第七話 死を纏う



 ザワザワ。


 休み時間の喧騒。教室から流れ出す学生たちは、鞄を持って歩く俺に対して、思っていたよりも無関心だった。


『坊っちゃんは3組だったよな?1-3、1-3っと』


 浮遊したままのエルマーが、先行して飛んでゆく。


『ここだな』


 しばらく行ったところで、目的の教室に着いたようだ。こちらに振り返り、横向きの八の字を描きつつ俺を待つ。その様子に半ば呆れながらも俺も続く。

 そのまま教室の扉を潜ろうとしたところで、先に教室から出てきた少女にぶつかってしまう。対空したエルマーをすり抜けてきたのでとっさに躱すことができなかったのだ。小柄な少女は軽くぶつかってしまっただけで尻もちを着いてしまう。


「ッ―――。悪い」

「あ、いえ……って、え………」


 俺がぶつかってしまった相手―――ショートボブの少女に手を伸ばす。少女は手を取ると立ち上がり、俺の顔を見て固まった。幽霊でも見たかのようだ。ちなみにうちの幽霊は足元でうなだれている。首を下げることで謝罪のつもりらしい。

 少女の方は多分、初めて見る顔に驚いているのだろう。


「大丈夫か?」

「あ、はい。こちらこそごめんなさい」


 一見、足を捻ったとかはなさそうか。本当に大丈夫そうだな。


「すまなかったな。じゃ」

「あ……。うん」


 改めて教室に入る。

 しかしまいったな。俺の席はどこだ……?席を立っている生徒が多く、どれが空きの机なのか判別がつかない。ガヤガヤとしていたクラスの生徒たちは、はじめこそ、俺を誰かと話しに来た他クラスの友達かなんかかと思っていたみたいだが、俺が無言で立ち尽くし、何度も周りを見回しているのを見て、こちらに注目し始めた。少々居心地が悪い。


 手頃な生徒に声をかけようとしたその時、先んじて声を掛けられる。


「あ、あの………!」


 後ろからの呼びかけに応じて振り向いてみれば、目の前に立っていたのは今さっきぶつかってしまった少女だった。


「もし違ったらごめんなさい。日宮秀くん……だよね?」


 今度は俺が目を見開く番だった。


「そう、だが……君は?」

「あ…、と……。ひ、久しぶり……かな。私、小学校の時同じクラスだった、瀬戸せと彩花あやか、だよ………。覚えてない……かな?」


 小学生の頃……?


 俺はあまり人間関係の経験がない。その上、親の期待に答えるためだけの人生を送っていた小学時代は特に、コミュニケーションを切り捨てて生きていた。そのため人の顔と名前を覚えるのが得意ではなく、人と距離を置いて生きていた。今よりもずっと。自分を忌避する人間に対して、子供が興味を抱くはずもないだろう。加えて3年以上も前の事だ。当時の俺を覚えている人間がいることに驚かされる。


「覚えてないよね!そうだよね!ごめんね!」


 目の前でわたわたし始める少女。自己完結する彼女にどう声をかけるべきかわからない。

 少なくとも昔のように突き放すのは、間違っているだろう。困ってしまい視線を流すと、ふとエルマーと目があった。


 そうだな。

向こうから声を掛けてくれたのだ。丁度いい。これ幸いにと自分の席を教えてもらうことにする。


「彩花、だったか。自分の席がわからなくて困ってたところなんだ。よければ教えてくれないか」

「え、あ、そっか。うん。日宮くんの席はこっち」


 小走りで駆けていく彩花を追いかけ、俺は自分の席につく。窓際席の最後列。


「ずっとこの席ってことになってるの」


 厄介な不登校児の席は、教室の端に追いやられていた。まあ別に構いやしないが。


「助かった」

「いや、……うん。どういたしまして」


 彼女の顔がほころぶ。今まで接してきた人の中で、一番自然な笑みだったかもしれない。小さく頷くと、俺は鞄を机の上で広げる。


 突然ヌッと机をすり抜けてエルマーが現れる!いやおいお前。それは本気でホラーだから。声もあげずに受け止めた自身に称賛を贈りたい。登校初日から奇声を上げて警戒されるところだった。


