第39話 野生のノノン。



 パキッと、音がした。

 蹴飛ばした貴族、テティから聞こえた。

 この感触には覚えがある。無効化系のアイテムに攻撃をレジストされた時の感触だ。

 先程私が玉鋼を投げた後に、二度目に備えて起動しておいたのだろう。窓から捨てた時は攻撃じゃなかったので防げなかったわけだ。

 流石に宿の中でテティという名の血袋を爆散させる訳には行かなかったが、それでもある程度の加減をしつつも殺す気で蹴った。血袋が破裂しないように殺すのだ。だが、それもアイテムで無効化された。

 上等。

 蹴ってダメなら斬ればいい。

 この手の無効化は耐久値があり、一撃で耐久値を削りきったとて貫通ダメージは発生せず、耐久値が全損する時の一回に限って余剰分のダメージごとレジストされてしまう仕様だ。なので次のダメージは通る。

 屋内で歌姫黒猫は長い。なら脇差、私は黒姫仔猫をポーチから取り出して抜刀した。


「《ほむらよ》《我がともがらを》《彩れ》」


 三節詠唱で手にした刀へ火属性エンチャントを施す。

 たった三節の弱いエンチャントなので建物への延焼は考えなくていいし、刃物で斬り裂いたら吹き出た血で黒猫荘が汚れるので焼き斬って止血しながら殺すのだ。


「ノノンちゃんダメっ! 魔の盾!」

「死--」


 ギンッと音がして、振り下ろした刃が逸らされた手応え。

 私がクソ貴族に刃を振り下ろすまさにその瞬間、レーニャさんは局所展開式結界型防御を発動したのだ。

 刃は展開された絶妙な角度の防御魔法を斬り裂き、代わりに目標の肩を浅く斬り裂くに留まる。

 何故に邪魔されたのか分からないが、ほんの少しでも火属性ダメージが与えられたなら問題は無い。火属性ダメージで与えた傷を呪うことで追加ダメージを与える魔法がある。

 この世界に生きる人の深度程度なら問題なく確殺出来る魔法なので、これでチェックメイトだ。


「《巡る炎天》《万象を祓う》《其の--……」

「ノノンちゃんダメだってば! とまって!」

「--にゅぶっ!?」


 チェックメイト、そのはずなのだけど、まさか自軍に伏兵が居たとは。

 素早く詠唱する私は後ろからレーニャさんに抱き着かれ、彼女の胸に埋もれ、と言うかうずめられて、強制的に、そして物理的に詠唱を止められた。

 というかレーニャさん、そこそこだと思ってたお胸様が思ったより、その、ぱいんぱいんだね? 着痩せする方なの?

 この民族衣装っぽい薄着でなにをどう着痩せするのか少しも分からないけどさ。


「にゃぶふ、にゅぁ……、ぷはぁっ! なぁにをするんですかレーニャさん!」


 私はレーニャさんの胸と腕から抜け出して、文句を言う。

 さすがに普段はセーブしていてもステータス的には深度が桁二つ違うのだ。レーニャさんでは私を抑え続ける事は不可能。

 ………お胸から抜け出すの勿体ないな、なんて思ってないよ?

