゃんが修行したいって言うなら、修行するって言うなら、修行を始めちゃうなら、私は妥協出来なくなる。一度始めたら容赦出来ない。…………だから、私が躊躇う気持ちも分かるでしょ?」
始めたなら、最後まで徹底的に。徹頭徹尾、ルルちゃんにリアル縮地を体得させる。その為ならばルルちゃんの身も心も擦り潰す。
少なくとも私はそうやって強くなって来たし、他の方法なんて知らない。
「…………ぅゆ、でも、あたし、つよくなりたい」
「そっか」
「嫌なことさせて、ごめんね……?」
それは、構わない。
ルルちゃんが本当に必要だと思うのなら、私は全力で助ける所存だ。
「……なら、どうせなら思いっきり修行する?」
「うゆ?」
「ルルちゃんのステータスって、成長値もオールラウンダーな感じで色々と中途半端じゃない? だから、その辺のリビルドも含めて、徹底的にビルドアップしてみる?」
成長値は、カンストした後でも変動可能だ。
やはりレベルアップの時が一番融通が効くので、その補正が無いから大変な思いはするのだけど。でも、やろうと思えばいくらでもビルドは変更可能だ。
「縮地の修行は聞いての通り、想像を絶する苦行だしさ? だから、カンスト後にリビルドするには丁度いい修行でもあるんだよ。ルルちゃんはAGI特化だけど、他のステータスって評価ランクが【A】前後でしょ? もっとしっかりVITを伸ばすのか、いっそソコ削ってINT伸ばすのか、色々と考えて見よっか? 勿論、今のオールラウンダーが良いって言うなら、オールラウンダー具合を微調整する方向で考えるよ」
私の場合は、とても頼りになる強過ぎ召喚獣が居るから、足りないところは補って貰える。
だけど、ルルちゃんはまだ竜の卵を孵して従魔を迎える準備も出来てないし、己の幅か、能力の嵩を広げるしかない。
ジワルドではプレイヤーのステータスが成長値限界【SSS◆】の千百で止まる。成長値カンストの合計値が五千五百なので、要するに完全な特化ビルドって言うのは無理なのだ。
ぺぺちゃんのステータスを見ると分かりやすい。
・【+ステータス】
・
・
・栄冠【到達者】
・種族【イクシードフェアリー】【性別・女】
・Lv.1,400◆
・HP.280,000【F-】
・MP.1,540,000【SSS◆】
・STR.140,000【G-】
・INT.1,540,000【SSS◆】
・AGI.1,120,000【S】
・VIT.196,000【G】
・MIN.1,526,000【SSS+】
・DEX.1,358,000【SS+】
この通り、まずMPとINTがカンストしてて、その後にMIN、DEX、AGIって順に、純魔に必要なステータスを順に伸ばされた事が伺えるステータスになってる。
ちなみに、今更だけど【◆】のマークはカンストを表してる。だけど、明確な呼称は決まって無い。プレイヤーは【
そしてそれ以外のステータスは殆ど手付かずと言うか、完全に捨ててある。とても潔良いビルドだ。
評価【G】ってほぼ最低ランクだからね。HP【F-】でVIT【G】って紙の中の紙だからね。ここまで耐久投げ捨てたビルドも珍しいよ。
そんなぺぺちゃんに比べると、些か中途半端な私のステータスをドン。
・【+ステータス】
・
・
・
・栄冠【到達者】【超越者】【開拓者】【黒猫流開祖】
・種族【プライマルキャット】【性別・女】
・Lv.1,400◆
・HP.476,000【E】
・MP.1,106,000【A+】
・STR.1,498,000【SSS+】
・INT.1,512,000【SSS+】
・AGI.1,036,000【A】
・VIT.336,000【F】
・MIN.225,000【F-】
・DEX.1,456,000【SSS】
