朝顔

糸目未彩

朝顔

 よく見る、夢がある。

 生命を描く線は次第に平たくなり、私は冷たくなる前の幼馴染の手を一度も握ることもできぬまま、病室の遠いところから心電図と死にゆくのを眺めているのだ。希う夢と、寝ている間に見る夢は紙一重というけれど、だとしたら私は幼馴染を殺したいのだろうか。その夢を見るたびに、飛び起きる。ひどく汗をかいた身体を落ち着かせようと着替えたが、それでも流れる汗を止められず、キッチンに出た。

 大学生になってからひとり暮らしを始め、幼馴染に会うことが減った。年に三回会えれば良い方で、ほとんど地元へ帰らなかった。仕事を始めてからは年に一度、あるいは帰らない年もあった。いつまでも私をついて回る罪が、痛くてしかたなかった。

「まだ起きてたの」

 キッチンにいた恋人に声をかけたら、彼は無言で水の入ったグラスを渡してきた。胃に流れ込んだ冷たい水が身体を冷やしてゆく。それでもまだ鼓動は全身に響き、私を眠りから遠ざけていった。

「お前が遅くに目を覚ますとき、大抵は悪い夢を見たときだろ」

 私が眠れないのは、もう何年も前からのことだ。彼に出会う前から、最愛の友を失ったときから。あの子は生命をつないでいるのに、ちっとも幸せじゃなさそうだ。少しだけあの子の話をしたとき、彼はさみしく笑って、私を静かに抱き締めた。でも結局、私の心の穴を埋めるのは彼ではなかったらしい。

「ね、別れよっか」

「……そうだね」

 私たちは、初めから恋なんて甘いものでできてはいなかった。好きになれなくてごめん、と言いかけた言葉を飲み込み、グラスをゆすいで部屋へ戻る。布団に潜り込んだら、十年も前の幼馴染の顔を思い出した。この過去だけは、どんなに殺しても私にまとわりつく。

 最愛の友である幼馴染は、何年も時を止めたまま眠り続けている。

 冷たい雨の夜だった。学校帰りの夜道で、車が突っ込んできた。少し前を歩いていた私だけが助かった。夜の暗闇に紛れ込んで転がった黒い傘と、血の気を失った白い顔が、やけに記憶に残っていた。

 若い葉は儚くも散り、今も生きることができず、機械によって死ぬことだけが赦されなかった。そんなことをしてまで生命をつなぐことが幼馴染の願いだったのか、私にはわからない。死なないだけの身体は、目覚めない方が幸せなんじゃないだろうか。

 彼と別れて数週間、私は小さなアパートを引き払い地元へ戻った。突然仕事を辞めた私に母は何か言いたげだったけれど、幼馴染の病室を尋ねたら何やらハッとして、それから病院まで車を出してくれた。

 白い病室に横たえた幼馴染は、なんだか生きているようには見えなくて、その手を握り締めた。良かった、彼女の温かい手を握ることができた。

 それでも眠れない私は、ある初夏の日に朝顔の種を植えた。幼馴染の代わりに、小さな芽に、双葉に、それから花におはようを伝えた。朝顔が青い花を咲かせた次の日、夜が明ける夢を見た。広い大地の向こうに、幼馴染が立っていた。彼女は私を見つけると、少しだけ微笑んだ。それだけの、短い夢だった。何だか呼ばれた気がして病室へ向かうと、幼馴染はやはり眠ったままだった。

「あさ」

 名前を呼んだら、喉奥で声がくぐもった。幼馴染は美しい少女だった。身体だけが大人になってしまった今、すっかりやせ細ってしまった。一緒に生きたかった、私の願うことはただそれだけだった。死んだわけじゃないのに、私たちの人生はこの先も交わることがないのだろう。

「なんでだろうね」

 昔はあんなに一緒にいたのに。いつからか夜明けが怖くなった。朝という名前を思い出してしまうからだ。だから私は今も眠れない。

「あさ、すきよ」

 唇を重ねたら、朝だけが冷たい気がした。


 朝が亡くなったのは、その次の日だった。不思議と悲しくはなく、夜が来ても朝日を恐れることがなくなった。亡くなった朝に会いに行ったら、穏やかな顔で眠っていた。こんな顔をしていたんだなと心の底の方で思う。

 地元から逃げ出したのは、都会の街に溶けてしまいたかったからだった。共に生きることができない幼馴染から逃げ出して、賑やかな街に隠れてしまいたかった。

「ねえ、朝」

 眠る白い顔に、視線を落とす。

「ずっと逃げててごめんね」

 たとえそれがたった数日のことでも、最後に一緒に生きようと思えた。

「ありがとう、私が戻ってくるまで待ってくれて」

 朝が微笑んでいるように見えた。それだけで、良かった。

 家に帰ると、橙色に照らされて朝顔の花はすっかり萎んでいた。私はその葉にそっと触れる。もう夜明けは怖くない。きっと明日の朝は、美しい花が咲くのだから。

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朝顔 糸目未彩 @itomemisa

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