 とりあえず斬られて呻いてるクソは放置だ。


「ノノンちゃんこそ、殺す気だったよね!? なんでいきなり殺そうとするの!?」


 文句を言う私に食ってかかるレーニャさん。

 レーニャさんも不思議な事を言うなぁ。殺そうとする理由なんて、殺すだけの理由があるからに決まってるじゃ無いですか。


「そりゃ殺しますよ」


 約束したのだ。ビッカさんと。

 黒猫荘を利用している間は、ここが帰る家なのだと。

 ここでは気を抜いて良いのだと、安らいでいいのだと、それを邪魔する一切合切は私が斬り払うと。

 それはビッカさんだけに留まらない。レーニャさんも、ザムラさんも、黒猫荘に居る全員が、何者にも平穏を侵されてはならない。侵させてはならない。それが私の責任。

 なのに、私はコイツを黒猫荘の中へ入れてしまった。害虫を。レーニャさんの日々を食い散らかす害悪を。

 だから殺す。私は殺して不義の埋め合わせをしなければならない。


「ここは笑う黒猫荘。ご宿泊いただいてる皆様の安寧は私の責任です。ビッカさんの平穏を壊す銀級の群れも、レーニャさんの日常に巣食う害虫も、私は一切合切を許しません」


 そう、ここは、笑う黒猫荘は、民宿なのだ。

 ここで暮らす人はみんな、私の家族なのだ。

 前世に置いて来た両親。私はもう、二人には何も出来ない。たった一つの孝行すら出来ない。

 でも、今目の前に居るレーニャさんにはこの手が届く。私の手が、無かったはずのこの手が届く。

 だからこれは、そう、私のため。私のわがまま。

 この手が届き、この足で歩いて行ける幸せの園を、私はもう二度と失いたくない。

 そんな想いをするくらいなら、あの地獄をまた味わうくらいなら、私はなんだって出来る。人を殺せる。命も奪える。

 人も、権力も、魔物も神も、何もかもを敵に回して、この身が持ちうる他の全てを失ったとしても、私はこの一つの幸せのために戦える。


「そもそもですよ? 敵を殺す--、その一事に理由なんて要るんですか?」

「流石に殺しちゃダメよ!」

「大丈夫ですよ。許可は取ってますから」


 次、何かしたら殺す。

 私はそうミナちゃんに宣言した。納得はされてないし明言も貰ってないが、死体の処理は向こうで行ってくれるとミナちゃんは言った。ならもうほぼ許可されたと思って良いだろう。

 私の黒猫荘でさんざっぱら好きに振る舞ったうえで、宿泊客のレーニャさんに抱きつこうとする所業。しかも前科ありときた。完全にアウトである。スリーアウトどころかゲームセットだ。


「まって何このノノンちゃん凶暴すぎるんだけど!? 野生のノノンちゃんなの!? どれだけ殺したいの!?」

「すごく。とても。いっぱい。たくさん」


 いや流石にね? 私だって普段から殺すぞ殺すぞって内心は思っても、ここまで行動に移すことはほとんど無いよ。

 最近ちょっと多い気もするけど、基本そんな事しないよ。うん。たぶん。めいびー。

 でもね、こいつは初対面から今この瞬間までの諸々を鑑みると、もう殺した方が早いと結論が出たのだ。私の中で。

 そも、レーニャさんが宿を利用出来なくなるくらい何か迷惑をかけているのだとして、その上でさっきの態度を考えると、こいつ多分自分がどれだけレーニャさんに迷惑かけているかも自覚してない完全なストーカー気質であると分かる。

 そして、ストーカー気質の男っていうのは往々にして人の話しを聞かないし、自分の中にある理論だけが正解であり正義なのだ。

 だからきっとこう思ってる。「素晴らしい自分が好意を寄せているのだから、むこうも喜んでるに違いない」「押せば押すほど喜ぶはずだ」「相手が喜んでいるのだから、極論何をしても良いはず」とか、きっとそんな感じ。

 心の底からそんなことを思ってるやつなんて、更生を促すだけ無駄だ。だって前提として各々に備わってる倫理からして別なのだから、分かり合えるはずが無い。

 分かり合えるとしても、それだけの労力を割く意義がない。

 こいつを真人間にしたとて、誰が得をするの? って話なのだ。


「--なので、殺した方がいいと思います」

「……そう言われたら、その、納得するしかないし、最終的にこいつが死ぬのは私も嬉しいんだけど、そのためにノノンちゃんが手を汚すのは、私は嫌よ?」

「慣れたもんですよ?」

「………嘘だと言ってよぉ」


 確かに直接殺した事はまだない。まだ、今のところは、だけどね。

 でも間接的にだったら、私はすでに結構な人数を殺している。

 ビッカさん目当てに黒猫荘へ突撃してくる馬鹿な銀級は軒並み磨り潰して貧民窟に捨ててるので、前に条件付きで見逃した一人以外は全員死んでると思う。

 なので今更、たった一人をこの手で殺したからなんだと言うのか。


「そもそも、レーニャさんはなんでコイツに付きまとわれてるんですか? そりゃレーニャさんはすんごく綺麗で可愛くて世の男たちが放っておかないでしょうけど、さすがに王族と一緒に居るような高位貴族となんて、そうそう面識なんて……」

「………これでも金等級だからね。前にちょっとお城で開かれる会食みたいなのに参加することがあって、そこで会ったの」


 なるほど。

 そう言えばレーニャさん凄腕の魔法使いって話だったっけ。


「じゃぁ、このクソはその時にレーニャさんへ一目惚れして? でもいくらレーニャさんが綺麗で可愛くても、コイツの地位ならどっかの美姫だって手に入るでしょう? 執着し過ぎでは?」


 まだ疑問の残る私は追加で問い掛け、するとレーニャさんは凄く渋い顔をする。

 おいおい、まだなんかあるのか。


「……………………魔法よ」


 しばらくの沈黙のあと、レーニャさんはそう呟いた。


「…………?」


 あまりにも端的な回答で、私は無言で首をかしげ、レーニャさんに続きを促した。


「私がね、【万魔の麗人】だから。国で魔法を司るお役人様の目に、つまりそいつの目に止まっちゃったのよ。会食でね」


 ……それはもう、前々からロックオンされてたのでは?