こんな感じで、STRとINTに傾倒しつつDEXも確保して、MPとAGIも大切にしてる。だけどVITとMINはどちらも控えめにして、防御は捨ててる。HPもそう。攻撃に傾倒して防御は知らんってビルドだけど、ぺぺちゃんに比べるとちょっと中途半端だ。防御ステータスが【G】じゃなくて【F】だし、HPも【E】だし、カンストステータスが一つも無いし。
極端だけど少しだけ保険が入ってる的な感じかな。
そして、最後にルルちゃんのステータスをドーン。
・【+ステータス】
・
・
・
・栄冠【超越者】【到達者】
・種族【プライマルラビット】【性別・女】
・Lv.1,400◆
・HP.994,000【A-】
・MP.798,000【C+】
・STR.1,036,000【A】
・INT.700,000【C-】
・AGI.1,540,000【SSS◆】
・VIT.1,050,000【A】
・MIN.602,000【D-】
・DEX.980,000【A-】
うん。オールラウンダーだよね。評価ランクが最低で【D-】だ。
AGIだけカンストしてて、他は【A】から【C】くらいで纏まってる。非常にオールマイティなステータスだ。
若干物理寄りだけど、魔法もまぁまぁイけるって言う、悪く言うと中途半端な仕上がりだ。
「どんな感じに仕上げる?」
「…………んー。どうしよっかな。ノンちゃん、オススメとかある?」
「ルルちゃんのステータスなんだから、オススメで決めるのはどうかと思うけど……、まぁ参考までに、INTとMPを削る感じで物理に振り切っちゃうパターンと、防御ステータスを削って攻撃を上げるパターンがあるかな? 物理寄りに振り切ると師匠っぽいステータスに、INT含めて攻撃に伸ばすと私っぽいステータスになるよ」
魔法を捨てて物理に振り切れば、そこそこ有る魔法ステータスを振り分けられるから、物理がかなり伸ばせる。一刀斎である師匠に似たビルドになるけど、ルルちゃんの場合はそこに物理防御も加わる感じかな。
そして防御を捨てたビルドにするなら、VITが【A】もあるので、やっぱりその分他に回せるので結構伸びる。
私的には、単純にINTとVITを入れ替える感じのリビルドだけで、かなり良い感じに纏まると思うのだ。
そして、そこそこ確保されてる防御ステータスも、今後ルルちゃんが攻撃を喰らわずに戦えるようになったら、勝手に成長値から防御ステータスが剥がれて攻撃に回されて行く筈なので、取り敢えずはそれだけで良いかなって思う。
「……なるほど」
「そうなると、修行に一手間加える必要があるんだけどね」
「えと、どうするの?」
「修行で肉体にダメージ受けすぎると、VITが逆に伸びちゃうから、修行で受けるダメージを魔法で中和し続ける修行も同時にやれば、INTとVITが入れ替わって行くはず」
評価ランク【C-】と【A】を入れ替えるって、生半可な修行じゃないけどね。
幸い、既に合計数値的に確保されてる成長値なら、リビルドも多少は楽なのだ。成長値をカンストさせるのが年単位の時間が必要なだけで、一度伸ばした物なら多少の融通は効く。
けど、だからこそ逆に、伸ばしきったステータスがコロコロ変わると迷惑なのも事実だから、簡単な修行で数値が動いたりはしないのだ。ちょっとした戦闘の度にステータスが変動してたら、戦ってられないから。
なので、到達者がリビルドする場合は、かなり重い修行をしてステータスにかかってる鍵を開ける必要がある。
「まぁ実際にステータスがロックされてる訳じゃないんだけどね? 成長値が変動する際の運動量に下限があるって言うか……」
ともかく、そんな訳なのだ。
「んー、どうしよう。魔法もちゃんと使ってみたいし、でもAGIを活かすなら物理の方が…………」
