第61話 進化した少年。



「…………良くもぬけぬけと顔を出せたな、ミハイリク」

「やぁゼクト。顔色が良くないね? 旅の疲れでも出たのかい?」


 ここは殿下達が泊まる高級宿の一室。ゼクトとレイリーが泊まる部屋の中だ。

 わたしはレイフログに到着した翌日、丸一日先生と釣りを大いに楽しんだ。

 先生は自分で料理を作ることに情熱を燃やしていて、その為に格の落ちる箱貸し宿なんて程度の低い宿を利用して居るが、だからこそ先生が作る自慢の夕餉はとても美味しかったし、自分で釣り上げた魚を自分で食べるなんて経験も、なかなかに得難く貴重な体験だった。

 もちろん、先生があれだけ推した釣りそのものも、とても楽しんで一日を過ごせたと思う。


「俺の顔色なんてどうでもいい! お前、あんな半獣に混ざってどういうつもりだ!」

「おっと、わたしの前で先生の悪口は止めてもらおうか。殿下達も先生対する失礼は許さないと言っていただろ?」

「うるさい! 半獣は所詮半獣だろうが!」


 釣りと先生の料理をたっぷりと楽しんだ翌日、私はもう今回の課題は評価を丸ごと捨てているので成果は気にしないが、それでも一応はコッチの二学年側に所属しているのである。

 さすがにずっと放置で知らん顔は出来ないので、先生に言って数日貰い、顔を出したのだが……。


「……はぁ、半獣は半獣、ねぇ。……なぁゼクト、君も魔法はまだ成功してなかったよな?」

「はぁ? なんだ突然」


 部屋に来てみれば口うるさいゼクトはガミガミと当たり散らしてくるし、ムスッとした顔のレイリーは部屋の隅でいかにも不機嫌だと気配を撒き散らしている。

 なんともまぁ、つまらない一日を送ってそうだな。


「先生が連れてる一年生はみんな、昨日の時点で全員魔法が使えるようになってたぞ。君が莫迦にする半獣も全員、ね」

「……は、はぁっ!? そんな莫迦な事があるかっ!」


 あるんだよなぁ……。


「所詮半獣だと口にするなら、魔法のひとつでも使って見せたらどうだい? 僕も先生のおかげで、もうすぐ三節詠唱の攻撃魔法まで習得出来そうだよ」

「…………ッッッ!?」


 そう、僕はもうそろそろ、三節詠唱の攻撃魔法が制御出来そうなんだ。

 これは凄いことだよ。普通なら学園を卒業するまでに出来れば秀才だと称えられるような事なのに、僕は二学年でありながらもうすぐ手が届くんだ。

 本当に、先生は凄い。ちょっと凄すぎて同じ人間なのか疑わしいくらいだ。

 あの万魔の麗人さえ一目置いてるような気さえするし、何者なんだろうな、先生は。


「しかも、三節詠唱に挑戦し続けたお陰か、もう基本の二節詠唱は完璧だよ。ほら、《風よ》《吹け》」

「わっぷっ……!? な、何をするんだ!」


 僕はゼクトの顔に風を送って上げた。顔色が悪いからね、扇ぐ代わりに魔法を使ってあげたんだ。優しいだろ。

 口うるさいゼクトには、ちょっとくらい痛い目に遭わせてやりたいが、先生に習った魔法は莫迦なことには使わないと約束したからね。おどかす程度でも攻撃魔法は使わないよ。


「それで、殿下たちはどこだい? 一応報告に来たんだが」

「ふんっ、何を報告するってんだ。魔法が使えるようになって嬉しいですってか?」

「まぁ、それも報告はするよ。当たり前だろ?」


 二学年に上がってすぐに習い始めというのに、全然出来なかった魔法が先生に習ったらあっという間に使えたんだぞ?

 報告するに決まってるだろ。ゼクトは莫迦なのか?


「はっ、なら俺が代わりに--」

「その必要は無いよゼクト」


 ゼクトが僕の報告を握り潰そうとしてると、部屋にハルシェイラ王子がやって来てゼクトの言葉を遮った。

 ああ、ゼクトがモタモタしてるから、わざわざ殿下に足を運ばせるような事に…………。

 ゼクトって、こんなに考え無しだったか? もう少し考えて動く方だと思っていたが、何かあったのか?


「やぁミハイリク。そっちはどうだい?」

「ええ殿下、とても楽しく過ごせております」

「それは良かった。…………ところで、その、ノノンさんは、僕についてなにか、言ってなかったかい?」


 ………………うん。

 さすがに、分かる。


「…………そう、ですね。特には、なにも」

「そう、か」


 わたしの報告で落ち込む殿下。

 分かる。分かるけどさ、さすがにそれはマズいと思うんだ。

 殿下は、ハルシェイラ王子は、先生に惚れている。おそらく、結構な熱意を持って、先生に想いを寄せている。

 わたしみたいな子爵の次男ならまだしも、第三王子とはいえ陛下の血が入った殿下が先生と添い遂げるなんて可能性は、無に等しいだろう。それくらいは子供のわたしでも分かる。