『ぐふ、ぐふ、ぐふふふ』


 どうやら頑張った俺にご満悦のようだ。いやだからお前。俺の努力が水泡に帰すところだったから。お前のせいで。


『坊っちゃん、俺は感動しているんだぜ~』


 俺はお前を勘当したい。とはいえ人の目がある以上、エルマーに声をかけるのも憚られるので、見逃してやることにした。


 努めて。

 射殺すような。

 視線を向けるだけだ。


『ふふふふふ』


 気にした様子もない犬。ほとほと呆れ返る。


「あ……あの!」

「…………なんだ?」


 ま、まだ居たのか、彩花。立て続けの強襲に精神の疲労を感じながらも、威圧的にだけはならないように静かに返す。


「忘れられてたみたいで……その………ちょっぴり寂しかったりもするけど……。これからよろしくね、日宮くん!」

「……ああ」


 勇気を振り絞ったのだろうか、多少力んだ挨拶であったが、真剣さも籠もった言葉だった。俺は彼女の匂い・・に辟易する自分を理解しながら、嫌悪を滲ませないように精一杯で返した。

 と、一呼吸開けてチャイムが鳴る。生徒たちは一斉に自分の席へと戻ってゆく。瀬戸はまだ何か言いたそうにしていたが、やがて諦めたのか、「じゃあ、またね」とだけ言い残して去っていった。彼女の席は教卓前の最前列のようだ。


 彩花を視線で追うエルマーの背を眺めながら、自分の中に膨れ上がった嫌悪感を持て余す。約束は約束だ。行動から作っていく。だがどうにも、自分の根幹が牙をむく。彩花の自然な笑顔はきっと、俺には真似できそうもない。


「もしもし、どーも」


 クラスメイトが席に着く最後の喧騒の中、隣の席から声が掛けられた。明るい茶髪とシンプルなイヤリング。ゆるく着崩された制服のいかにもな男子。


「モテモテですな、日宮クン♪俺の名前は笹木ささぎ亮馬りょうま!どぞ、ヨロシク!」

「ああ、日宮だ。……おやすみ」


 名乗り返すだけしておいて、俺は机に伏せることにした。



 *



「さて、エルマー。ソフモヒ不良のことだが、確かなんだな?」

『ああ、間違いねえ』


 3限目、数学の授業中。俺は授業開始から終始伏せたまま、エルマーと話し合う。

 授業が始まってすぐ、数学教師はすべての机が埋まっていることに驚いていた。ただ、俺が伏せたままで特に害がないことを悟ると、通常どおりに授業を開始したようだ。

 チョークが黒板に白い跡を残す音、先生の解説だけが響くなか、俺は声を押し殺す。


「根拠は?」

『身体能力だ。あれはただの人間じゃねえ』

「ふむ……」


 確かに奴は、気づかれずに忍び寄り、人一人分ほどの高さからひょっ、と飛び降りて見せた。思えば着地があまりにも自然すぎたか?自重を支えるにはもう少し膝をクッションにして重そうに着地するかもしれない。とはいえその程度では弱すぎる。別に2階建ての窓くらいの高さなら、そこまでの覚悟がなくても飛び降りくらい出来るだろう。

 いまいちピンときた様子のない俺に、『やっぱりな……』と嘆息する。


『見てなかったか……』

「見てないって、何が」

『なあ坊っちゃん。アイツはどうやって坊っちゃんのところまでやってきたと思う?』


 エルマーの問いかけに俺は答えられなかった。実際に見ていなかったからな。音もなく俺に近づいた方法……。


 俺は脇にあったタンクに足をかけ、そのまま登った淵で寝そべった。つまり俺同様にタンクを登ってきたのだとしたら、俺を飛び越えて着地しなくてはならない。タンクはほぼ球状のため、しっかりとした足がかりにはなれない。だから登るために足がかりにはできるが、跳躍するのは困難だろう。さらに言えば跳躍し、俺を飛び越えたとて、着地ができないのだ。俺を飛び越えた先は、コケのようなヌメリけのある謎物質で一面覆われていたのだから。スパイクのないただの室内履きで、着地時に転倒しないのは少々おかしい。


「単純に、鉄扉のノブを足がかりにして登ってきたんじゃないのか?」


 言いながら、内心でそれはありえないことを悟る。


『いやだって、あの扉うるさいだろ』


 そうだった。音も立てずには不可能だ。さらに言えば俺が屋上を退散するとき扉の鍵を開けた記憶もある。登るために扉を開けるなら、鍵が閉まっていたのは噛み合わない。

 扉側でも貯水タンク側でもない他2方向にしても難しいか。その2方向で足がかりにできそうなのは屋上外周のフェンスくらいだが、錆びついた古くて軽いフェンスによじ登れば嫌でも音が出る。

降参だ。


「どうやったんだ?」

『それがよぉ……。跳んだんだよ。ああ、『とぶ』っつっても跳躍の方だけどな!?』

「跳ぶ……」


 側で飛び跳ねて縁沿いに手を掛け、よじ登る?