「まぁ、そうだね。AGIを活かしやすいのは物理だね。逃げながらの移動砲台も出来ない訳じゃないけど、ショトカを最大限に使えば逃げ足遅くても何とかなるし」
「だよね。……あぁ、近距離に絞った魔法とかなら、AGIも活かせるのかな?」
「それはそう。ミハくんみたいに武術スキルじゃなくて魔法を主体に近接戦闘をする人も居るからね。その場合は、ぺぺちゃんとかミハくんの戦い方は参考になるよ」
そんなこんな、修行である。
その一、
その二、
その三、
その四、
その一、
その二、
その三、
その四、
その一、
その二、
その三、
その四、
ルルちゃんは次の日から、黒猫亭の裏庭で修行を始めた。取り敢えず縮地修行の初歩だ。同時に魔法の発動の維持も行って、ステータスのリビルドもやる。
縮地の初歩として、裸足で地面に立ってつま先の動きだけで前進する修行から始まる。要は足の指の動きだけで進むのだ。
この足指だけで前進する動きも、立派な縮地の一つである。これは本来なら袴の下で、相手に気取られないように間合いを詰める小手先の技なのだけど、一切体を揺らさずに進めるようになると、結構利便性がある。
縮地と呼ばれる技術にはいくつか種類があって、つま先移動もその一つなのだ。習得しようとしてる縮地はまた別の物になるんだけど。
「ルルちゃん、その移動方法で十メートル、頭に水入りバケツを乗せたままクリア出来たら次に入るからね」
「…………ぅい。これ、最初から予想以上に辛いんだけど」
「縮地の極意の一つだからね。痛くなくても難易度はお察しだよ」
私もお手本を見せてあげると、ルルちゃんは遠い目をしながら素直になった。
この足指縮地を修めると、地面の上で一切動かずに、身動ぎすらせずに氷の上を滑る様に動ける。
これを修める事で、足にかかる体重の分散具合に、重心移動の効率、体幹の維持、そして足指の筋肉が鍛えられる。これが出来て初歩の初歩の初歩なのだ。
この修行は『地渡り』の内の『止渡り』と言う。授業の初歩の初歩の初歩。
この地渡り修行が四段を超えると、次に火渡りが始まる。火渡りが終わると
まぁ水渡りの中盤の蓙渡りまで出来てれば、そこそこの練度の縮地が出来るんだけどね。
「水渡りまで、頑張ってね」
当たり前なのだけど、『右足が沈む前に左足を、そして左足が沈む前にまた右足を出せば、水の上を走れる』理論は、間違いである。
様々な物語で良く『理論は合ってる』とか言われるけど、残念ながら理論から完全に間違っている。
「この
地上に生きる者として、当然に重力の影響を受けて生活してる。水の上を走る時も、軸足が右だろうと左だろうと、重力の影響下に居るなら諸共沈むに決まってる。足が沈む前に次の足を踏み出す事に意味など無い。右も左も関係無く、体が丸ごと全部いっぺんに沈んでるんだから。
「じゃぁ何故、蓙渡りで水の上にゴザを敷くと多少マシになるのかと言えば、答えは『摩擦が生める』から」
水の上を走る理論において重要なのは、如何に水から摩擦を得るか。これに尽きるのだ。
素早く足を運んでも体ごと沈むけど、前進する速度がある程度得られるならば、投げた林檎が遠くに落ちるように、少しの間は重力の影響を振り切れる。つまり、水の上で加速出来れば沈まないで済む。沈まなければ再加速出来る。そのループによって水の上を走れる。
そうする為には、水をしっかりと踏んで、推進力を得る必要がある。その為には摩擦が必要で、そして、水と足の間にゴザがあれば、その取っ掛りにはなるのだ。
「当然だけど、ゴザを水に浮かべたって、乗れば沈む。けどね、水を足で掻いても滑るだけだけど、水の上のゴザを足で踏めば摩擦がある」