 それに、先生を見てれば分かるが、ビックリするくらい脈が無い。

 普通は王子に想いを寄せられたなら、少しくらいは舞い上がりそうなものだけど、先生はむしろ迷惑そうにしている。だけどそんな事を正直に報告できるわけが無い。

 なんなら、昨日一緒に釣りをした親切な平民男性の方がよっぽど近しい関係になれそうだった程だぞ。そんな報告出来るわけないだろ。


「……ああ、ミハイリクは魔法が使えるようになったんだって?」

「え、ええ! それはもう、三節詠唱までもう少しなんですよ!」


 良かった。殿下の恋路から話しが逸れた。助かった。


「三節詠唱? それは本当かい?」

「もちろんです。生活魔法なら今でも八割いけます。攻撃魔法もあと少しで三節詠唱で安定できますよ」


 わたしは子爵家の次男であり、ひたらく言えば兄の予備だ。

 兄さえ健康であればわたしに継承権は回ってこない。だから自力で職と地位を手に入れる必要がある。そんな立場にわたしは居る。

 もし先生に出会わなかったら、このまま魔法が使えないまま学園を卒業していたら、良くても適当な騎士団に入って一生をそこそこの人生で終えるか、家のためにどこかの婿として好きでもない女性に阿るか、どちらかの道しかなかった。

 でも今や、この歳で三節詠唱も間近。このまま行けば四節詠唱もその内身に付くだろう。

 しっかりと安定した四節詠唱で攻撃魔法が使えれば、宮廷魔導師の道すら拓けるし、それが無理でも平の騎士団員では無く隊長職にはなれるだろう。

 わたしの人生は、今や完全に上向きだ。兄なんて宮廷魔導師に憧れてたから、きっと羨まれるくらいだ。

 それもこれも、先生のお陰だ。先生には感謝しかない。


「……それは、凄いな」

「これも先生のお陰ですよ。あの方は本当に素晴らしい人です。殿下が失礼が無いようにと言っていた意味がハッキリと分かります。先生は国の宝ですよ。失礼なんてあってはいけない」

「ふふ、そうだろう? ノノンさんは凄い人なんだよ。兄上と戦ってる時だって、その剣技の冴えが美しいことこの上なく、見惚れてしまう程なのさ」

「…………え、先生は、剣術も堪能なのですか?」


 心酔するような心地で語る殿下に、わたしは別の衝撃を受けた。

 先生は、剣術さえも凄腕なのか?

 嘘だろう? あれだけの魔法の腕を持っているのに、剣術まで修めているのか?


「ああ、知らなかったのかい? むしろ僕は、ノノンさんがそれほど素晴らしい魔法の使い手だってことを知らなかったくらいだけど」

「ゼイルギア王子と先生の戦いは、人伝には聞きましたが……」


 学園でも有名な話しだ。

 先生がゼイルギア王子を、その、ボコボコにした噂は。

 わたしは先生に関わって、その時はゼイルギア王子の剣術を魔法で凌駕して打ちのめしたのだと思っていた。

 だが、殿下の話しを聞くに、先生は剣術だけでゼイルギア王子を打倒したと言う。

 …………いや、本当に? 嘘だろう?

 わたしは先生に魔法を教わった。教わったからこそ分かる。

 先生の魔法の腕は、もちろん才能もあったのかも知れないが、あれは努力の賜物だ。

 なぜなら、わたしにしっかりと教えられるから。

 もし才能によってひと足飛びに魔法を身につけて行ったのなら、あのように理路整然と人に教えられるわけが無い。

 先生はわたしが躓いてる場所をちゃんと理解して、教えを授けられる人だった。

 出来ない人の立場が分かるのは、つまり先生もそこで躓いた経験があるのだ。

 それでも先生は、あれほどの腕を持っている。当たり前に五節詠唱を使って見せて、平然と笑っていられるような卓越した魔法の腕だ。

 躓いたことがあり、でも今は凄腕だというなら、つまりそれは努力によってそこまで至ったのだ。


「…………どうしましょう殿下、先生への尊敬が溢れて止まりません」


 あの人は、まだ私よりも幼いというのに、どれほどの努力を重ねたのか?

 それを思えば、もはや信仰といって差し支えない程の尊敬の念が湧いてくる。


「そうだろうそうだろう。……しかもね、ノノンさんは、料理まで堪能なんだよ」

「あ、それはもう知っています。ものすごく美味しかったですよ」

「……なん、だと」


 あ、マズいコレはまさか答えを間違ったか。


「…………美味しかったかい?」

「……え、ええ。美味しかったです」


 まさか、「料理が堪能なんだよ」ってドヤ顔だった殿下は、先生の料理を食べたことが無いのかっ。

 これはマズった。先生に恋する殿下に、お先に先生の料理を頂きましただなんて、自慢にしかならない……!


「……そ、それより殿下、ゼイルギア王子はどちらに? 是非先生の剣術についても、戦ったゼイルギア王子にお伺いしてみたいのですが」

「…………………ん? ああ、兄上かい? 兄上なら、複合組合の方に顔を出すって言っていたよ」

「なるほど。ゼイルギア王子は今、探索者として同行していらっしゃるのですから、組合に顔を出すのも仕事内なのですね!」


 ちょっと空気がよろしくないので、わたしは逃げることにした。

 ダメだ。こんな空気に付き合ってられない。ゼクト、レイリー、悪いがこの面倒臭い殿下のことは任せたぞ。


「では、報告は以上です。わたしはゼイルギア王子の元へ行きますが、御前を失礼しても?」

「ああ、行っておいで。…………ノノンさんによろしくね」


 この場合、よろしくするのはゼイルギア王子に対してでは?

 ダメだ、目の光が消えた殿下が怖すぎる。もうわたしには何も言えない。


「では行ってまいります。……ゼクト、レイリー、大神殿の見学時にはまた会おう」

「…………ああ、じゃぁな」


 ◇


「…………といった様子でして、怖くて逃げてまいりました」

「おう。まぁ、いい判断だったんじゃねぇか?」


 わたしは逃げ込んだ複合組合で、王子に泣きついた。


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