 むしろ普通の人間の範疇だと思われるが。


 まだ理解が届かない俺に、段々と興奮してきたエルマーがまくしたてる。


『そもそも登ってねえ・・・・・んだって!一足飛びに秀の側に跳んで来たんだよ!わかるか!こう……フワッて!』

「なんだって……?」


 それが事実なら、おそらくあの不良は人を悠々に飛び越える。走り高跳びの世界記録が2メートル半であることを考えても、あの不良は世界レベルのバネといえるか。


『俺もうビビっちまってさぁ!最初はよ、なんか起き上がったな~と思って眺めてただけなんだけど、そしたらたった数歩の助走で思いっきり踏み切って、狙い済ませたかのようにドア側、淵の角に右足の土踏まずから着地!つま先で乗り上げるようにゆったり、音を立てずに着地したんだ!!最初、跳躍じゃなくてホントに飛翔したのかと思ったぜ!』


 俺はもう、脳内の仮説とエルマーの言葉との乖離に唖然とするほかなかった。


 話が違ってくる。世界レベル、などという話ではない。それは確かに化け物の所業だ。


 背面跳びではない。足での着地。3メートル弱を両足で着地するにはきっと、走り高跳びよりも垂直跳びのデータから比較するべきだ。記録では1.2メートル。優に倍以上超えている。加えてエルマーの話では、ほとんど助走していない。屋上の正確な広さはわからないが、30メートルは下らないと思った。奴がいたのが本当に中央だったとしたら概算で数歩の助走で水平15メートル。かつ15メートルの時点で3メートルの高さになくてはならないのだ。実際には水平方向に17,8メートル飛んでいたのではなかろうか。鉛直方向に至っては、最高到達点で何メートルの高さになっていたのか、検討もつかない。


 明らかに異常。


「なるほどな……」


 ソフトモヒカンは確実に《赤目》……いや、《半死人アンデッド》であるだろう。もはやそこに疑う余地はない。


『早速七姫って嬢ちゃんに連絡するべきなんじゃ……』

「いや、待て」


 勇み足になるエルマーを嗜める。帰宅時のように、七姫に連絡するのが癪だからではない。


「不用意に動かないほうがいい」

『そりゃまたどうして?』

「……なぜだか知らないが、俺は出会って早々に目をつけられているからな。下手な行動を取れば警戒を強める。特に奴に警戒されている校内では、な」

『いや、油を注いだのは坊っちゃんの方だったけどな……』


 俺一人で解決出来る問題ではない。連絡はする。しかし、ここでは奴が目を光らせているので、警戒範囲から出ることが必要だ。


早嶋はやしま美奈津みなつとの接触も遠慮したほうがいいな」


 現状ではどうしようもない。

 本来は七姫にこの土日で戦い方を教わり、護衛を始める予定だったのだ。七姫も今の俺にそこまでの期待をしていないだろう。であるなら、今日一日だけ、あの不良に気をつけながら生活すればいい。あいにくこちらが半死人であることは割れているわけではない。