つまり、加速出来る。理論上は。
「その摩擦に全てを乗せて加速出来るようになれば、水の上でも沈まないように走れるの」
イメージとしては、木の上で枝から枝に飛び移る様な気持ちだろうか。
ゴザ無しで水上を走るのは、極細の木の枝を踏む感じなのだ。跳ぼうとすると枝が折れる。そして落ちる。つまり沈む。
だけど、ゴザを水の上に敷けば、極細の枝がギリギリ人を乗せられない程度に太くなる。その乗せられない枝を折らない様に次の枝に飛べるだけの繊細な体重移動と体幹操作、体捌き、その他諸々が仕上がれば、理論上は水上走行が可能なのだ。
地渡り、火渡り、水渡りの修行は、その繊細かつ完璧な体重移動や体幹その他諸々を身に付ける為の修行であり、それらが身に付けば、踏み込みのエネルギーを最大効率で推進力に変えることが叶う。
「最終的に、滑って割れて摩擦も何も無い水の上を、確かに踏んで推進力に変えられる完璧な体重移動が手に入れば、一メートル前後しかない一歩を、数メートルから数十メートルに肥大させる絶技が身に付く」
理論だけで言うと、壁走に近いものがある。
あれは重力に引かれる前に、壁を蹴って推進力を得て、壁を走り続ける技能だ。これに関しては別に本物の達人じゃなくても、ちょっと身体能力に優れた天才程度で再現可能な技だ。何せ、壁は摩擦が有るからね。地面と垂直だろうとオーバーハングだろうと、しっかり踏んで摩擦を得られるから、難易度が低い。
完璧な素人でも、少し練習すれば二、三歩は壁を走れたりする物だ。ヤンチャな男の子ならチャレンジしてみた経験も有るだろうし、そして二歩か三歩は確かに壁を走れた経験もある筈だ。
要はこの壁走を、壁じゃなくて水でも出来れば、縮地の術理に昇華できる。
「あ、ルルちゃんは今のステータスだとAGIゴリ押しで再現出来ちゃうかも知れないから、それはダメね? ちゃんと術理が身に付かないと意味が無いから」
「…………ぅゆ」
重力と推進力が喧嘩した場合、大いに重力が勝ってしまう『水上』って環境下で、重力に負けて沈む前に水を踏んで推進力を得られる程の、完璧な体重移動と体幹操作、つまり物理エネルギーの生成と移動。これが縮地の肝なのだ。
これが出来るなら、極少ない運動量で莫大な推進力を生み出し、ほんの軽い足先だけの動作で大ジャンプ並のエネルギーで『一歩』を踏める。それがリアル縮地の仕組みだ。
言うは易しと、まさにそれだ。でも実行するには気が狂う程の修行の果てに術理を体得する必要がある。そんな技だ。
「AGI特化のルルちゃんがコレを身に付けたら、多分、セザーリアで師匠と戦った時、二本目も数秒で終わらせられたと思うよ」
ちなみに壁走だが、垂直の壁で良いなら私も出来る。横にも縦にも。
ヘリオルートのお城の壁を走って頂点まで行けるし、黒猫亭を囲う外壁を横走りして一辺を走破するくらいは可能だ。流石に直角に曲がってる壁を走って、張り付いたまま曲がるとかは無理だ。なので、一辺しか走れないけど。
そして水上走行も当然出来る。もし両手足が健在だったなら、たぶん
…………いや、待った。やっぱりどうだろう? 最低限の身体能力は必要だから、出来るようになるまで筋トレとか走り込みは必要かも知れない。
そもそも、スキルの縮地とリアル縮地の差とは何か。
これも当たり前なんだけど、スキル縮地は手順さえ合ってれば練度がゴミでも発動はする。世界がそう定めてるから。
その代わり、スキル縮地はリキャストタイムが存在する。通常で三十秒くらい。システムアシストを抜いて高練度で使ってパッシブスキルの補正込み込みで、五秒か三秒くらいまで縮む。当然連発は出来ない。