 会食関係なくない?


「えーと、魔法の腕を鼻にかけたこのクソ貴族が、魔法が堪能で見目麗しいレーニャさんにお熱をあげてるってことで?」

「そう」

「…………予想の八倍くっだらない理由だった」


 さっき王族二人も、何やらクソ貴族が魔法に関係する役職持ちっぽいことを言ってた気がする。

 つまるところ、クソ貴族は自分に相応しい女性は魔法に秀でた者で在るべきだと考えていて、レーニャさんは他の追随を許さない程にその条件を満たしてしまっているのだろう。


「とにかく、一応あんなのでもお貴族さまだからね、殺しちゃダメなのよ?」

「………?? え、でも、貴族でも人間ですよ? 神様じゃないし、殺しちゃダメってことは無いですよね?」

「まってまってまってこのノノンちゃんもしかして私の知らない子? 普段は賢くて優しくて素敵なのに、前提にある倫理観がこんな食い違うことある???」


 レーニャさんはおかしなことを言う。

 貴族だから殺しちゃいけないとか、馬鹿なことを言わないで欲しい。

 貴族だろうと平民だろうと、基本的に殺しちゃダメだし、そこに身分なんて関係ない。

 私はクソ貴族がクソだから殺そうとしているんであって、こいつの身分を知らずにそうしてる訳じゃない。そこに貴族かどうかなんて考えは介在しちゃいけない。

 簡単に人を殺しちゃいけないなんて道徳的な倫理ならまだしも、身分が高いからダメなんて理由は認められない。認めちゃいけない。

 これは私ほどの戦闘力を持たない人でも言えることだと思う。

 だって普通に、冷静に考えて、殺人なんて圧倒的にダメな行動なのだ。そんな事は誰でも知ってる。それは当たり前の倫理で、道徳で、秩序で、人を人たらしめる大事な宝物だ。

 だけど、それでも、その上で、人を殺す理由があり、殺したいと強く強く願うなら、…………殺すべきだ。

 もちろん逆恨みとかは論外だけどね?

 だって普通に、冷静に、真っ当に考えて、普通の人にそれだけ強く固く死を願われる者が、死ななくて良い理由なんて無い。

 ぶっちゃけ害悪じゃん? 今回だって色恋沙汰と言えば可愛く聞こえるが、実際は人が一人生活を脅かされていたのだ。

 有り得なくない? 月に金貨一枚払える金等級が、まともに宿を取れなくなる事態ってどれだけの事だと思ってるの?

 金等級のレーニャさんが高級宿すら取れない程の根回しなんて、貸家だって絶望的なのは考えるに難くないし、仮に貸家を借りるか家を買うかすれば、居場所が固定されたレーニャさんの元へ権力の鎧で完全武装したクソ貴族が、喜び勇んで自宅に凸ってくる悪夢が待っている。

 お金が無く住む場所が無くなっても、住む家を買っても借りても、結果的に詰んでる。

 それにお金が無かったら色々手を回されて気が付いたらクソ貴族のお嫁さんになったかも知れない。


「あー、悪ぃんだがお嬢、朝餉は?」

「あ、ビッカさん。ザムラさんも」


 声に気が付くと、ダイニングの入口にはビッカさんとザムラさんが居た。

 この騒動はダイニングの入口付近(内側)で起きており、ダイニングの入口(エントランス側)に居る二人は私たちが邪魔で入って来れない。

 私はビッカさんに言われて、まだ朝食の準備が出来てない事を思い出し、サァーっと血の気が引く。

 朝食の時間に朝食が出来てない宿なんて、宿失格だ。


「ごご、ごごごごごめんなさい! すぐに用意します!」


 今この瞬間、すでにほぼ無力化したアホの事よりも、朝食の準備が最優先事項になった。


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