「万一のときにはやはり、衝突もあり得るか……?」

『そうかもな。坊っちゃんはさ、自分の《等級》とか《能力アビリティ》について理解してるのか?』

「……いや、何も」

『《等級》は無理にしても、《能力》の生かし方くらい準備したほうがいいかもな』

「ああ。よし」


 腕時計を見れば、もうすぐ3限の終わりであった。


 窓の外、優しく色づいた葉がひとひら、風に煽られ落ちていくさまを見届けると、俺は目を閉じた。



 *



 チャイムが鳴る。


「それじゃ、今日の授業はここまで。号令」

「気を付け。礼」


 生徒たちは席を立ち、思いおもいに行動し始める。俺は紛れて席を立つ。

 彩花がこちらに視線を向けてきたのに気がついたが、かまっていられない。活動を開始する。


『どこを目指すんだ、坊っちゃん』

「どうしたものかな。人目につかないところで、なおかつソフモヒに出会わないところだ」

『結構難易度高い要求だよな……』

「とりあえず動くしかないだろう」


 行く宛などないが、教室を出る。

 理想は目立たず、加えて探されない場所だ。目立たないだけの場所なら、逆に人が居ることで目立ってしまう。そもそも人が気にしやしないような場所を探さねばならない。


『仕方ねえかなぁ。坊っちゃん、使われてない空き教室を探してくれ』

「空き教室?」

『おう。そこなら多分、普段は鍵かかってるだろ?特別なタイミングじゃなきゃ人なんか来やしない』

「それは尤もだが、鍵がかかっていたら俺らだって入れないぞ」

『それがそうでもねえんだよな~』


 エルマーには何か考えがあるらしい。

 おとなしく従って、上の階を目指す。1階に食堂や自動販売機があるため休憩時間は階下に向かって動線が出来る。用がない限り上の階には来ない。単純に上の階ならば人が減ることになる。


『この教室ならいいんじゃないか』

「なるほど。悪くなさそうだ」


 エルマーが目を止めたのは資材置場のような教室。文化祭などで使う資材が保管されているようだ。ここならたしかに、そうそう人が立ち寄ることもないだろう。


『んじゃ失礼して……と』


 エルマーはするりと扉をすり抜けると、すぐにコトリと鍵の開く音がした。


「すり抜けだけじゃなくて、物理干渉も出来るのか」


 ポルターガイストだ。本当にいよいよステレオタイプの幽霊、というかもはや悪霊が正しいのではないだろうか。


『すごく疲れるんだぞこれ……』

「もしかしてこれが霊を認識出来る《能力》の使い方だったりしてな」

『霊頼み!?お願いするだけの《能力》かよ!……ああいや、それはないんじゃねえか?』

「どうしてだ?」

『それの説明がつかねえからな』


 エルマーが俺の身体にひっついたままの低位霊を指す。自力で動けない低位霊を連れ歩いている時点で、俺の《能力》が作用している証と言いたいのだろう。


「……これか」


 右手で足に付いている低位霊に触れると、低位霊は足から手に移る。そして今度は左手に持ち替えようとしたところで、元々左手にいた低位霊と右手のそれが合体した。


「あ」

『え』


 今はただ、一回り大きくなった火の玉が一つ、俺の左手に残るのみ。


『おおおおおおおまおまおま―――!魂!魂だからそれ!混ぜちゃダメだろ!いや、混ぜちゃダメだろそれぇ!!!』


 エルマーの言いたいこともわかるが。そんな事言われても……。


「これ過失だから」

『いやいやいやいやいや!混ざっちゃったよ?!どうすんの!?どうすんのさコレ!?今後トモヨロシクってか!??』


 大きくなった低位霊の集合体を掴み、引きちぎろうと試みるも、そもそも掴めそうもない。そういえばそうだ。今朝、初めて低位霊に触れたときも、ひんやりとした感触があっただけで、物理的には触れていない。

 いや、待て。そもそも混ざったことが悪とは限らない。これはそういう《能力》なのではないか?


「うん。そうに違いない。これはこういう《能力》なんだ」

『いやなんで!?何のために!?低位霊混ぜ合わせてどうすんの!?』

「高位霊にするとか……」

『違う!それキメラだから!高位霊はあくまでも転生を繰り返した一つの魂であって、複数の魂かけ合わせた化け物と違うから!!』


 そうか。あくまでも濃度の高い魂が高位霊であって、混ぜ合わせて容量だけ増えた魂では別物になってしまうのか……。

 いや、エルマーのポテンシャルから考えて、高位霊を量産出来る《能力》はかなり有用だと思ったのだが……。


『ちょっ!とりあえず離せ―――』


 エルマーが俺の左手から肥大化した火の玉を奪い取ろうとしたその時、気がつけば俺の左手の前腕は、青白い獣のような腕になっていた。狼人間の腕と例えるとわかりやすいだろうか。


「どうなってる……?」


 突然のことに目を白黒させるばかりで、理解が及ばない。何故こうなってしまったのか、その手がかりを探そうと周りを見渡せば、数メートル先に肥大化した火の玉が浮いている。そうか、あれは手を離れたか。となると―――


「エル、どう思う―――って、エルマー?」

『ここだぜ、秀……』


 声はすれども姿はない。床や壁にでもすり抜けてしまったか。


 いや。


 いや……。


 これか。


「エルマー……?」


 俺は左手の前腕に語りかける。


『ああ、坊っちゃん。どうやらそうみたいだ……』



 エルマーの声とともに、俺の左手前腕が明滅する。



 俺は、幽霊をまとう《能力》を得た……、らしい。



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