けど、リアル縮地の方はただ技術なので、いくらでも連発可能だ。言ってみれば普通に走ってるのと理論上は変わらないので、『走る』行動にリキャストが存在しないなら、リアル縮地にもリキャストなんて存在しないのだ。
これが出来るか否かで戦闘力がアホほど変わる。だからルルちゃんも欲したんだろう。実際にルルちゃんが縮地をスキル無しで使えたら、今の倍は強くなれる。
縮地は文字通り、身に付けると『地』を『縮める』から。つまり間合いをそれだけ操れるのだ。武人にとってそれは何よりも価値を持つ。
そんな説明をしながら、私はルルちゃんの地渡りを見守る。初歩の初歩の初歩を見守る。
足の指だけでウニウニと前に進むルルちゃん、可愛い。地味な修行。可愛い。でも、これも立派な縮地の一つなのだ。可愛い。相手が気が付かないうちに間合いを詰める小手先の技だから、要は間合いを操れる技は縮地と呼べるのだ。可愛い。
はぁぁぁぁあルルちゃん可愛いよぉぉぉぉおおおっ。
「その足指歩法も、上手く出来たら結構役に立つ技だからねー。真面目に覚えようねー」
「うゅ。これ、モンスター相手でも、知性が有る相手なら刺さるよね」
「そうそう。モンスターだって多少の間合いくらい気にするからね。本当は袴でやるんだけど、綺麗に出来ると足が見えてても気付かれないもんだよ。…………まぁ、靴履いてると無理なんだけど」
「がんばる。タビって言うのがあれば大丈夫なんでしょ? ムグリさんが言ってた」
「ちなみに…………、《土よ》《その身は硬く隆起せよ》」
私は、今も足の指だけを動かしてズリズリしてるルルちゃんを見守りながら、土魔法を使って目の前に石の柱を生み出した。
土が押し固められた石柱は、直径一メートルくらいだろうか。高さは一メートル半くらいだ。
「…………ほっ、
そしてその柱に人差し指をピトッてくっ付けて、ズボッと撃ち抜いた。
柱に私の指の太さの穴が穿たれ、完全に貫通している。
「……な、なにそれ」
「縮地の応用。これは師匠じゃなくて、拳法を教えてくれた蘭々さんって人から教わった技なんだけどね」
点勁。
縮地に使う推進力を全部、指先だけに回す技だ。術理的には拳法の発勁に似てる。
発勁は衝撃を相手の体に通す技だけど、点勁はそのまま指で突き刺すのがポイントである。
蘭々さんは『拳法家』の二つ名を持つ中国武術の達人だけど、どっちかって言うと『待ち』の人だったからか、縮地は修めて無かった。と言うか『それ必要ある?』みたいな感じだった。自分から踏み込まなくても、相手が踏み込んで来たところをぶっ殺せば良いんじゃん? って人だった。
なのでリアル縮地は出来なかったけど、スキル縮地を応用してこの技をぶち込まれた時は、ビックリし過ぎて対応出来ず、そのまま死んで負けた事がある。
「…………なるほど。身に付けると、そんなことも出来るようになるんだね」
「結局、武人の目指す先って終わりが無いからさ。技一つとっても、永遠に発展させられるんだよ」
「ふむぅ、あたしのお嫁さんが凄すぎて遠いなぁ」
「十歳でここまで来てるルルちゃんの方がよっぽど凄いと思うけど。私が向こうで十歳の時って、技もレベルも全然足りなかったもん」
八歳でジワルドを初めて、十歳だと約二年か。最初のレベルキャップを超えたところだったかな?
時間が経つにつれて脳筋化したので、逆に言うと最初の方の私って普通のプレイヤーだったからね。ポチをもふもふしながら冒険してたからね。
「あ、思い出したらもふもふしたくなった。ポチー!」
「わぅ?」
呼んだらすぐ来てくれる相棒をぎゅーってしてもふもふしながら、私はルルちゃんの修行を見守る。
さて、ルルちゃんはどのくらいで縮地を体得出来るかな?
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